第108話



 両者が鋭い眼光をぶつけ合っている。

 ふわりと風が靡き、それが突風へと変わると毛並みや衣服がばさばさと音を鳴らす。


 それが開始の合図となった。


「グロォォォオッ!」


 ブラックケロベロスが一直線に加速し駆け出した。

 しかしテンジもほぼ同時に地面を蹴り出し、敵の接近から距離を離すように、敵に対して九十度の真横に向かって全力で走り出す。

 顎下を失い遠距離攻撃に乏しくなったブラックケロベロスは、その青年を全力で追う。


(なるほど、これは……)


 逃げて隙を伺うテンジは、瞬きの間に切り替わっていく戦場の様子を隈なく観察して、一つの結論をすかさず導き出した。

 二人の距離が徐々に縮まっていたのだ。じりじりとブラックケロベロスの殺意が背中に迫ってくる。


(速さは若干僕の負け、か。これは困った……折角、千郷ちゃんにリングアイテムを借りたって言うのに)


 少しずつ間合いを詰められている状況に、テンジは戸惑いを見せる。

 それでもこの半年間は、白縫千郷という世界でも稀に見る天才と、二人三脚で探索師としての技術を培い、模索し、スタイルという名の自分の形を築き上げてきた。


 その集大成を、今ここで発揮するのだ。


「来いっ! 第一小鬼隊っ!」


 テンジは不意に体を半身にさせ、体を後ろに流しながらも、片手を後ろへと突き出した。

 ブラックケロベロスとの中間距離に、地獄獣小隊という名の障害物を正確無比に召喚して見せたのだ。その精度は喉を唸らせるほどには高い。

 ブラックケロベロスがテンジの背中に攻撃を仕掛けようと、さらに一段と加速を見せたそのタイミングを見計らって、次足の着地地点に一寸の狂いなく地獄ゲートを出現させていた。


 要するに、ブラックケロベロスは地獄ゲートの沼に足感覚を奪われていた。


 地獄ゲートの謎空間には、ぬるっと肌身に纏わりつくようなあの油膜で満たされている。

 突然、固い土の地面からぬるっと変わった地面に、ブラックケロベロスは大きく態勢を崩される。


 そして――。


 ブラックケロベロスが気が付いたときには、ときすでに遅かった。

 百八十度態勢をひっくり返し、優雅でのどかな青空を仰いでいたのだ。


「グロォ?」


 転倒したブラックケロベロスは、思わず素っ頓狂な声を上げる。

 そんな悪魔のすぐ傍に、召喚されたばかりの第一小鬼隊が待ち構えていた。


「天星解放ッ!」

『おん!』


 テンジの指示を聞くまでもなく、小鬼たちは天星スキル『岩砕き』を発動し、常人離れした怪力をその身に宿す。

 そのまま二十体すべての拳が、四方八方から無防備なブラックケロベロスを襲った。


 ゴキッ。

 ゴキリッ。

 ボキッ。

 ボクッ。


 悪魔。

 ブラックケロベロスの体中から、異様な音が鳴る。


 一方からの攻撃ではなく、多方面からの同時攻撃が決まったことで、体中に複雑なベクトルが刺さり効果を数倍に増大させたのだ。

 テンジも数による多方面同時攻撃の威力を知っていたからこそ、瞬時の判断でこの手に打って出ていた。


 正確無比な召喚を可能にするための洗練された空間把握能力に、小鬼たちと半年以上も掛かって培ってきた信頼関係。

 これらが上手く噛み合ったことで、因縁深いブラックケロベロスに強烈な一撃をお見舞いできた。


「グ……グロォォォォォォォォォォォォオッ!?!?」


 初めて感じる全身の叫び声に、ブラックケロベロスの哀愁漂う咆哮が鳴った。


 体中のあちこちが痛い。

 出血、内出血、筋肉損傷、筋肉断裂、粉砕骨折、剥離骨折、解放骨折。

 その一瞬でブラックケロベロスの体には、様々な過度の怪我が増えていた。腹の辺りからは、皮膚を突き抜けて真っ白な骨が薄っすら見えている。


「散ッ!」


 先ほどと同じように一瞬の出来事で小鬼たちが潰されないようにと、テンジはすかさず距離を離すように指示を飛ばす。

 ポイントも無限に湧くわけではない。理性がブレーキを掛けるのも当たり前のことだった。


 悪魔とテンジの距離は、約40メートルほど。


 痛々しい姿にされたブラックケロベロスと、未だに枝で斬れた掠り傷しか負っていないテンジ。その周囲には、約二十体第一小鬼隊が臨戦態勢で待ち構えている。

 そこにテンジは、さらに二十体の第二小鬼隊を召喚する。


「召喚、第二小鬼隊」


「グロォォォォォォオッ」


「どうやら……数と攻撃力はこちらに分があるようだな」


 痛さのあまり半分ほど霞み始めた朱色な瞳が、小鬼たちに守られるように遠くの安全圏内で佇む不気味な青年を捉える。


 不気味だ。なんなのだあれは。


 ブラックケロベロスはそう思っていた。

 自分の方が全て勝っているはずなのに、先ほどから一方的に攻撃されている現状がおかしいと。

 だが、その答えはいくら考えても生まれたばかりの赤子の頭では出てこない。もう少し生まれるのが早かったならば、未来は違っていたのかもしれない。


「なんでかな? 少しずつ余裕が出てきたよ」


 その不気味な青年、テンジは他意の無い綺麗な笑みを浮かべながらそう呟いた。


 今の段階では全てが通用している。

 テンジがこの半年で何度も何度もシミュレーションしてきた小鬼たちの有用な活用スタイルが、全てあの悪魔に通用しているのだ。


 テンジはこの半年間を、ただの経験値ゲームにした覚えなどない。

 召喚の可能性を、小鬼の可能性を、赤鬼の可能性を、最大限の活用方法を。千郷という戦いの化け物と二人三脚で考え、考え、考え抜いてきた。

 濃すぎて、過ぎ去った時間をあっという間に感じるほどには、濃い半年間を過ごしてきた。


 例え格上相手の戦いであろうと、千郷は幾度となくテンジを崖の下に落として無理難題を吹っ掛けてきた。


 何のために?

 そんなの簡単だ。簡単すぎて、テンジにとっては当たり前のことだった。


「僕はずっとだ……ずっとなんだよ。その黒い三つ首を忘れた日なんて一度もなかった。何度悪夢を見て、何度死を経験したと思う?」


 あの日からずっと。

 自分の肉を目の前で喰われ、死を意識したあの日から――。


 ずっと怖かったんだ。


 恐怖を心の底に隠し持ち、今日という日まで平然としたフリをして過ごしてきた。

 現実だけじゃない。眠れぬ夜は、三つ首のモンスターに何度も夢の中で殺され、喰われ、死に続けてきた。


「グロォォォォォ」


「だから僕は今日――その悪夢を超えるんだ」


 テンジの想いが、心の底にあった重たくて冷たかった感情が、とめどなく溢れ出てくる。

 言いたい。もっと言いたい。

 あのときどれだけ怖かったか、それだけ地獄を見たか、どれだけ……どれだけ……。


 ブラックケロベロスの意識はすでに朦朧としていた。

 何を言っているのかはわかる。自分と同じである種を憎み、恐怖し、倒そうとしているのだと。奴の目は、そんな瞳だ。

 わかっていたからこそ、ブラックケロベロスは種としての最後で最高な技を使うと決めた。


 ふらりとボロボロな四肢で前に一歩踏み出し、地面に力強く踏ん張りを効かす。

 渾身の黒いレーザーは、スキル『死に寄り添う咆哮デス』によって生み出される即死効果を持つ遠距離砲だ。それを最後の一撃と決め――。


 下顎の無い口元に、黒い球体が渦を巻き始める。


「小鬼くん、小鬼ちゃん」


「おん」

「おん」


 その予備動作を見逃さなかったテンジは、自分の傍に二体の小鬼を呼び寄せた。

 小鬼くんの手には禍々しいオーラを放つ切れ味特化の赤鬼刀が、小鬼ちゃんの手にはおどろおどろしいオーラを放つ瞬間火力特化の赤鬼大剣が、それぞれ握られている。



 そして――因縁の戦いは終焉を迎える。



「グロォォォォォォォォォォォォォォォオッッッッ!!」


 生気を全力で込めた渾身の漆黒レーザーが、テンジの眉間目掛けて放たれた。

 今までの中でも最高の速度、最高の威力、最高の輝きを放っていた。


「「おん!」」


 その過去最高のレーザー攻撃に対し、小鬼くんと小鬼ちゃんの二人が主を守るように立ちはだかる。地獄武器を前方に構え、受け流そうと二本の業物を盾のように構えた。

 そしてブラックケロベロス最後の攻撃は、二体の小鬼に呆気なく受け流された。


 そのときを見計らって――。


 周囲で待機していた残り十八体の小鬼たちが、再び天星スキルを解放。


 ブラックケロベロスに向かって最後の突撃を仕掛けた。


「グロォォォォォォォォオッ」


 それでも残りカスである最後の力を振り絞きり、ブラックケロベロスは体に纏わりついていた、自分の命にも等しい漆黒の陽炎を周囲に解き放つ。

 その威力は絶大で、周辺一帯にあった草木、地面、虫、生物……何もかもが、瞬時に蒸発してしまう。


 風前の灯すら残っていない悪魔の体は、一回り小さくなり、小さく燃ゆる漆黒の炎だけが僅かに灯っていた。



「これで悪夢とは……さよならだ」



 悪魔の三つ首が同時に、宙を舞った。


 パッシブスキル『爆破』、パッシブスキル『貫通』。テンジの振りぬいた赤鬼ノ短剣には二つの確率スキルが重複発動していた。

 まるでこの時のために運をずっと溜めていたかのように、渾身の確率が炸裂したのだ。


 バチバチと爆破の火種を刀身に纏いながら振りぬいた短剣は、一度の剣戟で、三つの首を胴体から斬り離した。


 血をまき散らしながら宙を舞った三つ首の瞳から、生気が消える。

 少し遅れて胴体が力なく横に倒れ、三つの首が時間差で地面に転がった。

 そうして間もなく、悪魔の体は端から魔鉱石へと変わっていく。


「……勝てたよ」


 悪魔の死骸のすぐそばに、その青年は立ち尽くす。


 テンジは両手をだらんと重力に従って下げ、木枯らしの音に耳を澄ませる。

 赤鬼ノ短剣の剣先から、ぽつりぽつりと赤い鮮血が落ちていく。

 テンジは死骸を見下ろさずに、涼しいほどにスカイブルーな空を仰ぎ見た。


「無駄じゃなかった。……僕の努力は何一つ無駄なんかじゃなかったんだ」


 あの恐怖から半年。

 死に物狂いで努力してきたテンジは、無駄なことなんてないと知った。


 青年の中で恐怖の象徴であったブラックケロベロスを、その手で討伐できたのだ。


 恐怖という名の壁を今日ようやく、その手で超えたのだ。




《種族の経験値が満たされました。天城典二のレベルが上がりました》


《天職の経験値が満たされました。特級天職:獄獣召喚のレベルが上がりました》


《レベル5に到達しました。新たな召喚獣との扉が開かれました》

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