(3)

☆私


「そんなことが許されてたまるか」


 家の中へと入っていく久瀬の背中に向かい私は叫んだ。少女の役割を聞いてひどく憤慨してしまったのだ。


「仕方ないよ。それがずっと続いてきたこの町の決まりなんだ」


 久瀬は広い玄関で靴を脱ぎ揃えた。部屋の中には絵本やおもちゃが散乱している。絵本は栗田のものだろう。少女が亡くなってから手入れをされた様子はない。私も家の中へと上がっていく。


「仕方ない? そんなことを決められてるなんておかしい」


「だったら佐々木の怒りは少女だけでなく、他の人にも向けられるべきだよ。この町のすべての人は役割を決められて生まれてくるんだ」


 久瀬はファンシーな色の絨毯の上に腰を下ろした。近くにあったぬいぐるみを手に取りお腹に抱きかかえる。


「他の人……?」


「そうだよ。他の人さ。でも佐々木が怒りを向けるべきは僕らじゃない。僕らは痛みなんて、傷なんてない仕事をしてるんだから。……彼女たちは少女と同じなんだ」 


「彼女たちの役割も生まれた瞬間から決まっていたことだっていうのか?」


 久瀬が頷いた。「それがこの町に生まれた多くの女性の運命なんだ」と彼は天井を見上げる。


 綺麗なシャンデリアがぶら下がっていた。貝殻の形をしたガラスが、風に靡くカーテンの隙間から差し込む陽を反射してチカチカと光っている。


「……そうすることで僕たちは命を紡いできたんだ」


「命を紡ぐ? 誰が親かも分からずにか」


 思わず声を荒げてしまう。久瀬が視線を落とした。抱きかかえたぬいぐるみにぐっと力が込められた。


「君たちはどうかしてる……」


 あまりにも感情的になりすぎた。私はその場に座り込み頭を抱える。たとえ、非人道的な行いだったとしても、彼らにとっては至極当たり前のことなのだ。それは私たちが身の回りに起きる理不尽を受けいれているように、この町の人たちにとってそれは受け入れるべき常識だったんじゃないだろうか。


 少なくとも、葉月や五郎が落ちこぼれだと揶揄される時点で、誰も疑いはしないことなのだ。


「僕も今は佐々木と同じ気持ちさ」


 久瀬は立ち上がると、窓際まで歩いて行った。さっとカーテンを開く。明るい陽射しが部屋の中へ差し込んできた。まるで日光の黄と白が部屋の中へ染み込んでいくように部屋が明るくなっていく。


「久瀬はどうして私と同じ気持ちになったんだ?」


「葉月と五郎のせいなんだろ?」


 確かに私は葉月と五郎の影響があるかも知れないと言った。けど、葉月と五郎はどうしてこの町の常識に反感を持ったのだろう。


 たとえば、江戸時代は何百年と続いていたはずだ。そこで築かれていた常識を疑うものなどいなかったはずなのだ。だけど、黒船が来襲して常識が打ち崩されていった。そうやって劇的な何かが無ければ人は常識を疑うことをしないものじゃないだろうか。


 それとも葉月や五郎の反感は偶然に発生してたものなのか。あらゆる情報が錯綜する現代ですら常識を疑うことが難しいのに、この閉ざされた空間でそういう事象が起こりうるものなんだろうか。


「でも佐々木のおかげでもあると思うよ」


 感情を表に出さない程度に久瀬は口端を緩めた。


「私のおかげ?」


「だって、佐々木が僕のやっている役割に意味があるのかって言ってきたんじゃないか」


「確かにそうだけど」


 つまり、私は気づかないうちにペリーになっていたらしい。やって来たのはピンクのタクシーだけど。もしかすると葉月や五郎も同じだったのかもしれない。


「葉月や五郎も外から連れてきた人たちと交流していたんだよな?」


「そうだよ」


「葉月と五郎は外から来た人たちにこの町がおかしいって伝えられたのかもしれない」


「どういうことだい?」


「自分で言ってたじゃないか。私のおかげだって。つまり、今の久瀬と同じ状態ってことだ」


 例えば、絵本を描きたいなら描き続けるべきだ、と。好きな人がいるなら思い続けるべきだ、と教えられたんじゃないだろうか。私が久瀬に意味のない役割を全うするのはおかしいと言ったように。


「それじゃ、外から人を連れ来るのは、制度がおかしいって伝える為だっていうのかい?」


「そこなんだよ」


 外から人を連れてくるという行為はつまり、黒船を自ら招くということだ。異なった常識を取り入れて、制度の存続を脅かすような役割をわざわざ設けるだろうか。ただ思うところはある。常識や制度が違えど、この町と私の知っている世界は良く似ているのだ。


 そして、私が思い出していたのはやはり風太のことだった。


 風太は、葉月が作り上げたこの丘の景色を綺麗だと言った。五郎が描いた絵本を面白いと言い、読み聞かされていた栗田の絵本はつまらないと言ったのだ。


 ――ここにやって来る人の中にも面白い人はいるんだ。


 この町に住む人の多くは、元々、風太や葉月、五郎みたいに無垢な心を持っていたんじゃないだろうか。外から人を連れて来るというのは、制度をおかしいと伝えるためなんかじゃなく、無垢な心を汚すための行為だったのかもしれない。


「どういう人が長くこの町にいて、どういう人がすぐに帰されたのか覚えてないか?」


 うーん、と久瀬が困ったのを見て、私は質問を変える。


「直近。そうだ医者は長かったと言ってたな」


「そうだ。一週間はいたはずだ」


「その前は?」


「女性だったよ。彼女は短かった。二、三日で帰って行った」


 風太は医者のことを面白くない人だと言っていた。それにだ。


「少女は医者に懐いていなかったんだよな?」


「うん。どちらかというとその前の女性の方が好きだった印象だよ」


「やっぱりそうだよ」


「一人で納得しないでくれる?」


 久瀬の眉が不機嫌に下がった。詰まれた本の上に彼は腰掛けて頬杖をつく。


「外から人を連れてくるのは、君たちに役割を遂行することを植え付けるためなんだ」


「どうしてわざわざ外から?」


 理由があるとすれば――


「君たちを無垢な心と接触させないためじゃないかな」


「どういうことだい?」


「五郎が言ってた。大人は少女や風太にあまり近づいちゃいけないって」


「確かにそういう決まりがある。極力、関わりを持たないようにって」


「それは、無垢な彼らに当てられて、君たちが反乱分子に変わらないようにするためじゃないか」


 ――まるで今の久瀬のように。と私は心の中で付け加える。


 外に適任者がいるのだから連れてくればいい。町の人が彼らに接触して無垢な心を取り戻すリスクを考えれば、連れて来る人間の中に不適合者が混ざっていて、無垢な心を汚せないまま大人に成長する方がマシと思ったのだろう。無垢なまま大人になってしまった彼らなら、落ちこぼれだと笑って蔑んでいればいいから。それを誰も不自然だとは思わない。役割を怠り、夢追いの愚者だとみんな指を差すのだ。


「外から人を連れてくる意味は分かった。自分の深層心理は分からないけど、僕の心の片隅にそういう思いが残っていたのかもしれない」


 久瀬は自分の胸に手を当てた。「つまり、」と言葉を続ける。


「少女は外から来た人の影響を受けて死んでしまったってこと?」


「久瀬の話からすれば、滞在時間が短かった女性っていうのは、この町にとって不都合な人だろう。それでもって、医者が適任者のはずなんだ」


「そういうことになるね」


「少女の心に変化を与えたのは医者なんじゃないか。これは推測でしかないけど、『現実を受け入れて大人になるべきだ』と言われたんじゃないかな。決められたルールに生きなければいけないって」


 やはり、一択しかない自分の未来。それを悲観した少女は自ら命を絶ったんじゃないだろうか、と思った。その直前に不適合な女性が来ていたなら尚更だ。彼女は「あなたは自分の行きたいように生きるべきだ」と告げたんじゃないだろうか。医者はそれを否定した。 


 久瀬が目に涙を浮かべながら立ちがった。「懐かしい気持ちになったよ」と嗚咽混じりに言葉を漏らす。


 それにね、と彼は続けた。


「分かるんだ、佐々木。その言葉を受けた少女の心の痛みが。風太には友達がいる。誰にも見えない友達が……。そして僕にだっていた。だから、少女にも友達がいたんだじゃないかな。医者はそれを奪っていったんだ」


「私の考えよりも十分に説得力のある理由だと思う」


 風太の言っていた死ぬよりも嫌なことが分かった気がした。

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