第186話



 ゆらり、と炎鬼刀の炎の性質が変わった。

 そのおどろおどろしい地獄の炎を見て、モンスターにはないはずの肌がぶるりと寒気に襲われていた。皮膚なんて無いはずなのに気が付けば鳥肌が立たような感覚があった。


 そして瞬時に理解してしまった。



 この炎を食らい続けてはいけない、と。



 なぜかと聞かれると、はっきりと答えられるだけの知識はない。

 生まれたてのモンスターにそんな高度な回答を要求するのは不可能というものだ。

 言ってしまえば、その白いモンスターは生まれたての小鹿同然の生き物でしかない。


 分からないものは分からない。


 だけど本能がダメだと警告を鳴らしているのならば、それは受けてはダメな攻撃なのだ。

 奴にとってはそれだけが正解だった。


 自分の本能だけが唯一の正解だったのだ。


 この炎攻撃は食らってはいけないのに、思うように体が動かせない。

 全身を氷塊で凍らされているかのように、眼球一つ、指先一つ、足先一つ動かすことができなかった。


「――『炎墳』ッ」


 何もできぬまま、テンジが残り数歩という距離から炎鬼刀を振りかぶる。

 両手で構えられたその刀の地獄炎は、通常の燃え盛り状態よりも五倍以上の、凝縮された地獄属性の炎を纏った。


 スキル『炎噴』は確率発生型の能力。

 四回に一回、つまり25%の確率で攻撃力を500%アップさせる。


 その四回に一回の確率が、成功した。


 テンジの現在の攻撃力が「37,767」であり、これを五倍した数値はを遥かに超える威力にまで膨れ上がっていた。

 そんな明らかに膨れ上がった炎を間近で見てしまったモンスターの生存本能が、最大限の警笛を全身に鳴らす。


「T△I;#$“%”Lu!?!?」


 奴が何かを訴えるように叫んだ。


 しかし、テンジはそれを上手く聞き取らなかった。

 奴の言葉に耳を傾けるだけの意識の余地が、今のテンジにはなかったのだ。


(な、なんだこれ!?)


 テンジ自身もその膨れ上がりすぎた火力に対し、内心で驚いていた。

 今までの訓練で、ここまでの炎を炎鬼刀が身に纏ったことなんて一度もなかった。何度も何度もこの『炎墳』のスキルを試し打ちしたし、実践で使えるように訓練を欠かしたことはなかった。それこそ、自分でも扱える範囲の攻撃威力だったはず――なのに。


(おかしいぞ!? なにが起こっている!?)


 何かが確実におかしい。


 確か、閻魔の書の説明欄にはこう書かれていた。『――25%の確率で、攻撃に地獄火炎(500%)を上乗せする』と。そう、そこには確かに500%という正式な表記があった。

 それが上手く成功すると、炎鬼刀が纏う炎が三倍程度に大きく変化し、炎の一部が青く燃え上がる、そんな効果が現れるはずだった。


 だけど、今の炎鬼刀には大きさの変わらない炎があった。


 何かがいつもと違う。


 今にも自分の手から零れ落ちそうなほどに、その炎が暴れ始めており、正直今のテンジにはその炎鬼刀を手放さないようにしっかりと握っているのが精いっぱいな状況だった。

 意図せず、白き炎刀が火力の暴走に襲われ、手の内でカタカタと暴れ出している。


 必死に抑えつつ、テンジは戸惑う。


(ダメだ!! これ、振れないぞ! できるのは、できるのは……今の僕にこの暴走した炎鬼刀を扱う技術は――)


 コンマ数秒の世界の中でテンジは必死に今までの訓練を思い出す。

 その多くは炎の属性を最大限生かすために、刀を振る、という動作に着目して千郷と数か月訓練してきた。まだまだひよっ子程度の技術力しかないが、それでも実践で使えるレベルにまで到達した。


 刀を振る、以外の技術が今のテンジには求められていた。


 手に余る火力を纏った炎鬼刀を、今のテンジは振ることはできない。

 振ったが最後、刀の暴走に力負けして、手の中からすっぽ抜けてしまう未来しか見えてこなかったのだ。


 振らない技術――そう考えたときにテンジの脳裏には一人の少女の、太陽のような明るくて純粋な笑顔が思い浮かんできた。


 マジョルカに来てずっと、一緒にいてくれた少女。


 パインとはよく一緒に講義を受けた。


 そんなパインがよく使っていたのが“突き”の攻撃方法。


 彼女の天職特性、暗殺、を活かすには最も効率的な方法が突き技だったのだ。


 テンジに上手く突き技を放つような技術は、まだない。

 だけど、この手の中から刀さえ零れなければ、技術なんて不要なほどの超火力があった。


 覚悟を決めたテンジの瞳は、僅かに白い炎が揺らいだ。




『クヒッ……ようやくだ』




 テンジとモンスターの衝突の寸前。


 ここにいた全員の脳内に、酒に酔って喉が焼けたような声が響き渡った。




『力を貸してやろうか? 未来の王よ……いや、小僧』



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