第172話



 少しでも自己回復スキルの発動が遅ければ、リィメイ学長はとうに息絶えていたかもしれない。今はなんとか自己治癒で血の流出を遅らせている危機的状況だった。

 それ以上の治癒は進行していなかった。リィメイには意識がもうないのかもしれない。


 それほどに今の状況は切迫していた。


 このまま何も手を施さなければ彼女はすぐに死んでしまうだろう。

 本格的な治癒が必要だとテンジは瞬時に理解した。


 しかし、今のテンジに彼女を治癒できる手段はなかった。


 鬼灯アイテムには致命的な欠陥があったのだ。


「僕は応急処置しかできないけど……」


 テンジはすぐに行動を起こした。


 閻魔の書を手に取ると、地獄婆の売店から『HP回復鬼灯』と『三途の川の源流水』を6ポイント消費して購入した。一切の惜しむ動作をせずに、ここぞとばかりに買ってみせた。

 大切に大切に溜めていたポイントではあるが、こういうときこそ散財するときだと決めていたテンジに躊躇いの様子は無かった。


 ただし、これは裏技的な応急処置でしかない。


 HP回復鬼灯はでかみ砕き、胃の奥へと押し込まないと効力をあまり発揮してくれないという性質があった。理由はまだ不明だが、鬼灯アイテムの効力を最大限に発揮するには「強力な意志」が必要になってくる。


 もちろんそんな意志なんて、瀕死状態のリィメイ学長に求められる訳がない。


 それでも少しの間時間を稼ぐことができれば――いつか治癒系統の能力を有する探索師がここにやってくるかもしれない。ここは戦場の真ん中だけど可能性は十分にあった。


 少しでいい、もう少しだけ生きていてくれ。

 そんな意志を籠めてテンジは鬼灯をすり潰すように握り締め、アルミ缶の中へと放り込んでいく。僅かに缶を振って水と鬼灯を混ぜ合わせると、それを傷口へと迷わず振りかけた。


 ほんのりと赤みがかった液体が、ジュゥーと皮膚を焦がしていく。


「うぅ……」


 一瞬、リィメイ学長は痛みのあまりうめき声をあげた。

 消えうせそうなほどにか細く、近くにいたテンジでも聞き取るのが精いっぱいな声量であった。心の中で「ごめんなさい、我慢してください」と謝りつつも、テンジは容赦なくそれをすべての傷口へと振りかけていった。


 すぐに血の流出がぴたりと止まった。


「これ以上は今の僕には無理です。もう少し耐えてください、その間は……僕があなたを守りますから」


 テンジは優しく耳元で声を掛けると、そっと静かに立ち上がった。

 気が付けば再召喚されていた炎鬼刀が片手に握られており、傍には二本の炎鬼ノ対剣がふわふわと意志をもって浮かびあがっていた。


 そんな二人の周囲には、すでに子飼いのモンスターたちが近づいてきていた。


 千郷と福山は「任せて」とは言っていたが、さすがにたったの二人では無限に湧き出てくる子飼いのモンスターすべてを誘導するのは不可能だとテンジも分かっていた。

 千郷はいわゆる万能型でどこかに特化したような能力は少ないし、福山は前にも言っていたように半一等級以上のモンスターに対しての有効な攻撃手段を有していない。


 せいぜい数秒か一分。

 その時間を稼ぐことが精いっぱいなことは最初から知っていた。

 でも助かった。あの機転がなければ、リィメイに応急処置すらできずに最悪の未来が待っていたかもしれないのだから。


(誰かを守りながら戦う方法なんて僕は知らないけど――)


 心の中でそう前置きを立て、テンジは炎鬼刀を天へと掲げた。


「『斬結』ッ」


 ボワッ、と。

 赤黒い炎の柱が空へと駆け上っていく。


(誰かに知らせることはできる。モンスターを倒すこともできる。だから――)


 続いて、炎鬼刀を水平斬りの型で構える。

 再び――ぼぅと赤黒い炎が炎鬼刀を包み込んだ。


「もう少しだけ頑張ってください。僕はあなたにまだまだ聞きたいことがたくさんあるんです」


 静かに空気を吸い込み、意識をリィメイからモンスターへと切り替えていく。

 そして迷うことなく炎鬼刀を振り抜いた。


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