After Story①~六条オウガの誕生日~

 振り子時計がコォーン、コォーンと鳴り、0時を回ったことを告げた。

 オウガは書類作業の手を止め、すっかり冷え切ったコーヒーを飲み干し、ひとつ伸びをする。


 明日も会社の朝礼に参加することを考えると、1時には寝なければならない。

 このあとは三十分間、集中的にトレーニングをしたあと入浴し、就寝する。

 滅多なことでは狂わない普段通りのスケジュールだ。


(今日は五月十五日。午前中に新店舗の建設を依頼する業者との打ち合わせか。一時間で話が済めばいいのだがな)


 カレンダーを観ながら予定を思い返していたところで、ふと違和感に気付いた。


 ――何かを忘れているような気がする。 

 しかし考えども考えども、違和感は輪郭を得ない。

 ならば仕事に関係がないことなのだろうと思って、上着を脱ぎ、トレーニング用のランニングシャツへと着替えた。


 するとその時、不意にスマホの着信音が鳴り響いた。


(誰だ、こんな時間に)


 画面を見ると『非通知』。

 日中に営業の電話を受けることはあるが、この時間には初めてだ。

 ただ、どうせ♂マスク先輩らのイタズラか何かだろう。

 

(アレでも一応先輩なのだから、リアクションのひとつでもとってやらんとな)


 呆れつつも、スマホを手にとって応答する。


「もしもし、オレ様だが?」

「でへへ❤ 私だよー❤」


 声を聴くと同時に総毛立った。

 電話口から聴こえてきた甲高い声に、甘ったるい口調。

 オウガの最も苦手とする女性の顔が頭をよぎり、動揺しつつ言葉を返す。


「エルメス嬢!? き、キサマ、何故オレ様の電話番号を――」

「……プッ! ははは、ごめんごめん、冗談だよオウガくん」


 次に電話口から聴こえてきたのは一転して、最も安心できる声。

 となると、先ほど少女だと感じた声はモノマネか。

 真相を察して安堵する。


「ミナトか。まったく、オレ様はエルメス嬢が苦手と知ってるだろうに……」

「驚くかなと思ってね。声似てたでしょう?」

「ああ、そっくりだったよ。この1年で演技も胆力も、随分と成長したものだな」


 電話をかけてきた親友、ミナトは声を変えるのが非常に上手い。

 一年間ずっと女装を続けてきた影響で、女性の声に似せる技術は舌を巻くほどだ。


 “伊草エリカ”としての声も元々は姉のマリカに似せたものだと聞いているし、エルメスに似せることができたのも当然だろう。


「それで、夜中に何の用だ? 悪いが、用がないなら日課の筋トレに戻らせてもらうぞ?」

「17歳の誕生日おめでとう」

「…む?」


 予想外の言葉に思考がフリーズした。

 誕生日? 誰の? いや、オレ様のか。

 あまりに不意を突かれてしまったせいで返答に窮するオウガの反応に、ミナトは

苦笑した。


「やっぱり忘れてたんだね。今日はオウガくんの誕生日だったんだよ? 百合川さんが教えてくれたんだ」

「……そうか。社員に祝われるのが好かんから、話題に出すなと言い過ぎて、すっかり忘却していた」


 オウガにとって誕生日とは、母の派閥に属する社員たちからのわざらしい祝福の言葉に、露骨な貢ぎ物の山に辟易する日だ。

 数年前にオウガの誕生日の話題を出すことを禁止して以来、オウガ自身も考えないようにしていた。


 この世に生を受けただけで祝福されていいのは赤子だけ。

 毎年祝福を受けるなど都合がよすぎる。

 そう思って毛嫌いしてきた。


 その、はずだったが――


「純粋に祝われるのは久方ぶりだよ。悪くない気分だ」

「今日の男子部が終わったら、ボクの家でみんなでお祝いしない? 時間あるかな?」

「ハァーハッハッハァ! 時間はあるものじゃない、作るものだ!」

「よかった! じゃあまた学校でね!」


 通話を切ったオウガの胸には、誕生日を祝ってもらったことによる充足感が満ちていた。


 何のことはない、単純な話だ。

 自分はただ、誕生日によくないイメージを抱いていただけ。

 親しい者たちから、純粋に祝福してもらえると、こんなにも満ち足りた気分になれる。


 生まれた日を祝うということはきっと――自分の“生”を肯定してもらえることと同義なのだろう。


「……ありがとう、ミナト。来年からは、忘れずに済みそうだ」


 上着を羽織ってデスクに着き、記憶を頼りに手帳へと、友人たちの誕生日を書き込み始める。

 そしてオウガはこの日、久しぶりに就寝時刻を遅らせるのであった。

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