(2)
「佐々木はまったく関係ないって思うのかい?」
自転車が止まったのは丘の頂上付近。久瀬は自転車から降りて、花畑の中へと歩を進めた。私もそれを追いかける。
「全部を否定するつもりはないよ。けど、それならやっぱり逢瀬の時に会っていた女性を疑ってしまう」
「逢瀬との因果関係を強調すればするほど彼女たちが疑われるんだね」
「悪いけど、そうなるな」
本当はそう思いたくない自分がいるけれど。疑いたくなる側の気持ちは分かるのだ。
「ううん。佐々木の言うことは正しいと思う。彼女たちを疑いたくないと言うのは僕のエゴかもしれないからね」
彼女たちが殺人を犯す動機があるとすれば、「淫らな行為の強要に耐えられなくなった」というものだろう。淡々と役割をこなすのに嫌気が差した。殺人を犯すには十分な理由だ。
それでも、警官だけが殺されなかったこと、女性の力だけでは首を絞め殺すことは難しいこと。この二点が不可解だった。
「ただ、彼女たちだけで殺人が出来るとは思えないんだ。夜だからお酒が入っていたかもしれないし、色んな状況が考えられるけど、女性が素手の力で男性の首を絞め殺せるんだろうか。いくらなんでも抵抗くらい出来るんじゃないか? それに、栗田の首には縄のようなもの痣が出来ていた。彼女たちはそういうものを持っていなかっただろ?」
「持っていないと思う」
やはり、この事件の最も不可解なことは、この町には無いはずの縄で絞め殺されていることだ。最も殺人を犯せるのは彼女たちだが、どこで縄を手に入れたのか。そもそも縄の存在すらこの町の住人は知らないはずなのだ。
「ねぇ、佐々木――」
そんな私の思考は久瀬の言葉に邪魔された。
「この事件を紐解くために他に何を考えればいいと思う?」
紐が無いくせに紐解くなんて言葉を使って、と私は心の中でごちた。
それでも嫌味を顔には出さずに「殺された人たちに他にも共通点を見つけるとか?」と私は答える。
「共通点ね」
「逢瀬を行っていたことと合わせて考えれば、犯人の動機が見えてくるかもしれない」
存在しない縄の出どころを久瀬に聞いても無駄だと思った。それよりかは、彼女たちでない犯人がいる可能性を模索していくべきだと思ったのだ。
もちろん私は、殺された彼らのことを詳しく知らない。森川とは少し話した程度だし、栗田は応援演説を聞いただけだ。逢瀬の件がそうだったように殺された人の共通点は久瀬にしか分からない。
「殺されたのは四人だったな」
「そうだよ」
「たしか、少女の家の世話をしていた人、森川、栗田、小倉だったか」
「うん、合ってる。ちなみに、世話をしていた人の名前は
「好川、森川、栗田、小倉だな。それじゃ、彼らに逢瀬を行っていた以外に共通点はあるか?」
うーん、と久瀬は喉を鳴らす。
「彼らはみんな――」
そこまで言って、久瀬は言葉を詰まらせた。その場にしゃがみ込むと、片手で膝を抱えて、優しいタッチで紫陽花の花を撫でた。黙ったまま暗くなる表情に、確信めいた何かがあるんだろうと思い、私は回答を急かすように質問を続ける。
「彼らのことを殺したいと思ってる人に心当たりがあるのか?」
「それは……」
図星だったらしい。それから小さく息を吐き、久瀬は立ちがった。その腰は随分重たそうに見えた。躊躇と戸惑いが重たく久瀬に伸し掛かっているのだろう。
「……きっと僕だ」
弱々しくそう告げた久瀬の声は、丘を駆け上がってきた風の音にかき消された。葉擦れの音が鼓膜を揺さぶる。ほんの一秒前の久瀬の言葉は本当に自分が聞いたものなのか疑いたくなった。
「久瀬が?」
「そう僕だ」
どうしてだ、と私が問いただす前に、久瀬は自ら口を開く。
「――少女が死んだからだ」
少し離れた木を見つめながら、悲しそうに瞳を潤ませた。細い双眸から一滴だけ雫がこぼれ落ちる。
「少女の死とこの事件に何か関係があるのか?」
「もし、そうなら僕に動機が生まれる」
「待ってくれ。久瀬は犯人じゃないだろ?」
「うん」彼はハッキリ頷いた。
「なら、どうして少女とこの事件が結びつくんだ?」
「殺されたのは、みんな少女に深く関わっていた人たちだ」
少女に関わる? と私は殺された人をもう一度思い出してみる。家の世話をしていた好川、絵本を描いていた栗田、おもちゃを作っていた小倉、「それじゃ、森川は?」と私は訊ねた。
「森川は少女のために連れて来られた君たちに報酬を払っていた」
私はそれを受け取ることはなかったが、これまでほとんどの人が受け取っていたと森川も言っていた。彼もまた少女に関わっていた一人というわけだ。
「少女に関係しているのは分かった。だけどだな……」
少女と関係があるということが、殺人の動機になる理由が分からず、私は髪を掻く。
久瀬は木を見つめるのが辛くなったのか、踵を返すとゆっくり少女が住んでいたという家の方へ歩き出した。
「佐々木には分からないかい? 僕が彼らをどうして殺したいと思っているか」
――僕らが少女を縛り付けていたんだ。
私は、少女の自殺の話を初めて聞いた時の久瀬の言葉を思い出していた。あの時は漠然とした言葉だと思ったが、それは少女を育てるため敷かれていたこの町のシステムのことを指していたんじゃないだろうか。
「つまり久瀬は、少女が彼らのこと……いや、この町のシステムを苦にして自殺をしたって言いたいのか?」
少女は自分を取り巻くシステムを嫌い、首を吊った。犯人は、そのシステムの歯車であった人たちを憎み殺人を犯したのだ。少女が首を吊ったのと同じように首をしめて。そして、自分自身は少女の死を悲しみ、そう思っていた一人だ、と久瀬は言いたいらしい。
「そうだね」久瀬は軽く頷く。
少女の死と殺人事件に関連性があることが納得した。だけど、久瀬は犯人じゃない。自白ならば、こんな回りくどい言い回しではなく、「僕が殺した」と言うはずだ。久瀬が言いたいのは、犯人も自分と同じ動機かも知れないということなのだ。
「けど、分からないんだ」
じわじわと姿を変えていく入道雲が空を覆いはじめていた。夏らしい景色だが、昨日までとは少し様相が違う。もしかすると一雨来るかもしないと思いながら「何が?」と私は返す。
「どうして僕も犯人も、少女がそれを苦にして自殺したと思ったんだろ」
少女が自殺した本当の理由は分からないはずだ。けれど、久瀬は不思議と少女が自殺したことを自分たちのせいだと認識している。それはきっと。
「葉月と五郎のせいじゃないか?」
「あの二人?」
「そうだ。ずっと蔑まれていたんだろ? 役割を果たせていないって」
「そうだよ」
システムを嫌うということはつまり、役割を嫌うということじゃないだろうか。あの二人は少女と同じようにシステムを嫌っていたのだ。
「役割っていうのは、生まれた時から決まってるって前に言ってたよな?」
「うん、言った」
「それなら、このシステムはその役割を担う者を育てるためにあるんじゃないのか?」
「どうなんだろう」
久瀬は歩くスピードを緩めて首を傾げる。
「だからこそ、そこから外れた葉月や五郎は落ちこぼれと言われるんだ」
久瀬は何も返さない。
「久瀬も薄々は思っていたんじゃないか。このシステムがおかしいって。だから仕事をサボったし、少女がシステムを苦にしていると思ったんだ」
一つの要因だけではないはずだ。表向きは自分が逢瀬を取り計らった人が殺されてしまっているというものだろう。それと同時に、内心には五郎や葉月を落ちこぼれと呼び、少女を死へと追いやったシステムへの不信感が募りはじめていた。本人は自覚していなかったのかもしれないが、黙ったままでいるところを見るに、私の考えは間違っていないらしい。
「なぁ、久瀬……」
返事のない久瀬を呼べば、「なんだい?」と彼は答えた。
私はまだ青く晴れ渡っている空を見上げた。与えられる役割を嫌う二人の気持ちはなんとなく分かる。私もかつては就職するという役割に抗っていた人間なのだ。
――人には死ぬよりも嫌なことがあるんだ。
どうしてか過ぎったのは風太の言葉だった。少女にとって死ぬより嫌なことは何だったんだろう。五郎は諦めずに絵本を描き続けているし、葉月もまだ悩んでいる最中、私は時が来たのだと諦めた。けれど、少女は自ら命を投げ出したのだ。
「少女の役割ってなんだったんだ?」
「彼女の役割は――」
そう言って、久瀬が少女の家の扉を開けた。
★少女
突然、玄関の扉が開いたの。入ってきたのは安山という男だった。彼はアタシをここに連れてきた張本人で、会うのはおかしなタクシーに乗った時以来だった。
「時間だ」
ぶっきらぼうな言い方で安山はアタシにそう告げた。急に人が入って来たことに驚いたのね。少女はアタシの背中にすっと隠れた。怯えた様子で、アタシのシャツをギュッと握りしめていた。せっかく少女と楽しい時間を過ごしていたのに。邪魔をされて私はムッとなった。
「時間ってどういうこと?」
「帰りの時間だ」
「急に連れてきて、そっちの都合で帰らされるの?」
「そういう決まりだ」
安山は淡々と言葉を紡いでいた。表情なんて一つも変えずに。タクシーに乗ってた時から、感じていたけど、彼はとても冷たい印象だった。
「お姉さん帰っちゃうの?」
少女の声は振るえていた。きっと寂しさだと思う。悲しい思いをさせたくなかったし、アタシ自身も向こうの勝手な都合では帰りたくなかった。
だから、「大丈夫、アタシはまだ帰らないから」とアタシは少女にそう告げた。
でも、そんなことお構いなしに、安山は靴を履いたまま家の中に上がると、アタシの手を無理やり掴んだ。
「さぁ来い。さすがに女に暴力は振るいたくない」
「やめて! アタシは彼女とまだ話したいの」
「これ以上、お前を少女と話させるわけにはいかない」
「どうして?」
「あんたは不適格だった」
そう言って、安山は私の手を乱暴に引っ張った。暴力は振るいたくないと言っていたけど、安山は抵抗しようとしたアタシの髪を掴んだ。玄関の方まで連れて行かれて、外へ出される。
「お姉さん!」
少女は必死にアタシを何度も呼んでいたけど、安山は激しく扉を閉めた。たった一枚の扉が少女の声を完全に遮った。私はまだ少女に話してあげたいことがたくさんあったのに。
「不適格ってどういう意味?」
アタシは掴まれていた腕を払う。もう一度、掴もうとしてきた安山に「別に逃げやしないわ」と声を荒げた。
「あんたは期待した仕事をしてくれなかった」
「急に連れてきて、何に期待されてたのかしら?」
「あんたならあの子が担う役割を教育してくれると思ったんだ」
「役割?」
「そうだ」安山は頷いた。
「役割って何?」
「この町の住人がするべきことだ」
「義務ってこと?」
「暗黙のな」
安山はそう言って顔を険しくした。目を細めて、警戒心を顕にする。アタシの前で彼が表情を変えた最初で最後の瞬間だった。
でも視線はアタシの方を向いていたわけじゃない。その目元の動きをたどれば、丘の頂上に立つ木の方を向いていた。その木の影からは、真っ白な服を着た少年がこちらを覗き込んでいるのが見えた。
「あの少年は?」
私たちに見つかったのが分かって、彼はその身を隠した。
「彼は少女に会おうとして良く姿を見せるんだ」
「少女のお友達なの?」
「いや。まだ一度も会ったことはない」
「一度も?」
「……あまり少女に近づいて欲しくないんだ」
安心したのか安山の表情は元に戻っていた。幼い同じ年くらいの二人を会わせてはいけない理由が分からない。「どうして」とアタシが訊ねると、安山はひどく落ち着いた声で答えた。
「教育的に良くない」
それがどういうニュアンスだったのか未だに分からない。幼い彼らが如何わしいことをするとは思えないし、少女が友人を作り遊ぶことが教育的でないわけがない。「どうしてなの?」とその理由をアタシが問いただしても、安山は答えてはくれなかった。
答えたくはないというよりも、答えられないというのが正しいかも知れない。彼自身も理解をしていないようだった。現存しているルールを疑う意識を、彼らは奪われてしまったんだろうと思った。
丘の向こうに夕陽が沈んでいて、紫陽花とトケイソウの花がオレンジ色に染まっていた。踵を返すと、安山は「さぁ帰るぞ」と言った。
夜は出歩いてはいけない。そのルールをアタシは知っていたし、帰されるというなら従わなくてはいけないのだと思った。だって、この町の人達にとって決まりというものは絶対に守るべきものとして存在していたから。アタシがどれだけゴネても変わりはしない。だから、最後にアタシは安山に訊ねた。
「ねぇ、どうして私を選んだの?」
「あの子の将来があんたと同じだったからだ……」
その声は少しだけ悲しそうに思えた。
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