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「……はああ?」彼女は大げさに声を上げる。「なぁに、今頃気づいたが? あたしは会った瞬間分かったがになあ。ほんと鈍感だねぇ、翔ちゃんはさ」


 ああ、やっぱり。


 まるっきり雰囲気は変わっているが、その呼び方、そして、大きく笑うとできるエクボは、まさしく俺の知っている由希姉ちゃんのそれだった。


---


 由希姉ちゃんこと本山もとやま由希は、俺より二つ上の幼馴染だ。雪絵ばあちゃんの長女の娘だから、ばあちゃんの実の孫になる。俺とは「はとこ」にあたる。ばあちゃんの若い頃にそっくりなのも隔世遺伝のせいだろう。俺の家の近所に住んでて、彼女は野山を駆け巡るのが好きな活発な女の子だったから、俺とはよく山で遊んだものだ。ぶっちゃけ……俺の初恋の人だった。


 だが、俺は小学4年になって引越してしまい、それっきり彼女には会っていなかった。もう十年以上会ってないことになるのか。


「あのさ、由希姉ちゃん、なして何でばあちゃんが倒れたって分かったが?」


 帰り道の車の中。俺は彼女に聞いてみた。


「ばあちゃんの着物にはセンサーが組み込まれてて、バイタルとか、転んだりしたときの衝撃とかがリアルタイムでモニターされるんよ。それで、異常時にはアラートがあたしのスマホに来るわけ。たまたま近くにいたときでよかったわ」


 ……。


 えらくハイテクな装備をばあちゃんは身に付けていたらしい。だが、謎はまだもう一つ残っている。


「そうだよ、姉ちゃん、なしてあんげなあんな格好で、あんげなとこにいたわけ?」


「あたし、大学で演劇サークルやってんだよね。次回の公演で雪女役をやることになってさ。ほんで、今日の昼にほくほく線で帰ってきたら、なんていうか、周りがもう舞台のイメージそのものの雪景色でさ。いい感じで練習できそう、と思ってね。だでも他の人に見らんたらしょうしい恥ずかしいすけ、おまんの家があったあそこで練習しようと思ったがさ。ほしたら、ちょうどおまんがいたもんだすけ、ちょっとからかってやろう、てね」


 ……。


 雪女 正体見たり 幼馴染(字余り)


 あれ? ちょっと待てよ?


「姉ちゃんまだ大学生なの? 俺より二つ上だったよね?」


「あー。浪人したとか留年したとか思ってんな? 違うてー。あたしは医学部だっけさ、まだ学生なんだわね」


 なんと。それで医学の専門知識があったのか。確かに子供の頃から、姉ちゃんはかなり勉強ができたが……


「マジで? すげえな。どこの大学?」


新大しんだい」(新潟県民は新潟大学をこう呼ぶ)


 驚いた。


「えー! 俺もなんだけど」


「え、学部は?」


「理。理の物理」


「あー。じゃ、五十嵐か。あたしは旭町だすけなあ。だけど、意外に近くだったんだね」


「そうだね」


「そうかぁ。物理学科じゃ、白は存在しない、なんて釈迦に説法だったか」


「まあね。正確に言えば太陽表面は約5700Kケルビンだよ。確かに摂氏だったら6000℃だけど、色温度はケルビンが単位だすけね」


「お? そんなツッコミが来たのは初めてだわ。さすが物理プロパーだね。脚本家にそう言っとくわ」


 ……もしかして、あれ、芝居のセリフだったのか?


「というわけで、2月になったら『新解釈・雪女』の公演やるすけ、なじょうも見に来てくんなせ。チケット格安で譲るすけ。あたしにもノルマがあるもんでさ。ペアならさらにお得だでね」


 姉ちゃんはニヤリとする。


「……一枚でいいて。周りに演劇に興味ありそうな奴、いねえもん」


「あら、彼女とか誘ったらいいねか」


「いねえて、そんげな女」


「あっきゃ。いねえがかね」


「別にいいねっかて。それより、そういう姉ちゃんはどういがどうなの? 彼氏とか……いるがかね?」


「ふふん。あたし? あたしはさぁ、もちろん………」


 姉ちゃんは再びニヤリとする、が、すぐに沈んだ顔になる。


「いねんだわ、これが」


「ええっ? そいがそうなの?」


そういんだてそうなんだよ。なんかさあ、付き合っても長続きしねんだよね。この前もさ、『恋愛は遺伝子が自らを存続させるために講じている戦略に過ぎない』みたいな話をしたら、ちょっといい感じだった男の人にドン引きされて、それっきり。どうも、あたしと話が合う人って、なかなかいねえみたいなんだわ」


「それ、ドーキンスの利己的遺伝子の話?」


「お、よく知ってんじゃん! どうやらおまんとは話が合いそうだね」


 ……う。


 姉ちゃんの顔が、また一瞬、雪女のように見えた……


 だけど。


 こんな雪女なら、取り憑かれるのも、悪くないかもしれない。

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