第93話



「おはよう、千郷ちゃん」


「ん……おはよう。今日、いつもより早い?」


 いつも通りな千郷がだらしない格好で二階から降りてきた。

 欠伸をしながら出ていたお腹を掻き、ゆっくりと朝ごはんの置かれた席に座った。座れば猫のように大人しく食べ始める千郷は、思春期な男子高校生と住んでいるというのにも関わらず少し無防備すぎるくらいだ。


「今日は実技テストの日だからね。千郷ちゃんも午後から二年生の実技テストを担当するんでしょ? 二度寝して寝坊しちゃだめだからね」


「……努力はする」


「また寝坊したら、イロニカさんに減俸言い渡されちゃうよ」


「それは嫌だ。起きるもん」


「頑張って。それじゃあ僕はもう行くね。朝ごはん食べたらお水にちゃんとつけておくんだよ?」


「あっ、ちょっと待って」


「ん?」


「これ貸してあげる。大事に扱ってね?」


 千郷が眠たそうな表情で自分の小指からローズピンクのリングを抜き、それをテンジへと渡そうとする。

 その指輪はクジャンベアーと戦ったときにも貸してもらった、速度が1.75倍も上昇する非常に貴重な指輪アイテムだった。


「いいの? じゃあありがたく貸してもらおうかな」


「うん、頑張ってね、テンジママ」


「じゃあ行ってきます」


「いってら~」


 毎朝だ。

 母のように煩いテンジをいつの日からか、寝起き限定だが千郷は「テンジママ」と呼ぶようになっていた。

 逆に、テンジは寝起きだけは年下の子供にしか見えない千郷を子供のように扱うのだ。

 なんだか、初々しい夫婦のような関係だ。しかしその実態は、千郷がテンジを雇う形の雇用関係が書面上でも成り立っている。それに、二人はただのシェアハウスに関係でしかない。それ以上でも、以下でもないのだ。


 テンジはソファに置いておいたバッグを勢いよく背負い、嬉しそうに嵌めた指輪を眺めながら家を出た。その後姿を千郷はぽけーっと見つめながら、徐に手を振りながらもう一度「いってらっしゃい」と言う。

 玄関出てすぐの場所に立てかけてあるマウンテンバイクへと跨り、片道40分はかかる通学路を走り始めた。


 あまり密集していない田舎のような住宅街を何度か曲がり、少し大きめの通りへと出る。

 するとテンジの視線の先には、もはや友人のように見慣れたキッチンカーの可愛いフォルムが見えてくる。


(やった! 今日は混んでない。ラッキーな日だなぁ)


 おじさんのキッチンカーはこの辺りでは凄く人気で、時間を間違えれば数分は並ぶことになってしまう。しかし今日はいつもより朝早く家を出たからなのか、一人も並んでいないように見える。

 そのまま自転車をキッチンカーの前まで進め、サドルに座りながらおじさんの厳つい顔を見上げる。


「おはよう、おじさん!」


「おう、テンジか! ほらよっ」


「ありがとう!」


 おじさんはテンジが何を頼むのかを覚えており、すでに野菜たっぷりシュリンプサンドウィッチと特製レモネードを用意してくれていたのだ。

 すぐに生徒手帳でタッチ支払いを済ませて、テンジはバッグにサンドウィッチを仕舞う。片手でレモネードを手に取り、再び自転車のハンドルを空いた手で握る。


 と、そこで珍しくおじさんが話しかけてきた。


「今日、テストなんだろ? 頑張れよ」


「ありがと! じゃあ行ってきます!」


「おう、行ってこい!」


 エプロンから垣間見えるたくましい筋肉美を見せつけながら、おじさんは去っていくテンジへと手を振った。


 片手運転は危ないのだが、この国の人たちはそんな細かいことを一切気にしない。

 テンジは冷えたレモネードをちゅーっと吸い上げ、絶妙な酸味と甘みに舌鼓を打つ。


「うっま。今日も抜群に美味しいや」


 面白いことに、ここのレモネードは一日と同じ味を出さない。

 毎日毎日檸檬の種類が変わったり、他の材料の原産地を変えたり、分量を変えたりと毎日来てくれる人たちのためのサプライズを欠かさないのだ。

 しかもそれが毎日抜群に美味しいとくる、そりゃあテンジのように常連が増えるわけだ。


 度々レモネードで喉の渇きを補いつつ、テンジは通学路の中でも難関である坂道を必死に漕ぎ始めた。

 ここに来てすでに三か月、テンジはダンジョンにいるとき以外はステータスの恩恵を受けないように、全身に力みをいれずに過ごしている。


 地力のトレーニング。


 言葉だけ聞けば簡単に聞こえるかもしれないが、探索師の中でもこれほどストイックに毎日を過ごしている人はあまりいない。

 探索師として人外の身体能力を手にしてしまうと、その美酒の味を覚えてしまい、ついつい日常生活の中で使ってしまうことが多い。

 この急な坂道もステータスの恩恵を受ければ、二分と掛からずにあっという間に登りきってしまうだろう。片道40分の自転車通学も、下手したら10分と掛からないかもしれない。そもそも自転車がいらない人もいるだろう。走った方が速いとかなんとかで。


 だけど、テンジはそれに頼らない。


 千郷とリオンの教えの一つだ。

 探索師の資本は体であるが、その大元にあるのは元から持っている自分の体である。その地力を鍛えることで、ステータスの恩恵を受けたとき、さらに強さが加速する。

 恩恵ばかりに頼ると、その人の本領は発揮できない。

 そう千郷は一番初めにテンジへと教えていた。


「よし、あと一踏ん張りだ!」


 テンジはラストスパートを掛けた。



 † † †



「えー、ということで以上が試験の概要です。なんか質問ある?」


 1-Aの教室で、担任のミーガン先生が生徒たちへと言った。

 学校に着くと、朝から試験の説明が始まった。その内容は数日前にパインから聞いたとおりの内容であり、他の生徒たちも知っていたような素振りを見せる。


 第15階層を貸し切りで行うサバイバル形式のテスト。

 階層には主に四等級モンスターが生息しており、次に五等級のモンスターが多い。三等級以上はほとんど出ることはなく、出たとしても周囲の警戒をしている先生や三年生以上の生徒たちが対処していくらしい。

 もちろん試験には安全を考慮してかなりの数の教師や、三年以上の優秀な生徒が配置されており、もし何かが起こった場合助けを呼ぶようにと言われている。

 採点基準はゴールに到達した時間と順位、倒したモンスターの数や等級などで点数が点けられ、最終的な結果が翌日に出るらしい。


(まぁ十中八九、最低でも生徒一人につき一人の教師が採点しているんだろうな)


 テンジはそう考えていた。

 今のところ倒したモンスターの数や等級を誰が判断するのか、詳しい説明がされていなかったのだ。

 テンジや千郷も知らない未知の最新機器が存在すると言われればそれまでだが、そんな話はチャリオットのあのスタンプ以外に聞いたことはない。ということは、誰かが常に近くで監視していると考えていいだろう。


 音もなく、気配もなく人間を監視できる人間は、十中八九プロ中のプロ探索師にしかできない行動だ。それもただの探索師ではなく、斥候や暗殺といった役に特化した人だろう。


(外部から招いているのかな? まぁ、誰だっていいけどね。僕はあまりぼろを出さないように慎重に試験に挑むだけだ)


 マジョルカエスクエーラには、暗殺に特化した天職を持つ教師は一人しかいない。

 さすがに一人でフィールド全てを網羅することはできないはずなので、外部から助っ人を呼ぶしか方法はないはずだ。それにパインも以前、ムシュタさんが試験に協力すると言っていたのでこれは間違いないだろう。


「質問はなし、と。じゃあ玄関口にスクールバス止めてあるから、準備できた人から乗ってね。出発は……ちょうど20分後だね。それまでは自由にしてていいよ~」


 ミーガン先生は説明を終えると、ルールの表示されていた教師用タブレットをぱたんと閉じた。そのまま眠そうに欠伸をしながら教室を後にする。

 その後姿を見て、ここの生徒15人も立ち上がり各々の準備を始めるのであった。


「テンジ、一緒にストレッチしよ!」


「いいよ。じゃあ中庭に行こっか」


 早速、孤立し始めたテンジにパインが話しかけてくれた。

 今日はテストということで、テンジは朝から制服の中にインナースーツを着てきていた。そのためいつもみたいにトイレで着替える手間を省き、そのまま二人で学校の中庭へと向かうのであった。


 そこでテンジとパインは15分ほど念入りな準備運動を行った。

 その後バッグと自分の武器を手に持ち、学校の入り口にあるスクールバスへと乗る。中には五人ほどの生徒がすでに乗り込んでおり、残りの8人は未だに乗ってはいないかった。

 空いている席へとテンジが座ると、パインはそのすぐ後ろへと座った。


 パインが自分の武器である一等級武器『ステルスボルテッカー』を武器ケースから取り出し、丁寧にクロスで磨き始めた。

 その様子を見て、テンジは目を瞑り瞑想することにした。心を落ち着かせるように、緊張して失敗しないように心臓の鼓動に耳を傾ける。

 するとパインがテンジの持ってきていたアイアンソードを見つめ、問いかけてきた。


「テンジ、まだそれ使ってたの? チサトにもっといい物買ってもらえばいいのに」


「いや、僕はこれでいいんだ」


「何で? やっぱり日本人は謙虚なの?」


「違うよ。これは僕の尊敬する人から貰った剣なんだ。いや、正確にはお金をもらって自分で買ったんだけど、それでも僕にとってはとっても大事な物なんだよ」


「そんなこと言ってたら、いつかテンジがダンジョンで死んじゃうよ」


「僕は死なないよ、絶対にね」


「でた、テンジの謎の自信。まぁ、お互いに頑張ろうね」


 ここからは友達ではなく、ライバルだ。

 パインは暗にそう言いたいのか、それからはあまり口を開かずに自分の精神統一に時間をかける。

 他の生徒たちもすでにそれぞれの方法で精神統一を始めている。


 そこに残り8人の生徒がわらわらとスクールバスに乗り込んできた。


「あはははっ、さすがにイエロー剣士でも死なないって」


「いや、五等級だぜ? 案外、こっくり逝くだろ」


「おい、いるぞ。あんまり大きな声で言ってやるな、泣くかもしれないだろ」


 嘲笑うかのような八つの視線が、テンジへと集まった。

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