第52話 手紙の裏


 この一年ほど、定期的に実家に泊まって片付けをしています。今回はその時の話。


 その日は書類や領収書などの紙類の整理と片付けをすることに決めていました。大まかな紙類の仕分けはそれまでに済ませてあったのですが、その中に手紙の束がありました。この手紙の束、母宛てだけでなく、母の両親(私の祖父母)の分も含まれています。ふたりを見送った後、母が手紙類の全てを引き取ったからです。

 手紙はそのほとんどを処分せず残すこと前提、片付けと言うよりは思い出話をするのが目的みたいなものでした。ひとつひとつを手にし、目を通して、母と話をしていきます。


 中に一通の封書がありました。何も書かれていない封筒の中に、折り畳んだ二枚の厚手の便箋が。広げてみると、子供が書いた手紙でした。

 どれどれ。

 読むまでもなく、上の弟の名前が大きく書かれているのが目に飛び込んできました。そして、下手くそな絵。可愛いなあ、なんて思いながらよく見ると。

 その手紙、曾祖母(祖母の母)に宛てたものだったんです。

 変だなあ、なんで曾祖母宛ての弟の手紙がここにあるんだろう、と不思議に思いました。曾祖母は九州から住まいを動かすことなく生涯を終えたひとで、転勤族だった祖父母と同居したことなどなかったからです。ということはこの手紙、何らかの理由と方法で曾祖母の所から祖母の元へと移動してきたことになります。


 手紙の内容自体は他愛ないものでした。『こちらは皆、元気です。そちらも元気でいてね。写真入れたから、飾ってね』。要約すればこれだけです。てにをはなどの間違いがいくつか目につく幼い手紙を苦笑しながら読み終えて、ふと見ると。手紙の裏にも何やら書き付けがあることに気が付きました。

 なんだろう?

 てっきり弟の下書きか何かだろうと思って見たところ。なんと曾祖母が祖母に宛てて書いた文だったのです。

 以下、名前を伏せた上で、そのまま書いてみます。


『便箋がないから〇〇さん(弟の名前)の手紙に書きます。私、突然そちらに行くことになりました。明後日日曜日三日に□□(祖母の弟の名前)と一緒に行きます。□□が電話致します。三日午後二時半福岡発で行きます。』



 読んで、しばし考えてから、爆笑。

 ……便箋がないから、って。

 ……「行くことになりました」って。


 母が「何事?」という顔をして私を見ているので、手渡しました。そうして説明を付け加えました。

「要はね、『そっちに明後日遊びに行くことに決めたからヨロシク!』って手紙を〇〇の手紙の裏に書いておばあちゃんに送って寄越したんだよ。ひいおばあちゃん」


 お断りしておきますけれど、もちろんふつうに電話してましたよ、この当時。手紙しか連絡方法なかった訳じゃないですよ、当然。それなのに、なぜに手紙? しかもひ孫が送ってきた手紙の裏に?? 便箋がないってそんなあなた、チラシだって何だって探せば近くに絶対にあるはず!

 一応、息子(=祖母の弟)に電話させるとも書いてありますけれど。だったらこの手紙の意味って何だろう? ふつうに考えたら要らない手紙ですよね? 電話の方が絶対に早いんだから。当時の郵便事情は分かりませんが、ヘタしたら祖母が手紙受け取って読むより先に、曾祖母本人が到着する可能性だってある訳です。何せ「明後日」に行くって書いてるんですから。それも他人事みたいに。


 考えれば考えるほど素っ頓狂というか、思いつきだけで書いたようなこの手紙を見て、曾祖母の人柄が偲ばれました。

 この曾祖母はかなりユニークなひとだったらしく、母からその面白話は色々と聞かされていました。もちろん私も何度かは会ったことがあるはずなのですが、まだ幼い頃のこと、記憶にありません。何枚かの写真と送ってくれたプレゼントの印象がわずかに残るだけです。

 それにしても、ねえ。

 母は手紙を見て嬉しそうに笑っています。彼女はこの自分の祖母がそれはそれは大好きで、そうして彼女の母親である私の祖母のことも大好きで、更には曾祖母と祖母もとても仲が良かったのだそうです。そりゃそうでしょうね、何せ突然『そちらに行くから!』って手紙書いてやってきちゃうくらいなんだもの。


 ひ孫が送ってくれた手紙の裏にこんなこと書いて送って寄こして、「着たよー」って玄関先に立って笑っている母親。

 それって娘の立場になるとどんな気分になるんだろう。

 想像してみましたが、ちっとも分かりませんでした。

 自分にはまだ孫すらいないから? そもそも娘もいないから? それとも母娘関係が違うから?? 

 うーん。やっぱり何も分かりません。

 まあ、私の母もそれなりに? 面白い所のあるひとだとは思いますが、それでもここまで面白くはないのが嬉しいような、有り難いような、残念なような。

 そして母よりも私はもっと面白みに欠ける人間なので、これは人間の器が世代を経る毎に段々と小さくなっている事の証左なのかもしれない、などと思ってみたりもします。


 兎にも角にも。

 曾祖母がこんなとぼけたことをしなければ手元に残らなかったであろうこの手紙。早速写真に撮って、書いた本人である弟にLINEで送りつけてやりました。

 写真を見た弟、「覚えてなーい」と笑ってましたが、そりゃそうでしょう。私だって小学生の時に親に書かされたであろう手紙なんて、絶対に覚えちゃいませんって。

 でも、40年以上の時を経てこんな風に私達を笑わせてくれたのですから、元々の手紙を書いた弟、その裏に書いて自分の娘に送りつけた曾祖母、そしてそれをずっと保管していた祖母、祖母の死後に引き取った母、都合4世代に渡る手紙のバトンリレーには『よくやった!』と言いたいです。片付けがんばって! と笑える叱咤激励された気分です。



 今年も残りわずかとなりました。

 年末ともなると、ふだんは書くことも少なくなった手紙をしたためることも多少、あります。つい先日も何枚か、久し振りに手紙を書きました。あまりに久し振りだったせいか、元々下書きなどしないでいきあたりばったりで書くせいか、とにかく書いた手紙の全てがへっぽこで、出した後、あーあ、と反省したのです。反省したはしたのですが、だからといってうまくなるわけではないことは、このエッセイが証明しています。

 そんなエッセイをお読み下さっている奇特な皆様、この一年、お付き合い頂き本当にありがとうございました。手紙の裏にもならない役に立たないエッセイではありますが、また来年も一緒に笑って頂ければ嬉しいです。

 笑顔の絶えない年の瀬でありますよう。










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