第205話



「嘘……でしょ?」


 テンジは驚きのあまり目を瞠ったまま停止していた。

 奴の体はすでに消滅し、再生できるだけの余力は残っていないはずだった。世界中どこを見渡しても、頭一つで体すべてを再生できるモンスターなどいるわけがない。死んだはずの生物が生き返るなど聞いたことがない。


 テンジは先ほど奴の瞳から生気が亡くなるのを、その目でしっかりと確認した。

 奴は確かに、一度死んだはずなのだ。


 頼むからもうそれ以上動かないでくれ。

 そう叶うはずのない願いを心の中で唱えつつ、再びテンジは獄王刀を握り締めていた。そしていつも通り中段に構えて戦おうとしたのだが――、


「あ……あれ?」


 ふらり、と立ち眩みがテンジを襲った。

 ほんの一瞬視界がブラックアウトし、自然と体が前の方に倒れていく。もう獄王刀を握れるほどの握力が自分にはないことにようやく気がついた。想像以上にテンジの体には負荷がかかっていて、限界はとうの昔に超えていたのだ。


 代償による負荷、そして生身で業火に巻き込まれた負荷。

 この二つの要因が自分でも気がつかないほどの疲労を蓄積していたのだ。はっきり言えば、テンジはすでに一歩も動けないほどに消耗していた。


 それでも慌てて態勢を立て直そうと、気力を振り絞って倒れる方向へと足を一歩踏み出す。なんとかぎりぎりで転倒は防ぐことができ、すぐに視界も通常へと戻った。


 そして――テンジは再び目を瞠った。


R生K!&'*鮫殺す


 すぐ目の前に、奴がいた。


 完全状態の半分ほどの体躯まで再生した状態で、テンジを丸ごと喰らおうとギザギザで大きな口をぱっくりと開けて、すぐそこまで来ていたのだ。そんなモンスターの瞳には、僅かに橙の色が混じっていた。何かが、先ほどまでのあいつとは違う。


 テンジとの距離――僅か三メートル。


 衝突までのコンマ数秒の世界の中で、テンジは悟ってしまった。

 今のボロボロな体の状態で反撃できる余地などないことに、すでに立ち眩みをしてしまった時点でテンジの負けは決まっていたのかもしれない。


 上手く腕に力が入らないから獄王刀を握れない。

 叫ぶ余力すら今のテンジにはなく、盾を発動することも叶わない。

 迫りくるその凶悪な顔を見ているしかできない。


 そう――ずっと思っていた。


 だけど、この世界に探索師はもっとたくさんいた。

 戦う気持ちを持っていたのは、テンジだけではなかったのだ。




「螺旋魔術――『輪回りんかい』ッ」




 テンジの肩を掠めていくように、背後から誰かの拳が通りすぎていた。


(――ッ!?)


 ただの拳なんかではないことは見てすぐに分かった。

 その拳には触れてはいけないほどの荒々しい、赤紫色の螺旋が可視化されるほどに纏わりついていたのだ。激しい嵐と表現するよりも、荒々しい嵐と表現したくなるほどの威力だった。


 その拳がモンスターの顔面へと真正面から叩きつけられた。

 それと同時に、合計で十二の打撃が奴の顔面をぼこぼこに歪ませていく。たったの一撃が、気がつけば十二の打撃に変わっていたのだ。


 その技術力はまさに一級品だった。


「ルガッ!? ルガァッ!?」


 不意に現れたその拳には、想像以上の力が宿っていた。

 モンスターは為すすべなく顔面を殴りつけられ、勢いで背後へと大きく吹き飛ばされていく。そのまま後方にあった大きな大岩へと後頭部から直撃すると、力なく腕を地面にへたり落としていた。


「嘘……この技って」


 テンジは息を忘れて、その光景に見入っていた。

 それと同時に既視感すら覚えていた。あの日、あのとき、テンジは今と同じように彼に助けられた。あの地獄から彼はテンジを救ってくれた。


 忘れられる訳がなかった。


 こんな赤紫色の螺旋を描く探索師なんて、たった一人しか思い浮かばない。

 誰よりも我儘で、誰よりも自由で、誰よりも最強な男――。



「痛ってぇぇぇ!? あいつクソ硬てぇんだけど!?」



 その自由奔放だけど、どこか頼もしい声を聞いてテンジは振り返っていた。

 まるで本物の英雄でも見るかのような無邪気な瞳で、いつも通りなその男を見上げる。


「リオンさん!」


 そんな子供みたいな瞳を向けられて、その男は若干引いていた。

 こっち見んなとでも言いたげにあきらかに引く仕草を見せていた。


「お、おう……そんな眩しい目でこっち見んな、気味悪い。まっ、とりあえず生きてて良かったわ、正直死んでると思ってた」


 そんな見え透いた嘘、テンジはとうに気がついていた。

 もう何日も寝ていないであろうくっきりとしたクマが目の下には見え、服装もボロボロでかなり無理してここまで来たことがすぐにわかるほどだったのだ。

 だけど、テンジはそれをあえて指摘することはしなかった。それよりもリオンがここに現れたという事実に、一筋の希望を見出していた。


 あの最強の零級探索師と呼ばれた男、百瀬リオン。


 彼がいれば、なんだって出来る気がしたのだ。


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