4

「ばあちゃんは?」雪女が叫ぶ。


 俺はぶるぶる震えたまま、尻餅をついてしまう。これが、腰が抜ける、ということなのか……


「いやだ……ばあちゃんを、連れてかないで……」


「はぁ? 何言ってんが? 病院連んてかねえでどうすんだてー! おまんあなたは早く車持ってきない来なさい! おまんの車ならここまで入って来られんろ? 救急車呼んだたって、時間もかかるしここまで絶対入って来らんねえすけさ! ほら! 早く行きないね!」


 そう言って、雪女は履いていた白いスノーシューズを脱ぎ飛ばし、ずかずかと家の中に入っていく。


 ……え?


 頭の中に「?」マークが無数に重なり合い、ボース凝縮を起こすほどだったが、それでも俺はすぐに我に返ると駐車場に向かった。


 車を階段下まで持ってくると、玄関から雪女がばあちゃんをお姫様抱っこして階段を下りてきた。意外に力持ちのようだ。というか……


 彼女は、既に全く雪女ではなくなっていた。


 上はヒートテックのセーター、下は同じくレギンスパンツに身を包んでいる。どうやら和服の下に着こんでいたらしい。そして、顔も普通の肌色になっていた。スッピンだと印象が大きく変わるが、それでもかなり整った顔立ちだ。


 そして。


 俺はようやく、それが誰かを思い出した。


 助手席をスライドさせて、彼女は後席にばあちゃんを乗せる。そして、


「ちょっと待ってて。さすがにこの格好じゃなんだから、ばあちゃんのコートを借りてくるわ」


 そう言って、また階段を上っていく。俺の目は、レギンスパンツが張り付いた彼女の豊かな下半身に、思わず釘付けになってしまう。


「松代病院に向かって! 場所分かるね?」


 コートを羽織って後席に乗り込んだ彼女が言う。


「う、うん。松代駅の近くだよね?」


 松代病院には、子供の頃に何度も連れて行かれた覚えがある。


「それじゃ、さっそく出発して。安全運転でね」


「分かった」


 俺は左足でゆっくりとクラッチをつなぐ。


---


 253号の急坂を、4速全開で駆け上がる。その間、彼女はスマホで病院に電話しているようだった。オキシメーターでサチュレーションがどうとか、随分と専門的な会話をしている。


 電話を終えて、彼女が言う。


「たぶん、脳内出血とか脳梗塞とかではないと思う。不整脈もないし……だから、貧血か低血糖じゃねえかな、と思うんだけどね。それでも一応病院で診てもらうに越したことはねえっけね」


「うん……なら、いいんだけど」


 俺は彼女の正体を確かめようとしたが、彼女は今度は家族に電話を掛けて話し始めたようで、それは果たせなかった。そうこうしているうちに、車は松代病院に到着する。


 既にストレッチャーが用意されていて、ばあちゃんはあっという間に運ばれていった。俺と彼女は二人、待合室に取り残された。診療待ちの人が結構な数そこにいたが、ほとんどが高齢者だった。やはりこの辺りはかなり高齢化が進んでいるようだ。


「……」


 長椅子の俺の隣に座り、彼女は重苦しい表情で押し黙っていた。とても話しかけられる雰囲気じゃない。


 やがて。


「梶原さーん」


 呼び出しがかかった。


「!」


 俺と彼女は、同時に立ち上がる。


---


 結局、ばあちゃんは過労だった。


 一人暮らしはばあちゃんにとって、結構負担だったようだ。さらに、俺が雪掘りに来るので、もてなそうとかなり張り切ったらしい。ちょっと責任を感じてしまう。


 とりあえず様子を見るために一旦入院するが、明日には退院できるとのことだった。俺は心の底から安堵した。そして俺と彼女は、病院を後にした。


「ばあちゃん、大したことなくて、ほんとよかったね」助手席に乗り、彼女が屈託のない笑顔で言う。


「うん……あのさ」


「ん?」


「もしかして……由希ゆき姉ちゃん?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る