第32話



 テンジはその名字を聞き、ドキリと胸の鼓動を速くさせる。

 協会から派遣された水橋という男は確かに「稲垣親子」と言ったのだ。最初は耳を疑ったものの、扉の先から現れた二人を見て、テンジは驚いた。


「失礼する」


 最初にそう言ったのは稲垣炎であった。


 黒髪短髪をワックスで逆立てており、プロレスラーのように鍛え抜かれた隆々の筋肉が白いTシャツから浮き出て見えていた。

 切れ長の瞳に、威厳を纏ったような表情がどこか空気をぴりつかせている。

 テンジは一度だけ、五道の紹介で会ったことがあるため、その顔を見てすぐに一級探索師の稲垣炎だと気が付いた。


 その横には、知ってたる稲垣累の姿もあった。


 いつも逆立てている髪の毛はなぜかぺたんとしており、どこか焦燥しきった表情をしていた。

 累は病室に入って早々、テンジと目が合ったがすぐにバツ悪そうに視線を迷わせて、下へと俯いた。


 そんな親子二人がゆっくりとテンジの元に来た。

 テンジは突然の状況に言葉を失くしてしまい、ただただ驚いたように親子を見上げていた。

 そこで炎が突然、病室の床に両膝を着いた。


「天城典二くん、愚息がすまなかった。俺からも謝罪させてほしい」


 そうして、あの一等級探索師がテンジに土下座をしたのであった。

 その様子を見て、さらに動揺してしまうテンジ。


「累」


 有無を言わせない炎の物言いに累はびくりと体を震わせ、慌てて父の隣に膝を着き、おでこを床へとつけた。


「あ、天城……すまなかった。お、俺は……どうしたら許してもらえるだろうか? ……いや、許してもらえるなんて烏滸がましいな。どうにかして償いをさせてもらえないだろうか? 俺は……俺は……どうかしていた。謝っても謝りきれないことは分かっている。だが、どうにか許してほしかった……あの時のお前の顔を思い出すと、夜も眠れないんだ」


 累は病室の床にぽたぽたと涙を落とし、心の底から言葉を紡いでいく。

 テンジはただ、その様子を見ているだけしかできなかった。


「この通りだ、本当に愚息がやってはならないことをした。どうにか、許してはやってくれないだろうか?」


 次に炎が真剣な眼差しでテンジへと懇願の目を向け、ゆっくりと額を床へとくっつけた。


 その状況を見ても、やはりテンジは言葉を紡げなかった。

 まだ自分の中でも整理が付いていないのに、どうして「許す」という言葉を言えるのだろうか。そんな道理はない。累はテンジを殺したも同然なのだ。


 お互いに何も言えない状態が十秒ほど続いた。


 そこで水橋が助け舟を出すべく、口を開いた。


「天城くん、彼、稲垣累は今の法律に当てはめると殺人未遂の疑いに掛けることができます。もちろん天城くんがそうしたいと言うならば、我々協会は例え稲垣炎の子供だとしても容赦なく罪人として取り締まるつもりです。その場合、彼は特殊少年院で罪を償うことになるでしょう」


 特殊少年院、その言葉を聞いてテンジは思わずゾクッと体を震わせた。

 これほどの才能を持つ累を、こんな大事な成長期に、そんな場所で罪を償わせていいのだろうか。そんな考えが芽生えたのだ。


 水橋が息を飲んでテンジを見て、言葉を続けた。


「ただ、協会の本音としては稲垣累を罪人にはしたくない。彼は協会も認めるほどの将来を期待された学生です。それほど彼の固有アビリティ《雷槍》は強力な武器となる。僕たちも彼からの自供を聞いた時は驚きましたよ。百瀬さんからは『取り残された』としか聞いていなかったので、その事実が『生贄にされた』だったなんて。だけど、彼は自分で罪を償うために自ら父と協会に赴き、自白したのです。だから、どうか許してやってください。これは僕だけではなく、協会からの意向でもあります。まぁ、もちろん強要はしません。許すも許さないも天城くんが決めてください、僕たちはそれに従いますので」


 一度、水橋という他人をクッションに挟んだからのか、テンジは喉の奥から言葉を吐き出せるようになっていた。

 累を見下ろしながら、自分の本音を紡ぐことにした。


「正直、僕にはわかりません。主観的に考えれば、僕は稲垣を憎んでいると言えます。だけど客観的に結果を見れば、稲垣の判断は正解だったのだと理解もできます。だから、わからないんです」


 テンジが紡いだ言葉に、心の底から驚きを露にする水橋がそこにはいた。


「これは驚きました。天城くん、憎んではいないのですか?」


「憎いかと聞かれれば、正直憎くないわけがありません。稲垣は正真正銘、僕を吹き飛ばしてブラックケロベロスの餌にしようとしたのですから」


「では、憎むと?」


「それがわからないんです。客観的に見れば、むしろ稲垣の行いは正解だ。僕が稲垣の立場だった場合、そうしないとも限らない。誰しも自分の命が一番かわいいものですよ」


 テンジがそう言うと、炎が顔を上げた。


「天城くん、出しゃばりだとは思ったが、あえて言わせてもらう。俺が一番かわいいと思うのは、累の命だ。例え、父である俺が死んでも塁だけは守りたい、これが親心というものだ。だからこそ天城くんに言いたい、父と子の繋がりを切らないでほしい。烏滸がましいことは百も承知だ、だけど俺は世界で累が一番大切なんだ」


 そう言った炎の瞳は、テンジの忘れていた親の目をしていた。

 最近は忘れていたけど、その瞳は確かにテンジの知っている子を守る親の目だった。


 目の前の炎に、自然と自分を照らし合わせてしまう。


 テンジにとって、何よりも妹の天城真春が第一優先だった。特にこの一年は二人きりで生きてきたこともあり、真春がテンジのすべてだったのだ。

 すくすくと成長していく姿、喜怒哀楽の激しい姿も、バクバクと遠慮なしに兄のご飯を盗み食う姿も、何もかもがテンジの生きる意味でもあった。

 少し妹バカな自覚はあるのだけど、もしテンジが炎で、真春が累だったら自分はどうするだろうか。

 つい、そう考えてしまったのだ。


 自ずと、テンジの中では答えが出ていた。


「そう言われると僕は何も言えませんよ、炎さんはズルいです」


「ズルくても、累を守りたい」


「わかりました、僕は稲垣を許します。ただし――」


 条件を付けるとは思ってもいなかったのだろう、ほんの一瞬だが炎が動揺の色を見せた。

 水橋も「えっ?」と思わず声を漏らしていた。


「金ならいくらでも……」


「お金はいいです。その代わり……今度でいいです、炎さんは僕と一緒にダンジョンに潜ってもらえませんか?」


「お、俺か?」


 炎は完全に裏を書かれたような、素っ頓狂な声を出していた。


「はい、僕に学ぶ機会をください。一級探索師のダンジョン探索をこの目で見て、学びたいんです。どうですか?」


「お、俺で良ければいつでも何度でもダンジョンに潜ると約束しよう」


「その言葉忘れませんからね? 約束です」


「ああ、約束しよう」


「あぁ、それと。稲垣も一緒に行こう」


「お、俺も? でも……」


「今度は僕にタックルさせてよ、モンスターの目の前でさ。やられっぱなしはカッコ悪いし、これはちょっとした仕返しだよ。それくらいいいでしょ?」


「あ、あぁ。もちろん俺にできることならなんでもさせてもらうよ」


 解決したことを機に、水橋さんは勢いよく椅子から立ち上がり一人で虚しくぱちぱちと豪快な拍手をし出した。

 その表情は良いものでも見たような晴れた顔をしていた。


「ブラボー! これはちょうどいいですね! 稲垣炎さん、ちょうど協会では手に負えないサブダンジョンがあったんですよ! どうですか? それなら一級探索師の腕の見せどころでもありますし、天城くんの要求も達成できる! 一石二鳥な案件です!」


 そんな水橋に炎は睨みをきかせるものの、はぁと溜息を吐いて答えた。


「まぁ、それぐらいじゃなきゃ勉強にはならないか。いいだろう、そのサブダンジョンで探索師としての俺から何かを学ぶといい。累もいい機会だ、親の強さを知れ」


 炎は思いっきり累の後頭部に拳骨をお見舞いして、テンジへと再度向かった。


「天城くん、ありがとう。またこちらから連絡させてもらうよ、累もそれまでに心から鍛え直しとく」


「はい、地獄を見るくらいには鍛え直しておいてくださいね」


 その言葉を最後に、稲垣親子は何度も頭を下げながら病室を出ていった。

 そこで水橋が思い出したように、ぽんと手を叩いた。


「あぁ、でもなんですけど……。今は調査中なので、サブダンジョン入場は一か月後でお願いしますね。それでいいですかね?」


「はい、一級探索師の戦闘が間近で見られるならなんでも大丈夫です」


「いやぁ、今日は本当にいい日ですね! 溜まっていた仕事が丸っと解決しちゃいましたよ! さぁさぁ、今日はこの気分のまま帰りたいなぁ」


 終始不思議なご機嫌顔をしていた水橋は、スキップをしながら病室を後にするのであった。

 後に残った協会の三人が困ったような表情をしていたが、すぐに気を取り直してテンジへと向き直る。


「では、天城くん。ちょっと疲れているとは思いますが私たちにも時間がありませんので、能力測定を始めていいですか?」


「はい、お願いします」


「では、隣の運動施設を貸し切りにしているので、そこでちゃちゃっと計測しちゃいましょうか」


 そうしてテンジは天職を手にして初の能力測定へと向かうのであった。

 能力測定で、テンジの探索師等級が決定する。

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