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 俺はまず準備を開始した。既に実家を出たときから足は防寒長靴、上下はゴアテックスのカッパで身を固めている。雪はそれほど降ってないので、手袋は軍手で十分。保温性に優れる菅笠を頭にかぶり、首回りには襟からの雪の侵入を防ぐためと汗拭きを兼ねたタオルを巻き、長靴の下にカンジキを装着。これで雪掘り準備は完了だ。


 使う道具はスノーダンプのみ。最近はスノーダンプもプラスチック製のものがあるが、ここみたいなガチの雪国では、やはりスチール製もしくはアルミ製に限る。


 ばあちゃんの家は新築した際に屋根の雪下ろしをしなくていい設計にしたので、屋根の雪は自動的に家の裏手に落ちるようになっている。しかし、落ちた雪をそのままにしておくと、家の裏手に全くアクセスできなくなってしまうのだ。というわけで、屋根から落ちた雪を片っ端から家の裏の崖に落とすのが、今回の俺のメインミッションである。


 しかし。


 家の裏手に回ってみて、俺は愕然とする。


 家の一階部分は完全に屋根から落ちた雪に埋もれていた。高さは3メートルくらいある。二階部分に届きそうな勢いだ。


 ちょっと待て。これ、俺一人で全部除雪しなきゃならんの?


 マジかよ……


 まあでも、最近運動不足だし、世話になったばあちゃんのためでもあるし、頑張るか。


 俺はスノーダンプのハンドルを両手で持って、雪の山に突き刺した。


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 昼飯はばあちゃんお手製のカレーだった。美味くて三回もおかわりしてしまった。そして少し休憩して、午後の部の雪掘りを開始。しかし、雪の山が減った気が全くしない……どう考えても今日中に終わらせるのは無理だ。泊まって明日もやろう。


 それに、さすがに疲れがかなりたまってきた。疲れた状態で雪掘りをするのは、実はかなり危険でもある。明日もやるのなら、もう無理しなくてもよかろう。


 時間は15:30 。俺は作業をやめることにした。こんなこともあろうかと、一応着替え等も持ってきてある。だが、必要ないかと思って俺はそれらを車の中に置いてきてしまった。取りに行かなくては。


 駐車場で着替えの入ったバッグを車から取り出し、来た道を戻ろうとした時だった。


 俺はそこで、信じられないものを見てしまった。


「!」


 白い和服を着た女が、しずしずと前から歩いてくるのだ。


 肩まで伸びたストレートの黒い髪。顔は真っ白だが唇だけがやけに赤い。手も透き通るように白い。俺と目が合うと、その女は妖しく微笑んだ。この世のものとは思えないくらいに、美しい。


 そう、この世のものとは思えない……


 その形容は、心底俺を慄然とさせた。


 雪女……?


 いや、まさか……そんなものが、存在するはずが……


 彼女は俺の前で歩みを止める。


「こんにちは」


 彼女の方から声をかけてきた。温度を一切感じさせない、アルトの声。


「こ……こんにちは……」俺の声が上ずる。雪掘りの直後でまだ体がほてってるはずなのに、震えが止まらない。


「ここで何をなさっているの?」


「あ……あなたこそ……何を……」


 そう。ここの半径200メートル以内には、何もない。この道もこれ以上進めばすぐに行き止まりになる。いったい彼女は何をしに、ここに来たというのか。


 彼女は再び微笑む。


「別に。ここに来たいから来たの。それだけよ」


「そ、それだけ……って……あなたは、何者なんですか?」


「さあ。何者かしらね。そんなことどうだっていいじゃない。それよりも、見て」


 そう言って彼女は周りを見渡す。


「え?」


「ここは一面真っ白な世界。地上も、空も、ね。だけど……知ってる? 『白』という色は存在しない、ってこと」


「ええっ?」


「色素ってね、その色以外の光は吸収するから、その色に見えるの。でもね、白の色素は存在しない。白く見えているのは、どの色も吸収しない、透明なもの。ただ、その表面がギザギザになっているから、六千度の太陽表面が発する光を、そのまま乱反射させているだけ。雪だってそうでしょ? 本来は透明な氷なのに、複雑な形の結晶だから白く見える」


「……」


 雪女にしては、やけに正確な科学知識を語るものだ。確かに彼女の言う通り、白の色素、というものは存在しない。「透き通るように白い」とはまさにその通りで、白く見えているものは実は透明なのだ。


「ね? 目には見えていても、それが本当に存在するとは限らないのよ。だから……あなたに見えているこの私も……本当に存在するのかしら……ね?」


 そう言って彼女が見せた笑みには、もはや妖しさというより凄みに近いものがあった。


「……!」俺の背筋にゾクリと冷たいものが走る。


 その時。


 いきなり、電話のベル音が激しく鳴り渡る。


「ひぃっ……!」


 我慢しきれず、とうとう俺は悲鳴を上げてしまった。


 しかし。


 それは俺の胸から聞こえてくるようだ。落ち着いて考えてみれば、それは俺のスマホの着信音だった。胸ポケットからスマホを取り出してみると、ばあちゃんの家電からの着信だった。


「もしもし……ばあちゃん?」


『翔ちゃん、今どこ? 悪いけどさ、ちょっと手伝ってもれえてんだでも』


「あ、ああ……すぐ行くよ。じゃ」


 俺は電話を切る。彼女は相変わらず微笑みながら、俺を見ていた。


「俺……行かなくちゃ」


「そう。それじゃ」


 彼女は小さく手を振り、俺とすれ違うようにして歩き出す。俺は速足でその場を後にする。


 別に、怖いからじゃない。ばあちゃんが呼んでるから……急がなくちゃいけないから……そうさ、怖くなんか……


 俺は振り返る。


 彼女の姿は、消えていた。


「……うわああああ!!!」


 思わず俺は走り出す。


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