それからのこと〜衝撃の展開〜

 今日の仕事は早番だった。五時前にはオフィスを出て,出かける支度をした。着替えをしていると,夏妃が興味深そうに話しかけてきた。


「あら~気合い入れちゃって。今日はなにか特別な日になるの?」


耳に付けた品のあるが大きなアクセサリーをつまみながらニヤニヤしている。


「悪いね。実は彼に大事な話があるって言われているの。夏妃は彼が出来たら出て行けって言うけれど,私の方が先におめでたいことになるかもね」

「あらー,えらい前向きじゃない。まあ,私も今日はデートだから」


 お互いウキウキと準備をしながら一緒に部屋を出た。

 夏妃は今日,市役所に勤める男と二人で会う約束を取り付けたということで浮足立っていた。小学生の頃は足の速い子,中学生の頃はちょい悪な子,高校大学と少しづつ理想の相手は変わってきたが,大人になるとお互い現実的なことが視野のほとんどを占めるようになるねと言って笑い合った。

 今日は帰るか分からないけど,また家で落ち合おう,と合言葉のように言って別れた。


 日が沈んでネオンが町を明るく彩りだした。普段ながら鬱陶しくてたまらない人混みも今日は我慢できた。そうこうしていると駅からほど近い距離の所にある懐石料理屋さんに着いた。今からどのような話に持って行かれるのだろうか。


これから結婚を前提に同棲して欲しい

親に会って欲しい

将来設計について話がしたい


さすがにプロポーズをされることはないだろうが,話が将来にまつわることに進んでいくことは予想が出来る。この人となら心穏やかに過ごせそうだ。刺激的な毎日や,誰もがうらやむような生活をしたいと夢見たことはあったが,この世のどれほどの人が理想的な生活をしているのだろう。世界的なアーティストでさえも日々フラッシュをたかれながら豪邸に住み,そしてその家でゆっくりする事など無い。何事もほどほどにがちょうど良いのかも知れない。

 懐石料理屋の暖簾をくぐると,着物を着た従業員が出迎えてくれた。待ち合わせをしていることと名前を告げると「ご案内いたします」と丁寧にお辞儀をして歩き出した。

 入り口からほど近い扉の広い部屋の前に案内された。「ごゆっくりどうぞ」と笑顔でふすまに手をかけ扉を横に引いた。次の瞬間,私は目を見開いた。

 そこには彼と友に,彼の両親が座っていた。



「はじめまして・・・・・・,お父様と,お母さまですか?」


とまどいつつも一応尋ねた。関係性を理解しておかないとこれから話の合わせようもない。もしかしたらたまたま通りすがりの夫婦と一緒に飲むことになっただとか,駆け出しの年配俳優だとかということもあるかもしれないのだから。もちろん,そんなことは無かった。


「君は一体何を言っているんだ。こんな訳の分からないことを言う女とお付き合いしているのか。いい年をしているくせに」


まあまあお父さん,と隣にいるおばさんがなだめる。

 何を言っているんだ,とはこちらのセリフだ。彼氏とご飯の待ち合わせに来たつもりが,目の前には見知らぬおじさんとおばさんが座っている。何も、「通りすがりの方ですか? それとも駆け出しの俳優さんですか?」などととんちんかんな事を聞いたわけではない。知らない人が約束の場所に不意に現れたら,どちら様かと尋ねるのは当然だ。なぜ私は開口一番責められなければならないのだ。

 彼の方を見ると,笑顔でこの場を心底楽しみにしているような顔をしている。


「お父さんとお母さんだよ。まあまあ,座って挨拶でもしなよ。それから飲もう」


 私の中で糸がプツリと切れた。


 もうどんなに丁寧に取り繕っても,新しい毛糸を持ってこようとも,修復不可能と気付いてからの私は強かった。


「君はどこまで本気でお付き合いをしているのかな。ぜひ聞かせてもらいたい」


偉そうにあごひげを生やして中尾彬を意識したような動作で顎をさすりながらおちょぼ口でおじさんは言った。


「このお店に入るまではとても前向きでした。でも,とてもじゃないけど長い付き合いにはなりそうにもないですね。あと数分のお付き合いという所かしら。あなたはどう思うの?」


多分このときの私は虎のような目をしていた。狩られるリスのような顔をして微動だにせず彼はこちらを向いたまま何も言わない。動物は本能で生きているのだろうが,本当に命の危機に直面したら体が反応しなくなることがあるらしい。道路に飛び出した猫がトラックにクラクションを鳴らされた直後固まったように動かないのはその現象の一つらしい。別に命を取ってやろうというわけでもないのに,もの一つ言わないというのはどういうことだ。口もきく気がなくなる。


「普段からこんなに威圧的なのかい? それは一緒に生活をするとさぞしんどいだろうからね」


父親の言葉に対しても彼は何も言わない。もう終わりだ。


「答えは出たようなものね。今までありがとう。これからはお互いの幸せのためにそれぞれ別の道を進みましょう。今度は威圧的じゃない人に出会えるといいわね。私も肝っ玉の据わった相手思いの人を探すことにするわ」


ちょっと,と彼が蚊の鳴くような声でつぶやいたのが聞こえたが,かまわずにカバンを持って部屋を出た。近頃の子はみんなああなのか,とひげもじゃがつぶやくのが背中から聞こえた。

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