第十一話 サングラスの怪しい女

 スーパーを出ると、外はまだ陽が高く、空には白い雲がたくさん浮かんでいた。

 マタヲは上機嫌で、ぼくの足にまとわりつくようにして歩く。つまづきそうになったけど、声をあげるわけにもいかず、「ちっ」と舌打ちする。

「なんや、トモキくん。お菓子買えてうれしないの?」

「まだ人がいるだろ。話かけんな」

 ボソッと言ったけど、誰かに聞こえたんじゃないかと思ってハラハラする。駆け足でスーパーから離れ、帰り道を急いだ。

「なんやなんや、また競争かいなー。ぼくに勝とうなんて百年早いのんとちゃうか」

 マタヲはドダダとふくふくした体をゆらしてダッシュした。

 あっという間にぼくを追いこしていき、横断歩道の前で二本の尻尾を振り回してブレーキをかけている。

「ほーい、またぼくの勝ちやー。信号が青になったらまたスタートすんでえ」

「やらないよ」

 小さな声だったけど、マタヲには聞こえたらしい。

「なんでやー」

「走るの好きじゃない」

 マタヲに追いついたぼくは横に並び、信号が青になるのを待った。

「なんや、トモキくんは走るの苦手なんかー。よかったら、ぼくが速く走るコツを教えたってもええんやで」

「苦手じゃないし。ただ競争なんてバカみたいなこと」

 と、ぼくは道路を挟んだ向かいにいる女の人に気づいて口を閉じた。

「なんや、バカて。そんなことあらへんで。メロスやって頑張って走ったから感動すんのやで。きみ、メロス知ってるか? 彼はな、妹の結婚式のために……」

 マタヲが『走るメロス』について熱っぽく語る中、ぼくは女の人に注目した。

 年齢はお母さんか、それより若いかもしれない。つば広の白い帽子にサングラスをかけている。Tシャツにジーンズのラフな服装で、手には大きなレンズのついたカメラを持っていた。

「なあ、マタヲ」

 ぼくは顔を動かさないで、話しかけた。

「せやからメロスは言うたんや。王さま、わたしは……あ、なんや、トモキくん。いまからクライマックスやのに」

「あの女の人。ずっとこっちを見てないか?」

 初めは、またスーパーのときみたいに、何もいない空間に話しかけているへんな子だと思って見ているのかと思った。

 でも女の人はサングラスごしとはいえ、ずっとこっちを見ているようで、その視線は面白がっているとか、そういうことじゃなく、じっとこちらを観察しているような視線だ。

 なんというか、ねっとりしているというのかな。カメラを持っているせいかもしれないけど、監視されているような、まとわりつくような、気味の悪さをおぼえる。

 ぼくはその場から動いてみた。信号機の前にいなくても、視線を動かさないか確認してみようと思った。でもちょうど信号が青になった。

「なんやー、トモキくん。青になったでー」

 女の人が横断歩道を渡って近づいて来る。じっとぼくに顔を向けたまま。

「マタヲ。あの人、なんだか」

「なんや、あのお姉ちゃんのことか?」

 マタヲは女の人に目をやり、すぐにまたぼくに視線を戻した。

「ここらあたりでは珍しい恰好やね。オシャレさんやわ。もしかしてタレントさんやろか。ほら、あの帽子とサングラス。日焼け予防やで、きっと。トモキくん、サインもらってきたらええわ。クラスの子に見せたり―。うらやましがんで」

「そんなわけなんだろ」

 ぼくはじりじりと後ずさった。女の人の口もとが、わずかににやりと持ち上がる。

「マタヲ。走るぞ」

「お、なんや。急にやる気になって。あ、ちょいまちーな。青信号でも左右は確認せなあかんて、もー」

 女の人をさけ、大きくカーブして道路を渡り、そのまま五十メートルほど走った。ちょうどポストがあるところで立ち止まり、振り返る。

 マタヲが「トモキくん、フライングやで」と文句を言いながら追いつく。

「ちゃんとスタートいうてから走らな。ずるいわ。きみ、ともだちなくすで」

「まだ見てる」

「なんや?」

「ほら」

 ぼくはあごで道路の向こうを示した。

 白い帽子にサングラスをかけた女の人は、信号を渡った先で、まだこっちを見ていた。そして手に持っていたカメラをかまえる。

 ぼくはとっさにポストのかげに身を隠した。

「なんや、トモキくん。くらくらしたんか?」

 目を丸くしてマタヲはぼくの顔をのぞく。ぼくはマタヲの顔をぐいと押しのけると、ポストのかげから、こっそり向こう側を確認した。

 もうあの女の人はいなくなっていた。

「もう乱暴やで、トモキくん。ぼくのプリチーな顔がゆがんだらどうないすんのん。顔はな、ナデナデするか、『かわいいなー、天使やなー』言うてほめるもんやで」

「いない」

「は?」

 ぼくは手に持っていた袋から、小分けパックのキャットフードを出して、一袋分を手にとる。

「マタヲ。これあげるから、さっきの女を尾行して」

「なんやて?」

「さっきの女の人だって。サングラスかけた。怪しかっただろ。変質者かも。カメラで近所を盗撮してまわっているのかもしれない」

「あの人が変質者? ただのオシャレさんやん」

「とにかく」

 ぼくはマタヲにフードの袋を押しつける。

「子どもの写真を勝手に撮影してネットにあげて喜ぶ変質者なんだ。ロリコンとかそういうのだ。女の人の中に変態はいるって、前に先生が言ってたからな。女子だけでなく男子も気を付けろって。あの人、学校で注意してた変質者かも。男の人だと思ってたけど、女だったんだ」

 青山先生が新学期早々、声をかけてくるおかしな大人が、となり町の学校区に出没しているので注意しましょうと言っていた。

 知らない人についていかない、なんて今さらの注意文句だけど、勝手に写真を撮ったり、じろじろ見てくるのも注意すべきことだ。

「マタヲ、あいつがどこへ行くか見てきてくれ。被害者が出る前に、ぼくが捕まえてやる」

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