幸せを求めて〜作りたいのはあなたと〜

「トオルさん,彼女に同じものをもう一つ。すみません,おいしそうに飲むなって思って。・・・・・・ここであったのも何かの縁ですね。今日はごちそうさせてください。そういえば,名前を伺ってませんでした」


 おいしそうに飲んでいたように見えたんだな。なかなかの量を一気に飲んでしまったので今思えば本当に正気を保っていたのか確信が持てずに不自然な感じがした気がしたが,少しだけほっとして胸を撫で下ろした。


「そんな,ごちそうだなんて,やめてください・・・・・・。トオルさん。私,ギムレットが飲みたいです」


 初めてバーテンダーの名前を口にした途端,体温が急激に上昇した。顔に出ていないだろうか,頭から湯気が上がっていないだろうかと不安になる。こんな気持ちになったってしょうがないのに。


「ギムレットも,作る人によってずいぶん味や風味が違いますから。何度も注文していただけると,嬉しいです」


 はにかみながらトオルさんはカクテルを作った。丁寧に,一つ一つの手順を作業的なものではなく,大切な儀式でもあるかのように行うその姿は,ギムレットを作るのに最低限必要なもの以外の何かを含ませているようにも見えた。それは希望的な観測に過ぎないのだろうか。


「ぼくはトオルさんのこの丁寧で荒さのない美しいカクテルを作る姿が好きでもあるんだ。ずっと見ていられるね。この姿でお酒が飲める。そうしてまたお酒を注文する。そしてその姿で飲む。地平線の果てのない地図のようなものだね」

「中村さん,お上手ですね。何かおかわりはいかがですか?」

「実は,ギムレットを飲んだことながなくて・・・・・・。そういえば,昔読んだ小説か何かで出てきた飲み物だったのを思い出しました。ぜひ,作ってください」

「分かりました。ショートカクテルでアルコール度数が少し高めですが,初めてと言うことで少し飲みやすくしましょうか?」


 トオルさんの気遣いの言葉に一拍おいて中村さんは私の方を一瞥した。


「いや,腕のあるバーテンダーに隣には綺麗な女性がいるんだから,酔っ払いたいぐらいだ。いつものおいしいやつをください」


 言う人によっては嫌悪感を抱かれそうな言葉を,中村さんはさらっと言ってのける。きっと,そういう言葉は言い慣れているのだろう。特にキザな印象も受けなかった。

 お手洗いをお借りしても良いですか? と尋ね,ハンドバックを持って化粧室に向かった。今日はもう少しだけ長い夜にしたい。



「もしかして,私が倒しました?」


 こぼれたグラスが私のものであったので心配になり,中村さんに尋ねた。


「いえいえ,実は,私が足を組み替えるときに膝を打ってしまい,そのときにバランスを崩して思いっきり手が当たってしまったのです。恥ずかしい限りです」


 頭をかきながら中村さんは言った。

 テーブルにわずかに残った水滴を指でなぞりながら,奥へと下がったトオルさんのことを思う。せっかく作ってくれたのに,申し訳ないことをしたな。

 しばらくすると,ほのかにニンニクの香りがするピザを持って厨房からトオルさんが出てきた。


「お待たせしました。今日は少しだけ味を変えてみました。お口に合うといいのですが」

「すごい! 夏野菜が入ったのですね。それに,スライスしたニンニクも載ってる! もう美味しい!」

「まだ食べてもないのに,早いなあ」


 ここのファンだから,と小さい声で言い,その声をかき消すように急いでピザに手を伸ばした。自分で発した声に自分で顔を赤らめている。何をしているのだろう,私。


 恥ずかしさを消し去るようにピザに手を伸ばした。

 厚めの生地にチーズと夏野菜が乗っている。食べごたえはあるが重くはない。噛めば噛むほど野菜のうまみとにんにくのうまみが口の中に広がる。臭みも全く気にならない。


「今まで食べたピザの中で一番おいしいです! こんなにおいしいピザは食べたことがない!」


 口に入れた時の感動のまま口走った。トオルさんは嬉しそうに微笑む。


「初めてお出しするので、お口に合ってよかったです」

「トオルさんがっ頃を許して下さったら、一緒にピザ作りをしたいぐらいです」


 酔っ払っているのだろう。また訳の分からないことを口走ってしまった。今日は早めに帰った方がよさそうだ。そう思った時、中村さんが顔を覗いてきた。


「実は,うちに手作りのピザ釜があるんだ。手作りだからすごい機能が付いてるわけではないけれど・・・・・・。それでも,手作りの窯で焼いたピザは格別だよ! 良かったら一緒に作らない?」


 ピザが作れる。そう思うと,一瞬気持ちが高揚した。ただ、その高ぶった気持ちはそう長くは続かなかった。私はきっとピザが作りたいんじゃない。トオルさんと少しでも一緒にいたいだけなのだ。ピザなんてそのおまけみたいなものだったのだ。そんな単純なことに今更気づいた。

 ただ、ピザづくりに興味を示していた以上中村さんの誘いを断れない。上手い言い訳を見つからないまま,話はとんとん拍子に進んでいった。

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