第四回

4

 高校生の頃、古川は決して目立つ存在ではなかったが、彼の破滅的な性格が中村には魅力的であり、彼を尊敬していた。二人は性格に似たところが多かったので、高校時代はとても仲が良かった。だからこそ、卒業と共に古川が全く消え去ってしまったことは残念でならなかった。今日偶然に出会えたことは喜ぶべきことである、と中村は思った。


 アパートの窓からの光が、彼のインコの籠に差していた。古川はそっと覗いた。そのインコは、もう寿命が残り少なく、数週間前から殆ど自分では立てず、地面にうずくまるようになったので、彼はその鳥を小さな籠に移し替えていた。餌をやったり、水を換えたりするのも一苦労であった。インコは時々痙攣を起こした。羽の抜けた翼を震わせ、苦しそうに目を細めた。年を取るということは、残酷なことである。彼は、彼の愛鳥の、十年間の人生を想像した。この家に来て以来、彼はずっとこの鉄の檻に住んでいるが、果たして幸福であったのかしら、と彼は思う。今この消え入りそうな命の灯火を前に、彼は目を閉じて静かに溜息をついた。


 雲の少ない夏の日、空の青さは高校三年生の夏を思わせた。場所はどこでも良かったが、とりあえず近くの公園を指定した。彼が行くと、中村は既にそこにいた。

「やあ。」と彼は言った。何かの本を読んでいた。

「やあ、早いね。それは、本かい?」

「ああ。柳田国男だ。」

「あ、そう。」

 二人は、とりあえず歩いた。

「何する?」

「そうだな。キャッチボールでもするか。」

「そうしよう。」

 そして、広場まで来ると、グローブを出してキャッチボールをしたが、二人とも運動は苦手だったので、すぐに飽きて座り込んだ。辺りはまだ蝉の声がした。広場には家族連れも何組かあり、子供たちの無邪気な声が聞こえる。

「そう言えば、片山さんはどうなったんだい?」と中村は聞いた。古川は黙っていた。が、やがて携帯電話を開いてその画面を見せた。それは一通のメールのようだった。

「これは?」

「これが真実さ。」

 中村は、そのメールの文面を丁寧に見た。なるほどこれは明確な拒絶の意思を感じる、と彼は思った。そして、古川の積年の思いを知っているだけに、一層彼を気の毒に思った。

「嗚呼、これは、何と言ったら良いか。」

「もう良いのさ。終わったんだよ。」と古川は物憂げに呟いた。

 中村は、自身のサークルに彼を入れようと思い付いた。

「なあ、古川。君は、現代の日本社会について、就中、文化については何を思う?」

「は?」

「いや、つまりな、日本文化は失われつつあると思わないか?」

「確かに日本文化は破壊されつつあるな。敗戦以来、日本人は魂を失ってしまったように思う。」

 これを聞いて中村は喜んだ。彼がいれば、他の連中が不真面目でも何とかなるかも知れないと思った。しかし、古川はどこか違和感のあるような顔をした。

「でも、良く分からないよ。僕は学者じゃないからね。日本文化と一口に言っても、それが具体的には何であるのかということについては明確な答えを持ち得ないから、あまり無責任なことは言えないな。唯一つ言えることは、このままでは我が国は滅びるより他に無いということだ。」と言った。

「そうだよな! 俺もそう思うよ。現状ではこの国は破滅するしかない。それで、俺は日本文化護持サークルというサークルをうちの大学に作ったのだ。是非参加してくれないか!」

「でも、大学が違うだろ。」

「そんなことはどうでも良いんだよ。志のある者が参加してくれないと、このままでは唯の男女の交流の為の飲み会サークルに成り下がってしまう!」

 古川は、はあ、と溜息をついて少し考えてから、言った。

「まあ、見に行くだけなら行ってやらないこともない。」

「よし来た。来週の火曜日に活動するから、俺の大学まで来てくれ。」

「でもさ、今君は男女の交流の場を蔑視したが、本当はそういう場こそ大切にしなければならぬのかも知れないぞ。だって君、彼女とか、欲しいだろう?」

 中村はどきりとした。しかし、恋をすることは否定されるべきであった。況んや相手を想定せず、唯漠然と恋人になってくれそうな美しい女性を欲するがごとき(彼はそれを性欲に基づく下劣な欲望だと断定した。)は尚更否定されるべき蛮行である、と彼は考えた。

「いや、そういうことは結局人間を堕落させるだけだ。叶う筈の無い恋に身を持ち崩すのはもう沢山だ。弱い人間ほど、恋愛などという空虚な幻想に縋るものさ。愚かしい。」

「何だ君、女性に恨みでもあるような言い草だな。」と言って古川は笑った。お前に言われたくは無い、と中村は思った。


つづく

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