第29話 卒業式


この時期、グーグルフォトが割と頻繁にアピールしてくる。

一昨日の朝もそうだった。

ぽろん、と鳴ったのでスマホを手にしてみれば、

「〇〇年の今日」とグーグルフォトが訴えかけてきていた。

促されるまま見ると、三年前の長男の卒業式の写真が何枚も流れてきた。



話は変わるが、この1年くらいの間、私はほとんどの墓参を母と、母の友人Mさんとの3人で行っている。

Mさんは母のご近所さんで、母とほぼ同年代の仲良しさんだ。彼女にはふたりのお子さんがいて、長男さんには去年、待望の初孫が生まれた。娘さんは私の下の弟と同世代のしっかり者の独身美人さん。Mさんは彼女とふたりで仲良く暮らしている。

そのMさん、数年前にパーキンソン病を発症してしまった。投薬治療を受けているのだが、この1年、進行がかなり早い。病のせいで体重がかなり減ってしまった。今では30キロあるかないか。文字通り、風で吹き飛ばされそうな体だ。だからよく、「お肉、分けてあげたいのにねえ」と母と私でからかっている。

その世代では長身の母は、子供みたいに小さくなってしまったMさんと腕を組んで、毎日のようにふたりして買い物に行く。私の足で5分ほどのスーパーへの道のりを、ふたりは20分ほどかけて歩いて行き、それ以上の時間をかけて帰ってくる。足元が覚束なくなってしまったMさん、調子が悪いとその距離すら歩けなくなり、立ち往生してしまう。たまたま在宅していた弟やご近所さんたちの手助けで、何とか帰ってこられたことも何度かあったと聞いている。

そんなMさんの外出は、母とのこの買い物以外だと、あとは通院くらい。外でだけでなく家の中でも始終、転倒するようになった。この正月は、やかんを持ちきれなくなって、沸騰したお湯をこぼしてしまい、酷い火傷をしてしまったりもした。

生活全てにおいてままならないことだらけのMさんだが、そんな今でもできる素晴らしい特技がある。裁縫である。子育て中に始めたそれは、努力家で几帳面なMさんの性格故、気付けばプロはだしの腕前となり、実際、仕事として請け負っていた時期もあったらしい。今でも身近なひとに頼まれると二つ返事で作ってくれる。母はもちろん、私も一度、お世話になった。病気が進んでも、今の所なぜか裁縫だけはできるそうで、貴重な楽しみのひとつだと笑って話している。


そんなMさんと我々親子計3名での墓参は、毎回、

墓参→ランチ→手芸屋で買い物→スイーツ購入→帰宅後、デザートタイム、

というコース設定だ。

律儀なMさんは毎回、墓参に付き合ってくれる。車で待ってていいよ、と言うのだけれど、母と腕を組んでゆっくりゆっくり歩いてお参りしてくれる。3件分の墓参を済ませたあとは、手芸屋近くのお店でお昼ご飯。お腹いっぱいになったところで手芸屋へ。

その店は輸入生地も含め、かなりの種類の取り扱いがある有名店である。オリジナルの型紙も売っていて、店で売っている生地で作った実物サンプルがあり、試着まで出来るので、出来上がりがよく分かる。いつ行っても賑わっている人気店だ。

Mさんを墓参に連れて行く理由は、ランチと、そして、この店。毎回彼女はこの店で生地を買う、それも、私の分まで。

「どれでも欲しい服、作るわよ」と言ってくれる彼女に、私は遠慮なんかしない。気に入った型紙を指定して、好きな生地を選び、着分をお店の人に裁ってもらい、支払いはお任せする。そうして最後に和菓子と洋菓子、それぞれ贔屓の店で買ってから、帰る。

私の運転する車の後部座席は、帰り道、彼女たちの昼寝シートになる。高速道路で30分から40分ほど。到着後、買ってきたデザートを母の入れたコーヒーと共に楽しみながら、その日の戦利品を広げ、仕上がりの相談をして、お開き。だいたい1ヶ月ほどしてから、私は戦利品で作られた完成品を受け取れるという寸法だ。

こんな墓参を去年は4回ほどしたのだった。その度に「連れていってくれてありがとう」と彼女はとても喜んでくれるけれど、私だって嬉しい。彼女が喜んでくれるからだけではない。

だって、こんな年になっても、私を甘やかしてくれるひとがいる。こんな幸せなことって、ちょっとないでしょう? そう思いながらいつも胸を張って甘えている。いい年をして、と言われそうだが、いいのだ。これで。と私は思っている。娘さんは、気に入ったものを自分で買ってくるからと言って、服は作らせてくれないそうだ。気持ちはとても分かる。私が彼女だったら、同じことを言っただろう。だから、こんなに素直に甘えられるのは、他人の特権なのだと思う。


さて、そのMさん、他にも特技がある。着物の着付けである。こちらも結婚後、身に付けた技術だそうだ。母も、私が成人する時にわざわざ習って着付けてくれたのだけれど、それ以降、ろくに着る機会もなかった為、今ではすっかりできなくなっている。

着物を着られない私は自分の着物を持っていないが、母はそれなりの数の着物を持っている。もちろん今では着る機会は全くない。それももったいない話だからと、息子たちの小学校の卒業式の時に着付けをお願いした。それくらいの距離なら着慣れない私が歩いて行っても大丈夫だったから。中学は倍以上の距離だったので諦めた。もちろん長男の高校の卒業式も、である。


1月の末に、今年初めての墓参に3人で行った後、Mさんが母に言ったそうだ。

「卒業式に着物、着なくていいの?」と。

次男の高校は、電車を2本乗り継いた所にある。ドアツードアで通常45分ほど。着物ならもっとかかるだろう。本来なら悩むことなく気持ちだけ受け取るところだが、今回は悩んだ。「ちょっと保留にしておいてね」と伝えてもらった。

子育てに一区切りがつく、という気持ちがあった。コロナだからこそ、とも思った。もう一度くらい母の着物を着ている私を母に見せてやりたい、とも思った。何より、今回を逃すと、もう二度とMさんに着付けてはもらえないだろう、と思ってしまったのだ。

結局、Mさんには頼めなかった。Mさんが骨折してしまったからである。薬を変えたのが悪い方に出てしまって、この2月、あれよあれよと言う間に症状が悪化してしまったそうだ。家の中ででもトラブルが何度も起きて、その度に母が助けに行っているらしい。いざという時に備えて、母はMさん宅の鍵を預かっている。

更にこの2週間は、母との買い物すら行けなくなってしまったそうだ。Mさんは体こそ不自由だが頭はしゃんとしているので、母とは「割れ鍋に綴じ蓋」コンビだとふたりで言って笑っている。そのコンビで買い物にも行けなくなくなっていたなんて、ついこの前、実家に顔を出すまで知らなかった。

グーグルフォトが知らせてくれていた3年前の服装、元々、着ていくつもりだったワンピースも、でも、出番はなかった。コロナのせいで、去年に引き続き今年も、卒業生と先生方だけの式となってしまったからだ。後日、ネットでの写真販売があるそうだ。式次第の練習用のユーチューブを生徒に向けて限定公開するくらいなら、当日、生中継して流してくれたらいいのにね、なんて言葉が、さっきから仲良しママたちとのLINEグループの中で別れの挨拶と共にぴんぽんと鳴り続けている。



そんな訳で、今日は珍しく朝のこんな時間からパソコンの前だ。

もちろん着物もワンピースも着ていない。

普段着で化粧っ気もなく、足元には電気ストーブ。

この朝は冷え込んだ。こんな日の体育館は足元から冷えてくるだろう。スリッパの中に靴用ホカロンを入れて応戦しても、冷えの方が優勢だったかもしれない。


ぬくぬくとした足元は、今、体育館に座っていないからだ。

昨晩、日付が変わるまでの無料公開だった「バクダットカフェ」をゆっくりと観る時間があったのは、今、体育館に座っていないからだ。

映画を見終わった後、主題歌の「コーリング・ユー」を、ユーチューブで何度も何度も聴き直した。歌声がやけに胸に沁みた夜だった。


今日は、前日と打って変わって、好天だ。

いささか風が強すぎるけれど、それでも、着物くらいは着られそうないい天気だ。

もちろんワンピースでも何の問題もない。



それでも皆、とりあえずは元気だから(つい一昨日までMさんは入院しなきゃいけなくなるかも、という話だったのが、しなくて済んだと昨夜、聞いた)、それで良しとしなければいけないのだろう。贅沢は言えない。



10時を過ぎた。

式が始まっている。今頃はもう名前を呼ばれて卒業証書を受け取ったのだろうか。

元気なきみを、少し離れた場所からだけど、皆で祝っています。


卒業、おめでとう。

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