第16話 妖魔帝国軍第十四軍集団副司令官は決意する

・・16・・

 8の月2の日

 午前10時25分

 ノヴァレド東部郊外

 妖魔帝国軍第十四軍集団・野戦総司令部


 「何故! 何故未だに落ちぬのだ! それどころか、ノヴァレド東部郊外から動けぬままではないか!」


 でっぷりと肥え太っている妖魔帝国軍第十四軍集団総司令官モドルブ大将は自身が無能を晒しているだけにも関わらず、副司令官や参謀などに対して唾を飛ばす勢いで大声で叱責していた。

 理由はただ一つである。簡単に捻り潰せる筈だったイリス法国軍が頑強な抵抗をしており未だに主戦場であるこのノヴァレドを陥落させていなかったからである。現在、ノヴァレド、ソフィー、ルシェーティアに広がる三つの戦場ではいずれも法国軍は善戦しており、逆に数に勝るはずの妖魔帝国軍第十四軍集団は苦戦させられているのだ。既に妖魔帝国軍第十四軍集団での全体の損害は約五万。法国軍の損害約三万七千を大きく上回っていた。

 というのも、彼が作戦全権を握っているが故に地形を活用して戦う法国軍へ悪手であるひたすらの突撃に固執し無駄な出血をしており、かといって部下の進言は全く聞かず『働く無能』の醜態を演じている為にこの有様である。当然、妖魔帝国軍第十四軍集団総司令官以外の指揮官クラスは目に見えて士気が落ちていた。ただでさえ苦戦しているのに、拍車をかけるように最悪の報告が入ったからである。


『キシュナウ攻略へ向かった妖魔帝国軍第十二軍集団、シューロウ高地にて二カ国軍と交戦し敗北。さらに追撃戦を受けて壊滅。二十五万の軍勢は約四万五千のみブカレシタへ敗走し他は不明。総司令官レドべージェフ大将及びブズニキン中将の消息も不明』


 妖魔帝国軍第十二軍集団の大敗北は、無能の総司令官に比べてずっと有能な副司令官など総司令部の面々を絶望のドン底へ叩き落とすに十分なものだった。

 当初の作戦では敵国たる人類諸国で最も厄介なアルネシア連合王国軍と次いで脅威であるロンドリウム協商連合を大幅に数で上回る第十二軍集団で叩き、最低でもキシュナウに留めさせてイリス法国軍へ援軍を送らせないようにする。その間に、二カ国軍に比べれば弱いイリス法国軍を自分達第十四軍集団が撃滅。奪われた戦線を大幅に巻き返して人類諸国に大打撃を与えるのが目的だった。

 ところが蓋を開けてみれば逆に妖魔帝国軍が大打撃を受けたのだ。二個軍集団と生き残ったブカレシタ駐留軍を合わせれば約六十一万五千の大軍勢。それが今や約三十六万と激減してしまっていた。人類諸国である法国軍、二カ国軍の総軍勢を下回る数である。

 となると、作戦は大幅に変更せざるを得ない。今の所唯一の幸いは二カ国軍がノヴァレドに向けて進軍して来ない点だが、それだっていつ向かってくるかも分からない。

 だからこそ、無能の総司令官に仕える副司令官のユーリィ・コスミンスカヤ中将――中肉中背の見た目は四十代くらいの輝く金髪を持つ二枚羽の悪魔族の男性魔人――はどうにかしてこの無能を説得しようとしていた。既に彼抜きで参謀などとは結論が出来上がっているのだから。


 「落ち着いてください、モドルブ大将閣下」


 「これで落ち着いていられるとでも!? 法国軍を未だに下せていない上にレドべージェフのヤツめ、キシュナウで人間共を殲滅してやると豪語しておいて畏れ多くも陛下の軍を瓦解させおったのだぞ! これではまるで我々が追い詰められているみたいではないか!」


 その通り、我々は追い詰められているんですよ。と言いたかったがユーリィ中将は感情をぐっと抑えてなるべく冷静に話そうとする。


 「腹立たしい限りですが我々はイリス法国軍を侮っていました。連中の抵抗は激しく、我が第十四軍集団は既に約五万の損害が生じております。連合王国や協商連合に比べて弱兵と見下していたツケが出てしまっているのです」


 「なんだと!? 貴様それでも誇り高き魔人か!? 人間共より我らが妖魔帝国軍が弱いと言うのかっ!」


 「いえ、悔しいですが連中の作戦勝ちでしょう。陛下もお認めになられている二カ国軍は生き残った兵達によれば新兵器を繰り出したとのこと。しかも、二つです。いかにレドべージェフ大将閣下率いる第十二軍集団とはいえタダでは済まなかったかと。まさかここまでしてやられるとは私も思いませんでしたが」


 「ああ忌々しい忌々しい忌々しい!! やはりアレか!? 連合王国のアカツキと人形のエイジスとやらか!! またアレが何かしたというのか!?」


 「可能性は大きいです。これも生き残りの証言ですが、人形のエイジスが現れた直後に総司令部に対して数百もの飛翔する爆発槍が降り注いだらしく。その時にレドべージェフ大将閣下は深手を負わされたようで、となるとつまり……」


 「あやつが死んだと!? 道理でいつまで経っても法国の人間共が降伏せんわけだ! 足を、引っ張りおって!」


 モドルブ大将閣下はまるで子供のように地団駄を踏んで恐らくは戦死したであろう――事実戦死しているのだが――レドべージェフへ罵倒を幾つも口にする。確かに原因を作り出したのは彼とはいえ死人に対して酷い言いようであると、ユーリィ中将は冷たい目でモドルブ大将を見ていた。


 「はぁ……。はぁ……。このままでは、我等は敗軍の将の扱いだ……。皇帝陛下にどのようなお叱りを受けるか分かったものではない……。下手をすれば、物理的に首が飛ぶぞ……」


 モドルブ大将は先程までとはうってかわって、身体を震わせて、恐ろしげに言う。

 無能の彼の唯一の取り柄は粛清帝と称される妖魔帝国皇帝に対する忠誠心である。だからこのような失態に対してどんな処分が下されるかなど想像に難くないのだ。最低でも僻地送り、最悪処刑だろうとモドルブ大将は考えていたのである。


 「確かに我々は皇帝陛下から処分を下される身でありましょう。しかし、まだ挽回出来ます」


 「どうやってだ……? やはり、法国を打ち破るに限るのか?」


 「違います。戦線を縮小させるのです。現在、我々は広義の意味で包囲されていると言っていい状態にあります。兵力差も逆に不利となりました。ここは立て直しを図り、人間共の損害も大きくなる市街戦へと持ち込むのです。市街地でありながら半要塞化している、ブカレシタへ」


 「貴様は退けというのか!? 陛下の栄光輝かしい妖魔帝国軍が、退けと!?」


 ユーリィ中将の提案は至極真っ当なものであり、今取れる手段としてはベターどころかベストであった。

 手負いも多いとはいえまだまだ戦える兵力が残っている妖魔帝国軍第十四軍集団を中心にブカレシタへ結集させ市街戦へと持ち込めば二カ国軍や法国軍に対して出血を強要出来る。さらに、人類諸国も遠征してきているのだから長期戦に持ち込めば兵站線に負担をかけられるのだ。その間に本国へさらなる援軍を要請し、到着まで持ちこたえれば勝機はまだある。何せ現在の妖魔帝国軍は新しく徴兵令を勅令布告したことで全軍で約二百三十万いる。二十万以上の損失は手痛いが、援軍を送る余裕があるのだ。

 これこそが、唯一の作戦だとユーリィ中将にせよ総司令部の面々にせよの判断であった。

 しかし、肝心の総司令官がこれである。後退に絶対的な反対をしているのだ。ユーリィ中将はどうしてこんな無能が私達の司令官なんだと頭を抱えたくなっていた。


 「どうか冷静になってください。我々は『今は』負けているのです。しかしまだ決まったわけではないのです。お許し頂ける機会も、あるのです」


 「馬鹿な事を言うな! おめおめと下がれるわけがなかろう! 後退すれば追撃を受けるかもしれないのだぞ! それこそ第十二軍集団のようにな!」


 「いいえ、恐らく法国軍にそのような力は残っておりません。この付近でこそ多少の被害は受けるかもしれませんが、ブカレシタまでは絶対に追ってきません。奴らもかなり消耗しているのですから」


 「言いきれる根拠はどこにあるのだ!」


 「二カ国軍は現在ここより遠く離れた地におります。少なくともブカレシタへ追撃してきていないのがその証拠でしょう。また、二カ国軍は今回の戦いに陥落してしまったダボロドロブ含めて相当な戦力を投入しています。陛下お抱えの諜報部隊の情報を鑑みれば、ここノヴァレド方面から援軍を送るのはほぼ不可能でしょう」


 ユーリィ中将は妖魔帝国軍の中で名将の類に入る人物である。年功序列の邪魔さえ無ければ第十四軍集団の総司令官は彼がなってもおかしくない軍人である。そして、彼が述べた論は全て的を得ていた。

 連合王国軍はこの戦争で既に約二十万を投入しており、法国経由で新たな援軍を送るのは難しい。現在徴兵した兵の練度向上と念の為の本国東部及び広大な旧東方領奪還部の防衛線維持に手一杯だからである。協商連合軍も五個師団を派遣しており、本国が遠く離れている事から今すぐの戦線投入は不可能。

 つまり、彼の言う通り新たな援軍というのはありえないのであった。

 だが、とことん総司令官モドルブ大将は無理解であった。


 「なら尚更ここで戦うべきであろう! 余力はある! 予備兵力もある! せっかく、せっかく押し返したのだぞ!」


 「ですが、時間をかければかけるほど作戦目標の最低を恐らくは実現したはずの第十二軍集団唯一の戦果も無駄になります。二カ国軍は法国軍に比べてかなり兵站等輸送面が確立していると当参謀本部は分析しております。今後退すれば間に合いますが、一ヶ月後、それ以上となれば二カ国軍から横っ腹を襲われる事になります。それに、本国海軍及び陸軍部隊や新設師団、確か海兵隊でしたか。それらが現在法国へさらなる逆襲作戦を立案中。間もなく出撃可能なのです。どうか、後退を裁可してください」


 「駄目だ! 駄目だ駄目だ駄目だ! それは許せん! 何としてでも法国軍を殲滅しなければならんのだ!」


 「…………そうですか」


 どう説得してでも覆らないのか。

 ユーリィ中将はここでとある計画を実行に移せざるを得ないと決意した。

 彼は総司令部テント内にいる面々と顔を合わせると、彼等も頷いた。


 「…………おい、貴様。ユーリィ中将、どうしたのだ」


 「どうしても、許可が頂けないというのならば仕方がありません」


 ここでようやく、モドルブ大将は中の雰囲気を察したのである。自分が、孤立しているということに。


 「消音魔法、魔法障壁を」


 「はっ」


 「了解しました」


 副司令官の副官と、とある佐官は頷き魔法を詠唱する。大テント内には外部に音が漏れないよう消音魔法が施され、何かがあっても貫通しないよう魔法障壁も追加される。


 「まさか、まさか貴様……。貴様等……!」


 「モドルブ大将閣下は、『流れ弾により戦死』を遂げられました」


 「ま、ままま、待て……!」


 「問答無用です」


 自身の末路をやっと悟った彼は恐怖し、尻餅をつき、制止しようとするが手遅れだった。

 瞬間ユーリィ中将が携行している、彼個人が所有している拳銃が一発火を噴いた。

 それはあたかも戦場にて即死したかのような位置に撃たれ、モドルブ大将は確かに『流れ弾により戦死』を遂げたのである。


 「…………これで私も上官殺しの仲間入りか」


 「いえ、モドルブ大将閣下は『流れ弾で戦死』されたのです」


 「流れ弾ですね」


 「ええ、流れ弾ならどうしようもありません」


 「……皆、すまないな。これも将兵を救う為だ」


 「謝る必要はありませんよ」


 「ユーリィ中将閣下になら、喜んで従いますから」


 「むしろ貴方が総司令官であるべきだったんです」


 「ありがとう、副官。皆の者」


 ユーリィ中将は部下達に謝罪をする。しかし、彼の副官や司令部の面々に後悔など一片も無かった。こうするしか、活路は無かったのだから。


 「……よし。ならば早速行動を開始するぞ。モドルブ大将閣下の記録は偽装したものを用意して報告しろ。そして、今すぐソフィーやルシェーティアにも伝えろ。戦線は縮小。後退してブカレシタへ向かうとな」


 「了解しました、ユーリィ


 「ソフィーやルシェーティアにいる友軍は待ってましたと言うでしょうね」


 「ああ」


 ユーリィ中将は短く言うと、部下達は即時行動を始めた。今までが嘘のような速やかで統率の取れた行動であった。

 ユーリィ中将は忙しなく動き小休憩を取った際に北東を向いてこう呟いた。


 「二カ国軍……。アカツキ。貴様は非常に優れた軍人だ。もし貴様が人間ではなく魔人で、味方だったのならばどれだけ頼もしいかと思うほどにな。だが、残念な事に貴様は敵だ。だからせいぜい、我々が作り出す血と硝煙に塗れた市街戦を味わうがいいさ。――相見えるのを、楽しみにしているぞ」


 ユーリィ中将は、歪に微笑んでいた。

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