第173話



『*%J9!WE〇?C=#!LUu……Q7&$“▽LUu』


 静かに、が呟いた。


 ここにいた誰もが聞き取ることのできない言語で、何かを言った。

 いや、違う。翻訳機オレリアにこの世界中で翻訳できない言語なんてほとんどない。むしろできない言語を探す方が難しいほどだ。

 大国の言語から、小国の言語、島国の言語、少数民族の言語までオレリアは対応している。


「ど、独自の言語…………なのか?」


 アレクがありえないと言わんばかりに、細目を大きく見開いた。


 ロシア最恐ギルド、その総隊長を務めるアレクサンドロ・アドフォカート。

 アレクの腹には大きな血痕が染み広がっていた。奴に大きな打撃を食らっていたのだ。

 少しでも体力回復を図るために近くの木に背中を預け、ギルドから連れてきた回復役の隊員に治癒をしてもらっていたところ――奴が何かを喋った。


 誰に、というわけではない。


 この場にいた探索師のほとんどを戦闘不能にすると、途端にふわりと浮かび上がり、少し上の空へと飛び上がって立ち止まった。

 音もなく飛び上がった奴は静かに一言、そう言ったのだ。


 そして――そのままぴたりと動かなくなった。


 ここは戦場には似つかわしくない静けさが支配していた。


「なんなんだアイツは」


 そう言ったアレクの表情は、なぜか悔しさで満ち溢れていなかった。

 いつもならば小さな敗北でさえ、ライオンが吠えているかのように叫び散らかし、たびたびギルド隊員を困らせるほどに凶暴だと知られているアレク。


 だけど、今のアレクは逆に清々しいほどの表情を浮かべていたのだ。


 いつもとは違うアレクに疑問を感じながらも治癒役のギルド隊員は強気に注意する。


「アレク! あまり喋らないでください! 傷口が開きますので!」


「あぁ、そうだな」


 その隊長の細い瞳は何を見ているのだろうか。

 彼女にはわからなかったが、大人しくしている隊長も珍しいので一気に効力をあげて、アレクの痛みなどまるで気にせずに回復効果を全力で捧げていく。


 彼女の天職は少し特殊で、回復効果に対して痛みが伴う。

 効力を上げればその分回復効果を上昇させることができ、逆に痛みを押さるように効力を押さえれば回復効果も比例して弱くなる。

 だが、彼女の治癒効果は他の治癒系探索師なんかよりもよっぽど優れた能力だった。


 その能力を最大限に発揮すれば、麻酔無しで臓器をまさぐられるほどの痛みを伴う。

 なのだが、アレクはまるで痛みなど知らないと言わんばかりの無表情でジッと空にいる奴を見上げていた。


 それからすぐにアレクの傷口は完全に塞がった。


「ババアのところに行け、こっちはもう十分だ。吹っ飛んでった場所はわかるよな?」


「了解です、問題ありません。記憶しています」


「さっさと行け。邪魔だ」


「はい!」


 これは隊長なりの優しさだと隊員も理解していた。

 不器用なアレクは勘違いされがちだが、誰よりも周囲を見ていて、誰よりも命が無闇に散ることを嫌っている世界屈指の探索師なのだ。だから、こんな不愛想な総隊長にも優秀なギルド隊員が付いてきてくれる。プラービリナは総隊長の意向で家族意識の強いギルドなのだ。


 治癒役の探索師が立ち上がろうとした、ちょうどその時であった。


 ボワッと遠くの方で何かを伝えるような炎柱が立ち昇った。

 それを見たアレクは小さな声で「良い判断だ」と呟いた。


「行け。ババアはあっちだ」


「はい!」


「ガッツもついていけ。雑魚が一人であそこまでたどり着けるわけがない」


「了解です隊長、十分お気をつけて」


 彼女は近くで待機していた同じギルド隊員の男性と一緒に駆け出した。

 炎柱が上がった場所は鮮明に覚えている。一心不乱に二人は走り続けるのであった。


 そんなギルド隊員を見送ったアレクは、ぴくりとも動かなくなった奴を見上げる。

 ちょうど視界には寝待月に重なるやつの白と黄色と橙色の体躯が映る。見たことも聞いたこともない配色のそれに、ぞわりと悪寒が襲ってくる。


 そして――。


 隊長クラスのオレリアのみに搭載されているとある信号ボタンを、アレクはそっと押した。

 ザザッと雑音交じりの通信音が鳴ると、この階層で戦っている全探索師のオレリアとアレクのオレリアがリンクした。


 ゆっくりと冷静な声で言った。


「メイン級モンスターの討伐は不可能。繰り返す、メイン級モンスターの討伐は不可能。ババアの秘書、聞いているか? どうせお前は見えていたんだろ? こっちは壊滅状態だ。ラストオペレーションを今すぐに実行しろ。こっちはそれまでの時間稼ぎに舵を切る」


 この通信を機に、全探索師の作戦が切り替わった。


 マジョルカが最後の砦としてオレリアに搭載していた機能、ラストオペレーションが実行されることに決まったのだ。

 これはマジョルカ内で対処不能なモンスターが現れた有事に発令される、のことだった。そしてこの戦場では隊長クラスの彼らにもその権限が許されている。


『こちらイロニカ、了解』


 静かに怒り燃ゆる、イロニカの声がオレリアを通じて響き渡った。



 † † †



 ――【?????】



「やぁ、おはよう!」


 とある高層ビルの屋上で誰かが言った。

 下に広がる人間の街を見下ろしながら、ニンヤリと気味の悪い笑みを浮かべて。


「ん? 私が誰か、だって? そうだねぇ……」


 少しおかしそうに笑い、顎にそっと指を置く。

 どう説明しようかと考えるようにうーんと唸り、良いことでも思いついたように声高らかに言った。今日は嬉しい嬉しい誕生パーティーなのだから。


「ハッピーバースデイ……友よ。これからよろしくね、私たちは同志だ。あっ、あと言葉下手くそだね君。今度教えてあげるよ、ついでに人間の言葉もね。覚えると便利だよ?」




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