05:暴力と僕

「お嬢様、そろそろお遊びはご自重ください」

 マスターは黒塗りの高級車に乗せられていた。

「遊びじゃないわ。新たな世界の形を提示してるだけ」

 不機嫌そうなマスターは、隣に座っている男を睨みながら言った。

「メーカー表示もない、腕輪もしていない裏物をSPに使うなんて、ヤクザと変わらないわね、爺や」

 眼鏡を掛けた白髪頭の男が、助手席に座っている。

 マスターが爺やと呼んだのはこの男の事だ。

 燕尾服に白い手袋、見るからに侍従長の様な出で立ちだ。

「では、誰が我々を処罰するのでしょうかね、お嬢様」

 嫌味な言い方だと思った。

 爺やの言う通り、誰も彼らを処罰出来ない。

「現在、世界中で利用されているバイオロイドは、旦那様の研究成果です。今や世界中のバイオロイドは弊社の製品。弊社を処罰するなど不可能でございます」

「いちいち説明されなくても分かってる」

 バイオロイド研究の第一人者、バイオロイドの父と呼ばれるのがマスターの父親だった。

 と言っても、最初期のバイオロイドが完成したのは一世紀半近く昔だ。

「旦那様がお屋敷でお待ちです」

「あんなの、父さんじゃない」

「またそのような事を……」

 マスターの父が生きていれば、既に200歳近い事になる。

 普通の人間ならば死んでいる筈だが、マスターの父は違う。

 脳と主要な神経系統のみを残し、アンドロイドの身体に入ったのだ。

 目的は、バイオロイドの更なる研究のため。

 サイボーグ化したマスターの父は、未だなお、研究の最前線に身を投じている。

「私の父さんは、じゃない……」

 マスターはポツリと呟いて、窓の外を流れる景色に目を向けた。


§


「連れ去られたってどういう事!」

 僕は店内に入るなり叫んだ。

「おい、腕輪!」

 親友は僕が腕輪を付けていない事を指摘した。

「そんな事、今は関係ないだろ!」

「まぁまぁ、落ち着いて」

 親友の隣に立っていた男が水の入ったグラスを僕に手渡してくれた。

 彼は僕らのダーツをしている時に来店してきた客だった。

「どうも」

「悪かった、俺も取り乱しちまって」

 そう言って、親友が経緯を説明し始めた。

 客がそれなりに入り始めた時、黒いスーツを着た男と、燕尾服の男が店にやって来たのだと言う。

「で、その男たちにマスターが連れていかれたって事?」

「そう」

「誘拐じゃないか!なんでそんなに落ち着いてるんだよ!」

「だから、説明を最後まで聞けって。どうも、家庭の事情らしい」

「家庭の事情……?」

「彼女の為に、詳細を話すのは遠慮させてもらうけど、僕から説明させてくれ」

 先程の男がそう言って話し始めた。

「まぁ、彼女はお嬢様なんだ。家出同然で街へ来て、カフェを経営している。たまに、今回みたいな事が起きるんだ。心配しなくても、明日までには帰って来るよ」

 それを聞いて僕は拍子抜けした。

「急いで来て損した……」

 僕はカウンター席に腰掛け、脱力した。

「じゃあ、今日はもう店閉めるしかないな」

 親友が男性と話している。

「いや、今日は彼女に変わって、僕が仕切るよ。その為に毎日通ってるからね」

 男性はニッコリと笑い、カウンターの奥へ行った。

「いつもの事みたいだな」

 親友が僕の隣に腰掛ける。

「お前があんなに慌ててたから……」

「そりゃ、説明されなかったら慌てるだろ!」

「確かに……」

「それより、腕輪」

 そう言って親友はカウンターの中にあった腕輪の一つを僕に渡す。

「あぁ、そうだね……」

 素直にその腕輪を装着したところで、親友が妙にニヤニヤしている事に気が付いた。

「なんだよ」

「その子、ずっと立たせとくつもりか?」

 親友のその言葉でやっと思い出した。

 僕は彼女と一緒に家を出たのだ。

 当たり前だが僕の後ろに立ったままだった。

「ここに座りなよ!」

 親友が席を譲り、僕の隣に座るように手招きした。

「よろしいのですか……?」

 勝手が分からず戸惑っているらしい。

「座るといい。君もお客さんだ、奢るよ」

「……はい」

 彼女は少し嬉しそうに僕の隣に座る。

 それもニヤニヤと見つめる親友の視線が気になって仕方がない。

「なんだよ……」

「ほんの1時間くらい見ない間に、なんか大人になったな、お前」

「どういう事だよ……」

「はは~ん、さてはお二人さん、何かありましたな?」

 親友のその言葉に僕と彼女は身体をビクつかせた。

 それを見て、親友が大笑いする。

「お似合いだぜ!いい意味でだぞ!」

「あのな……」

 エプロンを付けたあの男性客がカウンターに戻ってきた。

「お?なんか楽しそうだね」

「楽しくないですよ……」

 溜息混じりに僕が呟く。

「こういうのを不快って言うんだぞ!」

 僕は親友を指差しながら彼女に教えるように言う。

 彼女は少し首を傾げた後、ニッコリと笑った。

「不快ではありません。嬉しいです」

 予想外の返答に僕は変な声が出た。

 時間差で顔面が熱を持ち始める。

 それを見て余計に笑う親友。

「この子の方がよっぽど素直ないい子だ!」

「そうですか?ありがとうございます」

「なんなんだよ……」

「ははは、若いってのはいいねぇ。とりあえず、アイスティーでいいかな?」

 店員となった男性客が笑いながらアイスティーの準備を始める。

「お二人の付き合いはもう長いんですか?」

 親友がニヤニヤしながらインタビュアーの様な事を始めた。

「えーっと、今年で3年目になります」

「ほう、3年目!彼のどのようなところに惹かれたんですか?」

「優しい所です。ご家族の皆さんに大切に扱って頂いています」

 彼女のその言葉に、少し残念な気分になった。

 先程、彼女が『好きだ』と言ったのは、『家族愛』的な意味合いだったのだろう。

 そんな気もしていたのだが、ハッキリ分かると浮かれていた自分が馬鹿らしく思えてきた。

「おやおや、なんか不満そうな顔ですねー」

 親友がつついてきた。

 コイツはこういう事には敏感で抜け目がない。

「なんでもないって……」

「なぁに拗ねてんだよ」

「どうかなさいましたか?お身体の具合でも……」

「何でもないって!」

 勢いよくドアがいた。

 一瞬で店内が静まり返る。

 眼つきがヤバい男が入ってきた。

 腕輪も付けていない。

「いらっしゃいませ。お客様、初めてのご利用ですね?」

 店員の男性がカウンターから出ながら男の方へ向かう。

「何かあったらすぐに逃げるんだ」

 僕らにだけ聞こえる声そう言うと、入ってきた男に腕輪を差し出した。

「当店での規則ですので、こちらをご着用ください」

 男は差し出された腕輪に一度目を落とし、大きく舌打ちをした。

「んだよ、バイオロイドが人間に命令すんな!」

 腕輪を手の甲で弾き飛ばし、店内をジロジロと物色しながら歩く男。

「お客様、困ります」

「黙れバイオロイドが!ん?」

 店員を怒鳴りつけた男が、カウンター席の僕らに気が付いたらしい。

 すると、盛大な笑い声をあげた。

「なんなんだよ!バイオロイドの女を人間のガキんチョ二人で囲んでお茶なんてしてんじゃねーよ!」

 そのセリフでハッと気づいた。

 この男は、腕輪がなくても人間とバイオロイドの見分けがつくらしい。

「てか、そこのバイオロイドの女、こっち見ろ」

 男が彼女を名指しした。

 彼女は言われるまま男の方へ振り返った。

「見た事ない形式だな。特注品か?いくら金持ちのガキの遊びだろうが、金がかかり過ぎだぜ」

 男はそう言いながら彼女の方へ近付く。

 彼女は小さく震えていた。

「あの、僕達もう帰りますんで……」

 僕がそう言って席を立つ。

「あぁ、ガキはさっさと帰んな。俺はこのバイオロイドに用があんだ」

 そう言って彼女の手を掴む。

「やめろ!」

 咄嗟に彼女の腕を握り締めている男の手を振り解く。

「人間のガキに用はねぇんだよ!」

 男の拳が僕の頬を殴打した。

 その勢いで僕は床に崩れ落ちる。

「ご主人様!」

「今日からお前のご主人様はこの俺だ。付いてこい」

 そう言って男は彼女の髪を鷲掴みにしてドアへ向かう。

 全く持って状況が理解できない。

 それでも、僕は動くしかないと思った。

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