第9話 妖魔帝国軍の大軍勢に対し、イリス法国軍の選択は

 ・・9・・

 6の月30の日

 午前10時35分

 イリス法国軍・領土回復運動遠征軍総司令部


 六の月二十九の日。彼らが懸念していた事態が現実になってしまった。

 ブカレシタより東方百三十キーラにて妖魔帝国軍約三十万の増援を確認。これは法国軍にとってはこれまでの快進撃が覆りかねない敵の援軍である。

 当然ながらこの報告に総司令部の者達には大きな衝撃と動揺が起こる。可能性としては考えていたものの、開戦以来に妖魔帝国軍が受けた損害からして我を凌駕する戦力を投入してくることは考えにくいだろうと希望的観測を抱いていたからである。

 とはいえ起きてしまった現実であるし、むしろ新編成した召喚士偵察飛行隊によって約五日の猶予が得られたのは幸いである。

 敵援軍のブカレシタ到達のタイムリミットまで残り四日となったこの日、師団長以上の者達が緊急軍議を開きどう対応すべきかを話し合っていた。

 総司令部の大規模テントに集まっている将官クラスや高級参謀などの表情は一昨日までとうってかわって沈痛であった。

 その中でも気丈に振る舞うマルコ大将は口を開く。


 「君達。知っての通り、召喚士偵察飛行隊がブカレシタから東方に敵の大軍勢を発見しました。我が軍にとっては危急の事態でありますが、不幸中の幸いで私達には四日という時間が与えられています。しかし、たった四日です。今日中にはこのブカレシタで敵を迎え撃つか、後退するかを選ばねばなりません」


『…………』


 「皆さんが口を噤みたくなるのも無理はありません。私達が選んだ判断によって我が法国軍の未来が大きく左右されるのですから。しかし、このような時だからこそ率直な意見を聞きたいのです」


 マルコ大将は自身も相当に焦っているにも関わらず、それをなるべく外に出さないように努め、冷静な口調で周りの者達に語りかけていた。

 法国軍にとって幸いなもう一つの要素は、このマルコ大将が総司令官である事だろう。彼は石橋を叩いて渡るような慎重な性格である。だからこそ無理はしないし、何より長い軍人としての経験によって少なくとも慌てふためかないのが、師団長達にとっては頼もしく思えた。

 また、彼が苛烈な性格ではなく部下の話もよく聞く心優しき者であるのも長所である。

 故に、ぽつりぽつりとだが意見を口にする者が現れた。


 「自分は後退を選択します。占領をしていないブカレシタで戦うのは余りにも不利です」


 「同じく、後退に賛成です。我が軍が十四万に対して敵軍はブカレシタの残存を合わせれば約三十七万と二倍以上の戦力差が生じてしまいます」


 「自分もです。相手が魔物軍団中心ならばともかく、新たな敵軍は魔物軍団十万と魔人編成の師団二十個師団と魔人の割合の方が高いのです。魔人の方が多いとなれば、これまでのような有利な戦いとはいかないでしょう」


 「作戦参謀の私からも戦略的後退を進言します。万全な状態であるのならば、敵に対峙してからの遅滞戦術などいくらでもやりようがあります。また、Sランク召喚武器所有者が四人おりますので後退して誘引した上で反撃し押し返す戦法も取れるでしょう。しかし、現在の我が軍は補給にやや苦しんでいる状態であり、武器弾薬も不足し始めています。Sランク召喚武器所有者も怪我は無いとはいえ激戦により消耗しており魔力回復が必要です。以上のような観点から、ブカレシタに留まるのは得策では無いかと……」


 「やはり皆さんもそう思われますか。となると、問題なのはどこまで後退するかです」


 マルコ大将の発言に対して出された案は三つであった。

 一つ目はブカレシタから一番近い西方の中規模拠点、ノヴァレドまで後退。

 二つ目はブカレシタから南西にある半島北部にある拠点、ソフィーまで後退。

 三つ目はノヴァレドからさらに西にある大規模拠点、フィシュアまで後退。

 この三案については時が差し迫っている事もあり早めに決定が下された。採用されたのは三つ目の案であるフィシュアまでの後退だった。

 一つ目のノヴァレドまで下がったとしても敵の大軍勢に耐えうる防衛設備がないこと。二つ目のソフィーで迎え撃つのは防衛には向いているのだが、地理的に場所が悪かった。もし敵軍がフィシュアに進軍すると孤立化する恐れがあるからだ。

 そうなると自ずと選択肢はフィシュアとなったのである。


 「フィシュアは我々が、ソフィーには半島防衛の五個師団を集約すれば防衛線を敷けます。北には連合王国と協商連合の二カ国軍がいますから我々の負担はかなり軽減されますが、それにしてもこれまでの快進撃が裏目に出ましたね……。これでも防衛線が薄く心許ないですから…


 「致し方ありませんマルコ大将閣下。我々攻勢担当とは別に本国は防衛担当の師団を複数送ってきましたが、いずれも徴兵からあまり経ってない二線級。敵を食い止める鍵になるのは我々でしょう」


 「ええ。ですが、問題は本国ですよ。最終決定権を持つのは猊下です。連合王国も同じように国王が持っていますが……」


 「介入度合いがまるで違いますからね……。嫌な予感がします」


 マルコ大将と参謀長のやり取りに師団長や各参謀達は同意の意味で首を縦に振る。

 本国には敵発見の直後に対応を問い合せているが、今日のこの時間になっても続報が無い。恐らく後方ではどうすべきか紛糾しているのだろうが、現場からすればたまったものではない。無論、この状況を見越してすぐにでも動かせるように体制は整えてあるのだが。


 「失礼致します! 本国から法皇令が届きました!」


 「やっとですか。して、なんと?」


 情報将校が会議の場に現れると、マルコ大将はすぐに読み上げるように促す。

 すると情報将校は、やや重苦しい口振りでこう言った。


 「ノヴァレドまでの後退は許可する。ノヴァレドからソフィーを絶対防衛線とし、敵軍から奪い取った領土を死守せよ。です……」


 「やはりか……」


 「あの貪欲法皇め……」


 「戦場を理解していない癖に無茶を言う……」


 「ノヴァレドでは防衛に不向きだというのに……。本国でぬくぬくとしている連中は数に勝る敵軍に対して野戦を仕掛けろとでも言うのか……!」


 イリス法国において最も強制力のある法皇令にて発せられた命令に、師団長や参謀達はため息や憤りを表して非難する。せっかく軍全体でフィシュアまでの後退というベターな選択肢をとって迎え撃とうと考えていたのにも関わらず、本国はノヴァレドで戦えと言うのだ。つまりそれは、フィシュアで迎撃するよりも時間の余裕は少なくなり、防衛面でも不安がある地で戦えということだ。


 「…………法皇令は絶対です。ノヴァレドにて、迎え撃ちましょう」


『…………』


 マルコ大将にとっては苦渋の決断であった。

 彼としては、戦うのならば当然フィシュアを選びたい。これまで得た勢力圏をやや大きく後退させることになるが、少なくともノヴァレドよりは万全の体制で戦えるからだ。

 しかし、法皇令なぞ出されてしまってはどう足掻いても逆らえない。背けば待っているのは命令違反による処分だ。己の身が可愛いから保身の為にではない。

 自分だけならまだいいが、恐らく参謀長や各師団長クラスにもそれらは及ぶだろう。自分達の処分後にはマトモに戦えるメンツは免職され、代わりにぬるま湯しか知らない法皇の息がかかった者共が後釜につくことになる。

 そうなると、迷惑どころか命にすら関わってくるのは今戦っている将兵である。故に命令違反だけはなんとしても避けたかった。連合王国にも小なりとはいえ派閥があるように、法国の場合はこの派閥争いが深刻であった。


 「法皇令には逆らえませんから。覚悟を決めて、何としても戦線の崩壊を防ぐのです」


 「了解しました……」


 「マルコ大将閣下のご命令であるのならば、従います」


 「この命に賭けて守ってみせましょう」


 マルコ大将の人徳のお陰もあり軍全体が方針転換に同意し、防衛線はノヴァレドからソフィーとなった。

 よって、法国軍は攻勢担当の十四個師団及び援軍として加わる二個師団、半島防衛師団の五個師団とフィシュアに駐留している予備の二個師団の二十三個師団で法皇が言う絶対防衛線を守ることになる。

 妖魔帝国軍約三十七万。対してイリス法国軍約二十三万。数においては不利であるが、それでも絶望的では無い数字ではある。

 しかし、運命というものはどうして過酷を強いてくるのであろうか。

 翌日からブカレシタからの後退が始まり、疲弊した約七万の妖魔帝国軍に追撃を受けぬように巧妙な戦法で本隊が下がっていく中、このような報告が入る。

 送ってきたのはマルコ大将を始めとした総司令部の面々が加勢してくれるであろうと期待していた連合王国と協商連合の二カ国軍から。

 内容は以下のようであった。



『ブカレシタから北東百五十キーラにて、新たな妖魔帝国軍の軍勢を確認。推定約二十五万』



 「なんてことでしょうか……。これでは、連合王国と協商連合はすぐにはやってこれないでは、ありませんか……」


 マルコ大将は、頭をうなだれてそう口から漏らしたという。

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