第3話 暴走美人と一目惚れした理由

・・3・・

改革特務部オフィスルーム

17時35分


 改革特務部の大きな部屋は、十七時半を過ぎるとガランとしていた。

 というのも今日はまだ初日だ。午前中に行った自己紹介を始めとして、互いの課同士での情報交換や円滑など情報共有くらいしかすることはない。それに、明日から本格始動となるからと今日は定時で終えるように僕が勧めたのもある。だから今この部屋にいるのは僕と、部長補佐兼秘書のリイナ少佐の二人だけだった。

 そうなれば午前中から気になっていた事を言うべきだろう。

 僕は口を開こうとしたけれど、先手を打ってきたのはリイナ少佐だった。


「アカツキ大佐、初日の業務お疲れ様でした」


「え、あ、うん。リイナ少佐もお疲れ様」


 抱きしめてきたような時の口調と違い、業務が始まって以降階級の関係上でずっと続けている敬語で話しかけれて僕は思わず戸惑ってしまった。初めこそとんでもない人だなと思ってしまったけれど、いざ仕事となったらテキパキと補佐としての仕事をしてくれるし課長以下ともスムーズにコミュニケーションを取っていたから有能なのは違いないんだろうけど、どうしても、ねえ。

 そのリイナ少佐は持っていた書類を自身のデスクに置くと。


「ここにはもう誰もいませんよね?」


「うん、いないと思うけど」


「了解しました。――じゃあ、敬語はやめるわ。いいかしら?」


「いいも何もなあ……」


「朝の件については謝罪するわ。アナタに会えてちょっと舞い上がっちゃったもの。ごめんなさいね」


「今後はしないでもらえれば僕はそれでいいよ」


「寛容な所も素敵ね。さすがは私の旦那様」


「あのさ、その旦那様って呼び方の件を僕はすごーく聞きたいんだけど」


 ようやく自然な流れでこっちから問うことが出来たので、僕は早速リイナ少佐に質問する。


「言葉のままよ? アナタは賢くて、強くて、可愛い。まさに私の理想の旦那様だもの」


「そこに僕の意志は無くない!?」


「反対するの?」


「上目遣いで訴えかけないで!? こっちはキミと初めて会ったのにいきなりの発言でびっくりしてんだよ!?」


「けどアナタ独身よね? そろそろ結婚していてもおかしくない歳じゃなくて?」


「う、うぐ。まあそうだけど……」


 ツッコミみたいな事をし続けてきたけれど、至極当然の点を指摘されて僕は言い淀む。

 というのも、転生前としてのアカツキには婚約者が決まりかけるところまではいったらしいんだけど、一年半前に相手が急死という不幸があってそれからずっと宙ぶらりんになっていたらしい。伯爵家のそれも後継の奥さんともなればおいそれとすぐ見つかる訳もなく、相手が亡くなったという不幸もあると次の相手をすぐには見つけづらい。そういった複雑な事情もあって今の僕の状態に至るわけだ。

 なので、ほとぼりも冷めて程々の期間が経過した現在で、そろそろ婚約適齢期である点まで指摘されると図星なわけなんだよなあ……。

 とはいえ相手は今日が初対面。彼女の事を知らなさ過ぎるし、前世と違って今の僕は伯爵家の後継だ。父上や母上、お爺様にも話を通すべき重大事項なので慎重にならざるを得なかった。


「リイナ少佐の――」


「私の事はリイナと呼んで?」


「じゃ、じゃあリイナ」


「はい、旦那様?」


「…………僕はリイナについて殆ど知らない。だからキミとまずは話がしたい。お互いの事を知るのはその、もし婚約するにあたっても必要だろう? とはいえ、リイナは侯爵閣下の子女だし今日ってわけには――」


「心配ご無用よ。既に馬車は待たせてあるし、行先は我がヨーク家王都別邸。旦那様の別邸にも連絡済みよ?」


「うっそだろおい!?」


 思わず前世の素が出たわ!用意周到過ぎる!


「驚くアナタも可愛いわ」


「どんだけ一目惚れしてんの!?」


「何してても惚れ惚れするくらいよ?」


「何してても!?」


「ええ。今すぐ抱きしめて撫で回したいくらいに」


「ここ! 職場! 公の! 施設!」


 もうなんか疲れてきた……。くそう、完全に向こうのペースじゃないか……。


「くふふっ。このやり取り、とても楽しいわね。夫婦生活になっても不安は欠片も無いわ」


「僕は疲労困憊だし、不安だよ……」


「あらそう?」


「…………もういいや。それで、馬車を待たせてあるんだろう? 早く向かわないといけないんじゃないの?」


「そうね。だってお父様もいるもの」


「それを早く言ってよ!?」


 マーチス侯爵を待たせるなんて失礼過ぎる!

 冷や汗が出てきた僕は大急ぎで鞄に荷物をしまってリイナと改革特務部の部屋を出た。

 エレベーターで六階から一階まで降りて早歩きで正面玄関へと向かう。正面玄関まで出れば馬車の停車場はすぐそこだ。


「すみませんマーチス侯爵! 遅れました!」


 停車場に到着すると、リイナの言う通りマーチス侯爵がいたので僕はすぐに謝罪の言葉を述べる。

 するとマーチス侯爵は苦笑いをして、


「アカツキ大佐か。気にするな。どうせリイナから急に知らされたんだろう。むしろこちらが謝らねばなるまい」


「もう、お父様ったら失礼ねー」


 美しい外見でまるで子供のように頬を膨らませるリイナ。対してマーチス侯爵は。


「リイナ、お前の気持ちは理解しているつもりだがこれではアカツキ大佐の心臓が持たんだろう。ったく、一目惚れした相手がいたと聞いてオレもやっと見つかったかと嬉しく思っていたが、攻めすぎだぞ……」


 本当にね! 強襲作戦にもほどがあるっての!


「けど、お父様だってやぶさかではないのでしょう?」


「当たり前だろ……。毎回毎回縁談をお前が断って頭を悩ませていたんだからな」


「ならいいじゃない。私が惚れた相手だってお父様にとっても問題ないでしょ?」


「問題は無いが……。しかし彼の意思も尊重してやれ」


「もちろんよ、お父様。私だってそこまで失礼じゃないわ」


 本当かなあ!?


「アカツキ大佐。この通りだ。突然の出来事に心底すまないと思っている」


「そ、そんな頭をお上げくださいマーチス侯爵!ここは統合本部の中ですから!」


 マーチス侯爵は頭を下げるもんだから僕は慌てて対応する。さっきからの様子を見ると謁見や軍の中で見せるような威厳ある姿ではなく、父親としての素振りが多い。侯爵閣下も苦労されてるんだな……。


「確かにここでの立ち話は良くないな。さあ、馬車に乗ってくれ」


「はっ。失礼します」


「リイナもほら、早くしなさい」


「彼の隣でもいいかしら?」


「好きにしなさい……」


「じゃあ、失礼するわね」


 拝啓、父上、母上、お爺様。

 僕の人権はどこに行ってしまったのでしょうか。馬車に乗ると目の前にマーチス侯爵がいるにも関わらず、隣に座るリイナは僕にぴったりとくっついて腕を組んできている。こうなると僕の左腕は彼女の大きな二つの丘が当たるわけで、当たるわけで……。

 天国と地獄が同居してんだよなあ!!


「アカツキ大佐……」


「は、はいっ!」


「すまん……」


「いえ……」


 深くため息をつくマーチス侯爵と、気が気でない僕と、終始ニコニコしているリイナ。

 なんとも言えない空気の中、馬車は侯爵の王都別邸に到着する。

 マーチス侯爵の別邸は侯爵位が住む居宅に相応しく僕が拠点としているノースロード家別邸よりもさらに大きく豪華だった。ちなみにこの別邸はマーチス侯爵が年の半分をここで暮らしているため最早本邸と変わらぬ扱いになっているらしい。言われてみれば別邸というには生活感があるよなと思う。

 馬車から降りると、侯爵の所の使用人に荷物を持ってもらって僕は邸宅内へと入る。そこから案内されたのは応接室だった。どうやら夕食の用意には今しばらくかかるらしく、茶菓子は無かったけれど紅茶が用意された。

 隣に座ったの? もちろんリイナさんでしたよね!

 相変わらず気まずい雰囲気の中、話し始めたのは紅茶を口につけてやっと一息つけたという様子のマーチス侯爵だった。


「アカツキ大佐。早速だが娘のリイナについてになるんだが……」


「マーチス侯爵の心中、お察し致します……。お気遣いなくどうぞ」


「そう言ってくれると助かる……。実はだな、まず今回の人事なんだが、リイナが入っているのはオレのせいだ。娘たっての希望で食い込ませてな……。無論、これで才能が無いのなら拒否したんだが知っての通り……」


「娘さんは才色兼備と評価されていますから、批判は出ないでしょう。僕も今日一緒に働いただけでリイナ少佐の能力は高いと感じました」


「旦那様に褒められるなんて嬉しいわ。もっと惚れちゃいそう」


「…………」


「……とまあ、オレの娘は君に対してこの様子だ。これも知っているだろうが、娘は縁談を何度も断っていて、オレもほとほと困っていた。私だけじゃない。ヨーク家に釣り合う人じゃなければ嫁がないとな。ところが、そこに君だ。連合王国史上稀に見る改革案を提示。理路整然と並べた結果国王陛下を納得させ、しかも物怖じせずに話してのけた。戦闘能力に関しては申し分無しで、魔法のランクについても正式にAマイナスになっている。さらには自ら戦場に立ち部下を守る姿勢。確かに娘の言う通り、頭脳・戦闘能力は優秀だ」


「そう。だからまさに、私の理想の旦那様なのよ。私は誰にでも惚れるわけじゃないもの」


「何となくリイナ少佐の発言から察しておりましたが、自分は能力面を高く評価された、と」


「そうなる。家柄もノースロード家なら伯爵家であるし、アカツキ大佐自身が王宮伯爵を授与されている。ヨーク侯爵家としても問題は無い。それにだ。まだルドルア伯爵には話を通していないが……」


「ノースロード家としても、ヨーク侯爵家と縁を結べるのならば家格も上がりますしこれ以上の誉れはありません。父上も母上も、お爺様も喜ばれると思います」


「理解が早くて助かる。些か娘のやり方は強引だったが、両家にとっても悪い話ではない。北東部のノースロード家と南部の我がヨーク家の連携も強まれば恩恵も大きいだろう?」


「……有事を見越してというわけですね」


「そういう事だ」


 マーチス侯爵の意見は理にかなっていた。これまで嫁ぎ先を突っぱねていた娘にやっと嫁ぎ先が見つかる上に、相手は直轄の部下である僕。さらには北東部のウチと南部のヨーク家の繋がりが深まれば戦争の際でも円滑に王都を守る防衛線の構築が可能なわけだ。随分と遠回しな言い方をされたけどつまりはこういう事だろう。

 娘と結婚してくれ、と。


「マーチス侯爵の仰る事、真意はよく理解しました。ですが、私の一存では決められません。一度父上と母上、お爺様にもお伺いを立ててもよろしいですか?」


「勿論だ。そもそも今の話は急過ぎるもの。元からノースロード家には配慮するつもりだったから気にしなくてもいい。熟慮の上に解答してくれ。ただ、色のいい答えを期待してるがな」


 それってつまり出来るのならばイエスと言ってくれってのと同じじゃないですかー!

 二十二の娘がやっと見つけた相手なんだからそうなるよね……。

 僕は内心嘆息をつきながら、しかし家のためにも今後のためにも良い話であるのでこう言った。


「分かりました。父上達はノイシュランデに戻られたので魔法無線装置を使って聞いてみます。本件は両家の重要事項ですし、それならば回答も早いですから」


「すまんな。手紙でも良かったんだがそうしてもらえると助かる。ただ、連絡は明日以降で構わん」


「良いのですか?」


「あっちにも都合があるだろうし、そろそろ夕食の準備が整う頃だ。詫びとして我が家秘蔵のワインと、料理長が腕を振るった品々も用意してある。様々な事が起きすぎて驚いたろうから、リラックスして過ごしてくれ」


「感謝致します、マーチス侯爵」


「なあに、義理の息子になるやもしれん相手だ。無碍には出来まい?」


「たははっ……。これは一本取られましたね……」


 義理の息子。

 これでマーチス侯爵からも外堀を埋められることになった。こうなってしまったら僕個人としては断る理由も無くなってしまうわけで、恐らく父上達は大賛成するだろう。

 ともなれば……。

 うん、もう降参だ!降参!


「軍部大臣であり、侯爵家の主だからな。だからこそ期待している相手には最大限のもてなしをするさ」


「あら、つまりこれで私と旦那様との婚約は大きく前進したということかしら?」


「まあ、そうなるな。だが、まだ仮だぞ」


「そうですね。父上達に伝えますから」


「やった! やった! とても嬉しいわ!」


 この場にいる三者だけの合意ではあるものの自身の理想が叶ったリイナはまるで子供のように喜ぶ。こうしてよく見ると美人だし、今の様子はとても可愛らしい。婚約ともなれば誰もが羨む相手だろう。何せ幾人もの縁談を蹴った美女なんだから。

 まだ彼女については知らない事ばかりだけど、これから知っていけばいいか。彼女の様子を眺めていると、ついついそう思ってしまった。


「どうしたんだ、アカツキ大佐」


「いえ、意外と無邪気な方なんだなと」


「好きな者には一直線なのが我が娘だからな。良くも、悪くも」


 マーチス侯爵は軍で見せるような近寄り難い雰囲気ではなく、一人の父親としての穏やかな顔を見せる。彼もまた子を持つ親なんだと心はじんわりと温まる感じがした。

 このように話も纏まった所に外から扉がノックされる。入ってきたのはヨーク家の老執事で、夕食の用意が整ったとの事だった。


「では夕食としよう。前祝いも兼ねて、だな」


「ええ!」


「はい、行きましょうか」


 僕は微笑んで答える。

 朝からハプニングに巻き込まれ、旦那様呼ばわりの意味も知った今日。

 初勤務の日から怒涛の如く巻き起こった数々の出来事はこうして幕を閉じたのだった。

 …………父上達にはどう報告すればいいんだろうね。これ。

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