それからのこと〜親愛なる親友〜



 彼の左手が降りてきたかと思うと,急に腰のくびれをさするようにして陰部から離れていった。急にじれったい。早く刺激してほしい。その左手も撫でるような手つきから指先で上から下になぞるような動きに変化した。体に電流が走るように反応する。

 舌先が乳輪へとやって来る。乳首には決して触れず,周りだけを固くした舌先で嘗め回す。早く含んでほしい。

 右手が私の左足を開脚させにきた。そのまま大腿骨の形を確認するように手のひらで浅く握りながら上下させる。骨盤,股関節へと撫でられるものの,求めているところはまだ来ない。


早く・・・・・・早く来てほしい


そう願ってどれくらいたっただろうか。彼が私の中に入り込んできた。



 カーテンの隙間から差してくる日差しで目が覚めた。朝早い時間でないことは分かる。寝室の窓は南向きにある間取りの為,午前中の後半に差し掛かったころでないとまぶしくなるほどの日差しが差すことはない。少しの気怠さと,朝寝坊の罪悪感と,これからのことの憂鬱さで起き上がるのが一層だるい。

 恐る恐る時計を見ると,針は10時を少し回ったところを指していた。


ああ,辛い


思ったほど寝過ごしてはいなかったが,朝早い時間にいったんこの家を出たかった。まだ別れ話も切り出していないし,話をしたところで荷物を一度に引き払えるわけでもないので,いずれにせよ今日でおさらばという訳にはいかないのだけれども,それでもこのブルーな気持ちを少しでも紛らわせたかった。

 体を起こし,軽く伸びをすると,リビングから食欲をそそる匂いがする。私も何か作っておなかにいれよう。そう思ってベッドから降りた。下半身が,少しだけ重い。


「おはよ」


疲れを残した身体からはいつも以上に小さな声しか出なかった。それでも彼は嫌な顔一つせずに,


「おはよ。朝ご飯出来ているから食べなよ。少し遅いけど。温めなおす?」


とソファでコーヒーを飲んでゆっくりしていた身体をこちらに向けて問いかけた。

 テーブルに目をやると,そこにはサラダとフルーツの乗ったヨーグルト,ベーコンの添えられた目玉焼きにラップがしてあった。おまけに目玉焼きは私が大好きな半熟にしてある。キッチンには小さな鍋があるからみそ汁も作ってあるのだろう。彼の味噌汁は,だしをしっかりとって作ってあるため薄めの味でもしっかりとうまみと味わいのある落ち着く味だ。


「みそ汁だけ温めて食べるね。ありがと」


言った後に思わずため息が漏れそうになる。どうしてこんなにできた人とでもうまくやっていけないのだろう。本当に私にはもったいないぐらいの人だ。涙が浮かびそうにそうになるのをこらえ,ガスコンロのスイッチを押した。


 その日は特に何もなかった。

 お昼を過ぎてから家を出た時も,何かを言われるかなと思いながらも出かけることを告げると,意外なことに「行ってらっしゃい」の一言以外は何も言わなかった。それは冷たい対応ではなく,表情はいつもと変わらない笑顔であったし,マンションのエントランスまで送り出してくれた。別れるまで荷物を持ってくれたし,玄関の扉も開けてくれた。


この人の何を受け入れることが出来ないのだろう


考えれば考えるほど答えは迷宮入りしていく。迷路の攻略法は知っているつもりだったけど,それは現実には応用できない。自分のことですらよく分からないのに,彼の気持ちを想像しようもない。想像したとしても,安易で表面的で,本質を捉えたものにはならないだろう。この世界はあまりにも複雑にできている。

 今日はいつ家に帰ろうか。適当に入ったカフェでコーヒーを飲みながら考えていると,入り口にはなじんだ顔があった。



「なーに浮かない顔をしてるの」


「よっ」と言いながらカウンター席に座っていた私の隣に腰掛けた。キャビンアテンダントをしている夏妃は人の懐に入り込むのがうまくて、誰とでも打ち解けられるタイプだ。私も彼女のことが好きでよく一緒にお茶をしたり何気ないことでも近況報告をする中だ。

 きっと私は今ひどくさえない顔をして,カウンターからの目の前にあるガラス戸から日中の雑踏を眺めていた。その顔を見つけてカフェに入ってきたのかも知れない。今も,フランクに話しかけては着ているものの何に悩んでいるのかをずかずかと聞いてきたりはしない。そういう繊細さも持ち合わせているのだ。

 夏妃になら話せるな、と思った。


「うまくいってないんだよねー。なんか、向いていないかも」

「えー、なんか前の旦那と正反対って言ってたのに。まあ,他人同士が生活するんだから難しいよ。私は一週間と持つ気がしない」


何のことかをはっきり言わなくても、こうして通じ合える。この関係性がたまらなく気持ちいい。初めて会ったのは婚活パーティーだった。その日、私達は男一人とも連絡先を交換しなかったのにもかかわらず、こうして気の置けない友達を手に入れた。人生どこに幸運が転がっているか分からないものだ。


「それがさ、性格はちがうんだけどさ。私って意外とだらしないのかな。自分がだめ人間だって思っちゃうくらい彼が几帳面で、息が詰まっちゃう」

「それは笑っちゃう。前の旦那はあんたの几帳面さに窒息死してたけど、その気持ちが分かって良かったじゃない」

「ほんとにそれなんだよ。完璧ってのも困ったものよ」


笑いながら話が出来た。久しぶりに笑えた気がする。今日は外に出てきて良かった。

 昨日のことも続けて話した。私はどこかで吹っ切れていない。それも聞いてもらおう。


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