第206話



「リオンさん! リオンさん!」


「二回も呼ぶな、気持ち悪い」


 リオンはさらりと流しつつ、鋭い目線をモンスターへと向ける。ふとテンジはリオンの拳に目をやると、そこにははズタズタに腫れあがった痛々しい血が浮かび上がっていた。豪快に肉が抉られ、筋肉が見える箇所もある。

 それでもリオンはこんなの掠り傷だと言いたげに、患部に唾をペッと吐いて「よし、治った」といい加減な様子で顔を上げた。


「リオンさん、その傷は……」


「うるせぇよ。気にすんな、気持ち悪い」


「き、気持ち悪いって二回も言った……」


「探索師の『た』の字も知らんガキにとやかく言われたかねぇんだよ」


 若干凹んだ様子のテンジだが、次の瞬間にはこときれるように体からすぅっと力が抜けていき、何度目かの地面に片膝を着いてしまう。後を任せられる探索師が助けに来てくれたことで、気合いで保っていた気持ちが途切れてしまったのだろうか。僅かに瞳が霞んでいるようにも見える。


 そんなボロボロのテンジを横目で見つつ、リオンは真剣な眼差しでこう言った。


「さて、いい感じに弱ってるし仕上げといこうか」


 その言葉に反応するように、テンジの両脇を二つの影が通り過ぎていく。

 一つは素顔の見えない布量で顔を覆った男性、もう一つは全身をくまなくワインレッドの金属鎧で覆った背の高い男性だった。


 二つの後ろ姿を見たテンジは、リオンを見たとき以上に目を瞠っていた。


(オーブラカに、ジェイ!? まさか……そんなまさか!?)


 その二人はリオンやリィメイと同じ、零級探索師の位を持つ英雄と呼ばれる探索師だった。プロを目指しているテンジがその偉大な二人を知らないわけがないのだ。

 特にオーブラカは七年前のプーラの悲劇で『――悲劇が起こる前に俺を頼れ。金など腐るほどある、その前に懸命な判断を』と発言した張本人であり、彼に憧れてプロを目指すテンジ世代の若者は本当に多いのだ。


 あの面倒くさがりやなリオンが直々に集めたのだろうか。

 それとも海童が色々と手を回してくれたのだろうか。



 奇しくも七年前と同様に、世界を代表する零級探索師たちがこの場に集まった。



 そんなオーブラカとジェイはぼそりと皮肉を呟いた。


「何でお前がリーダー面してるんだ」

「その通りですね、私の方がリーダーには適任でしょう」


 鼻で笑うように全身を黒ずくめで覆うオーブラカが言った後に、もう一人のジェイがインテリなフレームの薄い眼鏡をくいっと持ち上げて言った。そして、そのまま二人は驚くスピードで一直線にモンスターへと向かって走っていく。


 ちょうどそのときだった。

 何が起こったのだと聞きたげに頭をぶるぶると振りつつ、モンスターが顔を上げる。


「ル゛ィ」


 地面に手を着きながら悠然と立ち上がるその姿は、まさに堂々としていた。

 リオンの不意打ち攻撃をもろに食らったはずなのに、モンスターは口元から血の塊を吐くだけで、何事もなく再び立ち上がった。これも伊吹童子の言っていた超越した自己治癒術の影響なのだろうか。それすら定かではないが、零級探索師渾身の一発でもモンスターは何事もなく耐えて見せた。


 そんなろくに攻撃も通じていないモンスターを見て、ジェイとオーブラカは僅かに目を見開く。


「ほぅ、中々に硬い……いや、異常な自己回復というところか? 回復後に顕れる筋肉僅かな微振動が見えた」


「そうみたいですね。防御ではなく、回復タイプ……私と似ているようで別物ですか。これは叩き応えがありそうだ、久しぶりに本気が出せそうです。では、まずは私が先鋒を――」


 ワインレッドの全身鎧をまとう温和な雰囲気のジェイが突然、鬼にでも乗っ取られたかのような獰猛な笑みを浮かべる。そして、狂犬のように叫んだ。


「『血砂強壮ヴァンプ・ドーピング』ッ」


 その瞬間、ジェイの白い肌には他人でも目視できるほどの青い血管が浮き出てきた。筋肉が一回り大きくなったと錯覚するほどに隆起し、爪が急激に伸びていく。その姿はまさに物語に出てくる『吸血鬼』のように傍からは見えた。


 零級探索師ジェイはとある二つの呼び名で親しまれている。


 一つは彼の硬い能力を象徴する『無傷のジェイ』。

 そしてもう一つは、その急変する戦闘姿からインスピレーションされた『リバイヴ・ヴァンパイア』という呼び名だ。


 ジェイが戦うとき、彼はまるで吸血鬼のように変貌し、そして絶対に傷を負うことがないのだ。ジェイが敵の攻撃によって血を流した姿を、人類は未だに見たことがないと言われている。だからこそ、彼は世界でも最高峰の探索師として名を馳せている。


「こ、これがジェイ。ヴァンパイアのジェイ」


 ジェイの能力による効果なのか、それともジェイの技量なのか。

 モンスターの視線は完全にジェイに釘付けとなっているように見えた。血走った眼のままモンスターは近づいてくるジェイの大盾に向かって、鋭い爪を振り下ろす。


 そして――激しく両者は衝突する。


 たった一度の攻防。

 その一瞬の攻防だけで甲高い金属の音がダンジョン内に鐘のごとく響き渡った。見たこともない七色の火の粉が散り、目を覆いたくなるほどの閃光が二人の間に生まれる。そんな攻防が何度か続いた、次の瞬間だった。


 天候変化が起こらないはずのダンジョン内の空が、突然暗くなった。

 あれほど晴天だった空が気がつけば、どす黒い雨雲に覆われていたのだ。


「――『雷雲レイクラウド』ッ」


 オーブラカの白い杖が振るわれる。

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