第109話



 心の中に燻っていた付き物が、気持ちよく吹く木枯らしの風に洗い流されていくようだった。


 ようやく自分が悪魔に勝ったことを実感し始めたテンジは、ふと視線を青空から、遠くに避難していた四人の元へと戻した。

 視線の先には、パイン、チェウォン、ミナ、ジョージの三人が映る。

 彼らはテンジが時間を稼いでいる間に、遠く離れた安全圏内へと避難していた。安全圏内というのは、試験を見守っている教師たちがすぐに介入できる範囲のことだ。


 痛々しい姿で地面に座っている三人の元へ、テンジはゆっくりと歩き始めた。


 彼らの瞳は、テンジを見る目が百八十度変わっていた。

 落ちこぼれな剣士としてのテンジではなく、自分たちよりも遥かに優れた探索師の卵であるテンジとしてだ。


 少しテンジは恥ずかしさを感じつつも、武器や小鬼たちを仕舞いながらゆっくりと近づいていく。


 ――そんな時だった。


 生徒の四人全員が試験の最初に渡されていたゴーグル。

 彼らはベルトに引っ掛けていたり、腕に巻いていたりと様々な場所で所持していたそれから、突然音が鳴り響く。


『制限時間になりました。これにて、前期実技演習1-Aクラスの部が終了です。お疲れ様でした。もう一度繰り返します。制限時間になりました――』


 開始時と同じで、試験の説明をしてくれたイロニカの終了アナウンスが響き渡ったのだ。

 四人はほとんど同時にびくりと体を震わせ、一斉に肩の力を抜いた。


(あーあ、本当にどうしよう)


 テンジもホッと肩の力を抜き、やってしまった事実にこれからどう対応していくのだろうと、少し先の未来を思う。

 やってしまったことは仕方ないが、千郷とリオン、海童との約束を破ったことには変わりなかった。

 彼らと約束したのは『ベテラン一級探索師相当の強さと技術を習得するまでは、天職について、強いては天城典二という存在について隠し通すこと』ということだった。


「まぁ、大丈夫になることを祈ろうかな。リィメイ学長も……」


 テンジが一人で虚しく呟いた、その時だった。

 肩にぽんとしわしわなお婆ちゃんの小さな手が置かれたのだ。

 気配も、音も、何も感じなかった。

 そのことに驚きつつも、テンジは反射的にその方向へと振り返った。


「お疲れ様、テンジ。見事な戦いだったわ」


「……リィメイ学長」


 さすがは『光の魔女』なんて呼ばれる、上位四人の一角であるウルスラ=リィメイだと思ってしまう。

 何もかもが別格で、テンジは彼女の近づいてくる動作を何一つ察知できなかったのだ。


「怪我は……浅いようね。でもまぁ、私が直々に直してあげましょう。――『オレオール・リカバリー』」


 リィメイ学長が無表情のまま懐から十五センチほどのローズウッド色の杖を取り出すと、空中にくるくると光る文字を描き始めた。

 そうして文字が描き終わると優しく文字の周囲をぐるりと杖で囲み、この開けた広場に天からの後光が差し始めた。


 その神聖で美しく、母のような温かさを感じる光は、テンジやパイン、チェウォン、ミナ、ジョージの体に降り注いでいく。


「うわぁ!?」

「す、凄い……一瞬で癒えたわ」

「これが零級探索師の能力……」

「嘘だろ……光の魔女は火力型の魔法師だったはずだ。しかしこれは一体……」


 温かな光は瞬く間に生徒らの傷を癒し、塞いでいき、新たな皮膚や筋肉を再生し始めたのだ。

 光の魔女であるウルスラ=リィメイは、世界でも最高峰の攻撃型魔法師として知られている。どこの国の教科書にもそう載っているのだ。

 そんな彼女が、回復役すら唸るほどの回復能力を使って見せた。


 その事実が、生徒たちを驚きの渦へと巻きこんでいた。


「もう大丈夫ね。皆、お疲れ様。あとはイロニカが迎えに来るまでここで大人しく待っていなさい」


 リィメイ学長は颯爽と現れたと思いきや、すぐに踵を返してこの場を離れようとした。

 と、そこで思い出したように体を生徒たちに向き直した。


「あぁ、そういえば忘れてたわ。……やっぱりお婆ちゃんになると記憶力が低下するわね。不便でならないわ」


 すたすたと少し早歩きで生徒五人の元へと近づき、徐に口を開いた。


「モハメット・パイン、ソン・チェウォン、ユ・ミナ、ジョージ・マクトイーネ」


「「「「は、はい」」」」


 突然、怒っていると見間違えるほどの冷徹な顔をしたリィメイ学長に、彼ら四人は思わず姿勢を正して機敏に返事をした。

 そのリィメイ学長が一人一人の瞳をじっくりと見つめ、口を開く。


「彼、アマシロテンジについての一切を口外禁止とします。約束を守れない者は……そうね、私が直々に処分してあげるわ」


 冷酷に言い渡された処分という言葉に、四人は一斉に唾をごくりと飲み込んだ。

 そしてすぐに首を縦に何度も振って、肯定の意を示した。


「それじゃあね。私は仕事に戻らないと」


 そうして再び、リィメイ学長はすたすたとこの場を後にしたのであった。

 その場に残った生徒たちは呆気にとられながらも、自然とその視線はテンジに向かった。


「俺は戻る」


 そこでジョージがぶっきらぼうに言葉を吐くと、堂々とした足取りでこの場を離れ始めた。そのまま森の中へと入っていき、開始地点の噴水広場へと一人で戻っていくのであった。

 相変わらずな不器用さではあるが、テンジたちは空気クラッシャーなジョージがいなくなったことに、少し安堵していた。


「ねぇ、テンジ」


 今しか話を聞く機会はないかもしれない。

 そう考えたチェウォンが、ゆっくりとテンジに問いかけようとする。


 しかし、テンジは有無を言わせずに首を横に振った。


「ごめんね、今は何も言えない。支援者とそう約束してるんだ。いつか話せるときが来たらきっと……そのとき話すよ」


「そう、やっぱりそうなのね。召喚系、知能を持つ生物の召喚、武器の召喚、高校一年生とは思えない異常な身体能力……これで合点がいったわ」


「だから僕は何も話せないよ?」


「話せなくとも推測はできるわ。剣士と偽っているのも、その異様な天職の隠れ蓑なんでしょ? それで……そうね。一定の習熟を迎えるまでは秘匿に専念していた、と。そんな感じかしらね」


「何も言えません」


 テンジはぐいぐいと迫ってくるチェウォンに対し、何も言えないということを表すために、自分の両手を口で塞いでアピールする。

 それでもチェウォンの追撃は止まない。知識欲は、彼女の根幹にある欲求なのだ。食欲よりも、性欲よりも、彼女は知識欲を優先する。


「天職が発現してどれくらいでその力を手に入れたの? 等級は? ブラックケロベロスと戦った感想は? 彼女は? お父さんは? お母さんは? ギルドはもう決まってるの?」


 興味が先行しているのか。

 それとも気になって気になって、仕方がないのか。

 チェウォンがぐいぐいと迫っていく中で、テンジの肩を鷲掴みにした。


 その時だった。


 テンジは運悪く石ころに足を取られ、そのまま後方へと倒れてしまったのだ。

 テンジに体重の一部を預けるように迫っていたチェウォンも、その転倒に巻き込まれる形で前かがみに倒れていく。

 そしてチェウォンがテンジを押し倒したかのような構図が完成していた。


「あっ」

「ふ~、チェウォンのエッチぃ~」


 パインの素な驚き声と、茶化すようなミナの声が上がった。


 カァァと、チェウォンとテンジの耳が真っ赤に染まった。そのまま顔まで真っ赤に染まり、至近距離にあるお互いの瞳を見つめ合う。

 近い、異性の顔がこんなにも至近距離に。

 お互いにこういった経験は皆無だったこともあり、二人の鼓動は加速を止めてくれない。


 そこで顔の赤みが絶好調に達したチェウォンが、慌てて立ち上がり、ぷいっとそっぽに顔を背けた。

 テンジも顔を真っ赤に染めながら、恥ずかしさのあまり地面にあった小さな雑草を見つめる。


「ご、ごめん、テンジ」


「う、うん……まぁ、今のは仕方ないって言うか。……事故だよ! 事故!」


「そ、そう! 今のは不慮の事故!」


 この日から、チェウォンとテンジは気まずい関係になった。


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