第53話 10cm


 こんな年になっても、というべきか。こんな年になったからこそ、というべきか。

 私にはいくつかの願いというか、野望というか、まあ何と言うか所謂、叶えたい事柄があります。その中のひとつにいい加減、お尻に火がついていて、そろそろ何とかしないと叶わぬ夢のままで終わってしまいそうなので、今年こそは、と思っているのでした。

 それが今回の『10cm』。


 さて、この『10cm』とは──、

 ──私が所有する靴の中での最大ヒール高、です。この高さをクリアして履きこなしたいのです。


 ご存知の通り私はかなりの粗忽者でして、そして女王サマでもお姫様でもないので、ハイヒールなんて代物は履いたことがありません。当然、持ってもいません。所有する靴と言えば、ヒール高は5cm程まで、なおかつカカトがガッチリしっかりしたタイプのみ。いわゆるピンヒールなんてものは高さを問わず、現在、所有してもいません(かつて何足かバーゲンで買ったことはあるものの、あっという間にどこかにひっかけたりコケたりしてダメにしてしまったので、以後手を出さなくなりました。珍しく反省が身についたケースです)。

 そんな私がなぜ、ピンヒールでこそないものの、10cmなどというおよそ無謀なチャレンジをしたのでしょうか。


 時を遡ること、○年前。それは私が大台を迎える誕生日直前のことでありました。

 うっかり一目惚れしてしまったんです。

 ──10cmヒールのショートブーツに。


 そのお店はカッコいい品揃えが素敵で好きで、店員さんとも仲良しで(その方はなんと靴を100足以上持っているそうで、自宅に置ききれない分は実家で保管してもらっているという筋金入りの靴フェチさんです)、でも決してお安いお店ではないので、たまーに覗きに行っては店頭でくっちゃべって帰ってくるだけというただの迷惑な客未満なのですが、その日は偶然にもセールオブセールという感じで現品オンリーの靴をかなり破格なお値段にして端っこの方に並べていたのでした。その中にくだんのショートブーツを発見してしまったのです。

 そのショートブーツはかなり尖ったデザインで、履くひとを選ぶような不敵な面構えをしていました。これだけアクが強いと、そりゃそう簡単には「買う!」とは言えないよね、と頷いてしまうような靴。でも、その分、インパクト大。とにかく目が離せなくなってしまったんです。

 で、じーっと見てたんですよ。しばらく。これがですね、


 見れば見るほどカッコいいの。

 目が離せないの。

 履かないの? って誘ってくるの。

 履けるもんなら履いてみなよ、って挑発してくるの。

 


 あんまり見つめていたら、ついうっかり思っちゃったんですよね、仕方ない、試してみるか、って。だってこんなに高いヒールの靴、どうせ私になんざマトモに履きこなせるはずがない。だったら履いてみて、ああ、とてもじゃないけどやっぱりこんなの無理、って実感した方がいっそスパッと諦めがつくかな。そう考えたんです。

 もちろん仲良しの店員さんは「そうそう。買わなくっていいの。そんなこと気にしないでせっかくだから履くだけ履いて遊んでみればいいのよ」って、そりゃそう言いますよね、店員さんだもの。

 それでまあ、完全に買う気なし、冷やかし気分でお気楽に足を入れてみた訳です。シンデレラの如く。


 いや、もう、コレがカッコいいのなんの。鏡に映った自分の足元が。

 だってね、履くだけでいきなり身長が10センチも高くなっちゃう訳ですよ。しかも足が10cmも長くなるんですよ。うっかり勘違いしちゃいそうです。あれ? 私、こんなにスタイル良かったっけ? なーんて。その日はちょうど細身のパンツ姿だったから、なおさら。

 足、長ーいっ。いいなー、いつもこんなに長かったらいいなー。

 そんな夢みたいなことが、ただ靴を履くだけで叶う、って凄くないですか?? 


 とは言え、いくらスタイルが良く見えた所で、歩けなければそれは靴ではありません。そんなものは買えません。なので、お試しと称してお店の中をぐるぐると歩いてみます。溶けてバターになるくらい、とは言わないけれど、結構マジメに歩いてみました。

 意外や意外、思っていたより難なく歩けました。後から冷静になって考えてみれば当たり前のことだったんですけどね。だって店内です。床は平らで凸凹してる訳じゃなし、ひとが大勢行き交っている訳でもない。重い荷物も持ってなければ、雨も降ってない、急いでもいない。何の負荷もかかっていない状態です。

 これですぐに「キッツっ」って思うなら、それは多分、サイズや木型が合ってないとかそういう話でしょうね。でも、そこの靴、私の足には合うんです、とりあえず。一足しか残ってないのにサイズもドンピシャだし。

 ということで、試し履きしてみたら諦めがつくどころか、かえって「欲しい!」欲がむくむくと強く湧き上がってきちゃって、バカ、どうすんのよ私、と頭を抱えてしまいました。

 元々、ふだんはほぼあり得ない一目惚れなんか柄にもなくしちゃってる所に、履いた姿がカッコいい(あくまでも通常の当社比、個人の感想です)、その上これなら履けなくもないかも、なんて手応え感じちゃったらもうお終い。気がつけば買うための言い訳探しをしていました。


 このヒール高、今、履かなきゃ、もう一生、履けないよ?

 チャレンジするなら今だよ?

 こんなカッコいいの履かないで年取ってって、そのまま一生を終えるつもり?


 こういうのを『悪魔の囁き』って言うんでしょうね、きっと。

 いつの間にか脳内には「60になっても10cmヒールを履いて颯爽と歩く私」が妄想生存してました。あーあ。

 で、うっかり決意しちゃったんです。これ履いて、カッコいい50代過ごして、そのままカッコいい還暦迎えよう! って。




 ……そうして冒頭、な訳です。


 悪魔の囁きに乗って買ってしまったこのショートブーツ、年に一度程度しか履けてません。

 何で、って? 

 それは、ですね。それなりに服を選ぶってことがまずひとつ。次。ショートですから、履く季節もまあまあ選びます。

 そして何より、これが最大の理由。

 ──ショートブーツは足首をロックされるから。


 我が家は高台にありまして、で、最寄り駅は山の下。ということは、電車に乗るためには必ず階段を登り降りしなければならない。これがね、10cmヒールのこのショートブーツでは何より辛かったんです。

 5センチのショートブーツも持っているんですが、そっちは全く問題なく登り降りできます。ところが10cmだとウソみたいに負荷がかかる。足首が全然曲がんなくて、階段めっちゃ怖い。イメージとしては、つま先立ちで足首曲げないでずっと登り降りする感じ。これはもう走るどころの騒ぎじゃありません。ゆっくり歩いてても階段踏み外しちゃうかも、って怯えるくらいです。初めて履いて出かけた日は、階段の途中で泣きそうになりました。

 そんな不安抱えて外出なんてしたくないでしょ? 駅にたどり着くだけでフラフラになるような靴、履いて出かけますか? って話です。

 だから、この靴、履くなら、車ででも送迎してもらって、立ってるか平らな所をほどほどに歩くような、そんなお出かけだったらいいんでしょうけど、残念ながらそんなお出かけはありません。


 ということで、カッコよく年を取ろうと思って惚れて買ったはいいが、出番がほとんどないまま下駄箱の肥やしとして年を重ねているショートブーツ。ああ、なんて不憫な。そして気づけば……(ここから先は敢えて何も言いません。お好きな味付けでどうぞ)。

 とは言え、元々相応の覚悟を持って買った靴です。某フリマアプリなどで売り払う気にはとてもなれません。意地でも履きこなしたい。ええ。一刻も早く。

 ──だって、コレ、大台突入直前でなければ持たなかった覚悟だもの。あんまりもたもたしてたら、次の大台が来ちゃうじゃないの!! 一年なんてこんなにもあっという間なんだから!!




 カッコいい、を叶えたい、50代も道半ば。

 今年こそは、の2022年年頭の所信表明演説をご清聴頂きました皆様、誠にありがとうございます。

 足首を回してほぐしながら、どうやったらこのショートブーツを手懐けられるんだろうと妄想逞しくしても想像力が追いつかない輩に、今年もお付き合い頂ければ嬉しゅうございます。ついでに素敵なアイディアも絶賛募集中です♪


(ちなみにどこかの女王サマは15cmヒールを所有されていると風の便りで聞きました。しかもアナタ、複数足ですってよ! それ一体いつどこで履くんだ!? さすが女王サマはダテじゃないなーと驚愕した次第。私はその器にあらず、どころか『ひざまずいて足をお舐め!』って鞭持って言われた感、満載です。いや、もちろん、舐めませんけどね。ついでに言うと、去年の暮れに痛めたヒザもまだ少々痛みます。カッコいい、の道は険しいのでありました。なむなむ。)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る