(5)

☆私


 久瀬の家で食事を取って、私たちはまた自転車探しを再開していた。丘まで続いていく一本道にある家の一軒一軒に「自転車を持ってないか」と聞いて回る。密集した住宅街ではないので大変な作業ではないのだが、こうして他人の家の呼び鈴を押して回るのは何かのセールスをしている気分になりいいものではなかった。


「案外持っていないもんだな」


「この町で自転車はあまり必要ないからね」


 久瀬の家からあの丘までは数十分というところだろうか。商店街を中心に数キロにも満たない範囲に大抵のものが収まっている印象だ。町中を歩いて回るのに半日もかからないだろう。


 普段から決められた役割をこなしているだけの彼らには自転車というものは確かに不要なものなのかもしれない。


「そう言えば、佐々木は食事中に安山から貰った新聞を読んでたね?」


「あー、行儀が悪かったか?」


「いや、それは構わないんだけど。めぼしいものが載っていたかなと思って」


「うーん。私や殺された女性に関する記事は何もなかった」


「確か、佐々木が向こうで最後にあった女性が殺されていたんだっけ?」


 久瀬には何気ないタイミングで私の現状を話していた。それほど興味がありそうには見えなかったが、ちゃんと覚えてくれていたらしい。


「そうだ。私がその後に行方不明になっているから疑われているらしい」


「佐々木が無実なら真犯人はとっくの昔に捕まっているかもしれないね」


「そうだな」


 私が来てからもう五日が経った。安山から受け取っていない日の新聞で新犯人が捕まっている可能性はある。そうであれば、今後の新聞にその話題があがる可能性は低い。人が一人死んだとは言え、ミナミの雑踏で死体が見つかったなんて、それほど驚く話でもない。目まぐるしい時間の中で忘れ去られていく事件のはずだ。


「それに比べて、こっちの事件は解決の糸口すら見つかっていないな」


「調べてるのが、あの警官だからね」


 少なくとも二件の誤認逮捕と暴行があり、その間に新たな事件も起こっている。あの警官に捜査能力が無いことは明白だ。


「久瀬はあの警官に期待はしてないんだな」


「正直なところそうかもしれない」


 肩をすくめた久瀬に「私も彼は期待できないと思うよ」と私は同意の言葉を口にする。


「けど、事件の捜査は彼の仕事だから」


 そう告げた久瀬は、この殺人事件を気にしている様子だった。もっと手際よく操作していれば防げたんじゃないか。そんなニュアンスが込められている気がした。


「久瀬は事件が解決してほしいのか?」


「そりゃそうだよ」


「そうなのか?」


 てっきり、あまり関心がないことだとばかり思っていた。久瀬は少女の自殺の方を気に留めていたし、殺されているのは正直、あまり尊敬に値しない人たちだ。付き合いはもちろんあったはずだが、久瀬が彼らを好んでいるようには思えなかった。


「自分にも危険が及ぶかもしれないからか?」と私は訊ねる。


「いや……そういうわけじゃ」


「それじゃ、五郎が疑われたからか?」


 須崎や栗田なんかよりかは、五郎や葉月と仲良くしていた印象を受けた。無実である五郎が疑われ、非道な取り調べを受けていることが許せないのでは、と私は思った。


「それもあるけど……」と久瀬は言葉を有耶無耶にする。


「他に気がかりがあるのか?」


「そういうわけじゃないけど」


 久瀬は何かを隠しているな、と私は思った。彼の中で何か気がかりなことがあるのかもしれない。それを問いただそうか迷っていると、正面から例の警官とそれに連れられた五郎が歩いて来た。


「五郎! 大丈夫だったか?」


 私は慌てて五郎に駆け寄る。彼の顔にはあざが出来ていた。おそらく警官にやられたに違いない。そう思い、私は衝動的に警官をにらみつけていた。


「彼は無実だったようだ」警官は悪びれる様子もなくそう言った。


「暴力を振るっておいてその態度か」


 柄にもなく私は苛立っていた。そのせいで、また理不尽な暴力を振るわれるかもしれない。そんな考えよりも先に感情が口走る。


「だから、こうして彼を家までしっかり送っているんだ」


「そもそも五郎を連行したのは間違いだっただろ」


「それは結果論だ。彼が犯人なら連行は間違いではなかった」


 暴論だ、と思った。何の証拠もなく連行していいはずがない。


「あんたの判断が新たな殺人を招いたんじゃないのか」


「そうであるはずがない。私は殺人を誘発しようなんて思っていない」


 反省する気概のない警官に私がさらに喰ってかかろうすると、「落ち着け」と久瀬が私の肩に手をやった。その手にやけに力が込められていたのは、久瀬が抱いている怒りのせいだろう。それを感じて、私は深呼吸をして感情をなだめようと努めた。


「何も責任を感じていないのか?」


「私は役割を果たしているだけだ」


 警官の主張は一貫している。彼の中では、ただこの町のルールに従っているだけなのだ。


「こいつはお前たちに預けるぞ。家まで送ってやってくれ」


 そう言うと、警官は踵を返した。向こうに交番があるのか、はたまた見回りの仕事を始めたのか。私にはすっかり怒りのエネルギーはなくなっていた。彼には何を言っても無駄だ、と思ってしまったのだ。


「五郎、大丈夫か?」


 久瀬が五郎の顔の傷を心配する。その指が青くあざになった頬へ伸びた。


「あぁ。ひどい目にあった……」と五郎は疲れた様子で肩を落とした。


 私は「疑いが晴れて良かった」と五郎の肩を擦る。


「ちょうど、栗田の家に行ったのはタイミングが悪かったね」と久瀬。


 あぁ、と息を漏らしながら、五郎は軽く首を縦に振った。それから、何かを思い出したように私の方へ視線を向けた。


「そうだ。佐々木、俺の絵本はどうした?」 


「君の絵本は風太に渡しておいた」


「そうか……。それで、どうだった?」


 栗田と須崎以外に読まれたというのが初めてだったのだろう。「ほら、良かったとか、感想を言ってなかったか?」と少し恥ずかしそうに訊ねてきた。


「とても喜んでいたよ。それに私も五郎の描くお話は好きだ」


 私の言葉に、五郎は安堵したように息を吐いた。その目には光るものが滲んでいた気がした。「本当に素敵な絵本だった」と私は思わず言葉を付け加える。


「ありがとう」


 涼しい夏の風に五郎の言葉が溶けていく。「ほら、行くよ」と久瀬が五郎の腕を抱えた。


 私は一応と思い、自転車のことを聞いてみる。


「なぁ五郎、君は自転車を持ってないか?」


「自転車くらいならあるぞ。……古いのでも良ければ二台あるが」


「ほんとかい! 貸してくれないか?」


 ようやく見つかった、と久瀬は言葉を弾ませた。


「必要なのか?」


 不思議そうにした五郎に、私は少し笑みをこぼしながら答えた。


「久瀬がサイクリングをしたいらしい」


「サイクリングか、いいじゃないか。俺もこんな怪我してなきゃ一緒に行きたいくらいだ」



 *


 五郎から立派なマウンテンバイクを借り、診療所の方まで戻ってきた。


「すっかり夕方だな」


「そうだね」


 実質、今日一日は自転車を探しているだけで終わってしまった。「夜に出歩いちゃだめなんだからサイクリングは明日だな」と言って、私は自転車をバラックの前の砂利道に止める。


「残念だけどね。そうなると、明日もサボらなくちゃいけないな」


 久瀬は少し嬉しそうだった。並べて自転車を止めて、久瀬は玄関の扉を開いた。


「なぁ、久瀬」 


「なんだい?」


 久瀬は綺麗に靴を脱ぎ揃える。腰をかがめながらこちらを見やった。 


「なにか気がかりがあるのか?」


「気がかりって?」


 久瀬の視線が台所の方へ逸らされた。「何の話だい?」と誤魔化しているが、彼の中に明確な回答があるのは間違いない。


「この連続殺人に何か思い当たることでもあるんじゃないのか?」


「それは僕の仕事じゃないよ。警官の仕事だから」


「それは思い当たることがあるってことか?」


 もう少し否定するかと思ったが、意外にも久瀬は素直に頷いた。


「別に久瀬がその件を考えちゃダメってことはないだろ」


「そうなのかな?」


 久瀬の目が蛍光灯の光を見つめながら泳ぐ。黒い瞳の中で小さな円が揺れていた。「そういう決まりは無いんだろ?」と聞けば、「確かにないね」と切なげに口端を緩める。


「だったら、私たちで考えてみても良いんじゃないか?」


「佐々木も手伝ってくれるのかい?」


「サイクリングをしながら話す話題にしては暗いけど。明日は一日フリーなんだろ?」


「そうだね。さっきサボるって決めたところだ」


 久瀬の手が冷蔵庫へ伸びた。「今日も僕がごちそうするよ」と言いながら食材を取り出した。

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