(3)

 商店街まで戻ってくると、また野次馬が集ってザワザワと騒いでいた。例の警官が「お前たち仕事にも戻れ!」と怒鳴りつけている。


「何かあったのかな?」


 きっと、また殺人だろう、と思った。警官が動揺しているように見えたからだ。警官の考えはこうだろう。五郎を捕まえたのだから殺人が起きるはずがない。しかし起こってしまった。五郎は誤認逮捕だったのだ。


「殺されたのは小倉さんだって」「五郎が犯人なんだろ?」「でも彼は捕まっているはずじゃ?」「それじゃ誰が?」「犯人はまだ捕まっていないの?」


 野次馬たちからそんな声が聞こえて来る。


「いいか! これが最後通告だぞ! 早く仕事に戻れ!」


 自分の推理が破綻したことで、彼は少々パニックになっているようだった。警官の手が腰元の銃に伸びたのを見て、野次馬たちは水を打ったように静かになる。「さぁ、早く戻るんだ」警官は声を低く出し、自分を落ち着かせていた。銃に伸びた手は、しっかりとグリップを握っていた。


「小倉って人は?」


 散り散りになっていく群衆を見ながら、久瀬にそう訊ねる。だが、久瀬の耳には届いていなかったらしく、彼は少し戸惑った表情を浮かべたまま、じっと事件現場と思われる建物を見つめていた。


「なぁ、久瀬」


 私はもう一度、彼の名前を呼び、肩に触れる。その瞬間、ビクっと驚いたように勢いよく顔をこちらに向けた。


「なんだい?」


 声がわずかに震えている。殺人が起こったことへの恐怖心だろうか。私がケロッとしている方がおかしいのかもしれない。五郎の無実が証明されて良かった、などと考えてしまっていた。


「野次馬たちが言っていた小倉っていうのは?」


「あぁ……小倉は少女に与えるおもちゃを作っていた人だよ」


「おもちゃ職人か」


「職人? うーん。所謂、おもちゃ屋さんだね」


 それが所謂おもちゃ屋なのかは甚だ疑問だが、「そうか」と頷いておいた。ここではそれをおもちゃ屋さんと呼ぶんだろう。「須崎はまた困るだろうな」とも付け加える。


「そうだね。でも、僕がサボるんだから絵本もおもちゃもなくて困らないよ」


 久瀬は答えながら口端を緩めた。わずかに強張った表情は、笑みとは別の感情を隠しているようだった。


「それも、そうか」


 下手に警官に見つかるとまた絡まれるかもしれないと思い、私たちは商店街を迂回していくことにした。


「そうだ、安山なら」と久瀬が手を打つ。


「彼にサイクリングの趣味は無さそうだけど?」


「安山は外に唯一行ける人だ。外の世界の物をたくさん持ってたりする。そのコレクションの一つってことがあるかもしれない」


「なるほど」


 それにちょうど昨日、新聞を頼んだところだ。安山は持って来てくれているはず。私が疑われている事件が何か進展しているかもしれない。


 *



 安山の家は、商店街の裏道にある住宅街をずっと奥まで進み、小川に掛かる橋を越えたところにあった。周りを田畑に囲まれたそれほど大きくはない瓦屋根の一軒家で、舗装もされていない土の駐車場には、なんとなく見覚えのあるピンク色のタクシーが停まっている。


「見る限り自転車はないけど」


「そうだね。もしかしたら家の中かも」


 自転車を家の中に? と思ったが、高価なマウンテンバイクとかならありえるのかもしれない。サイクリングに興味がない人が持っている可能性は望み薄だが。久瀬は「彼のコレクションに期待だ」と言いながら呼び鈴に手を伸ばした。


「待ってくれ、安山は寝ているんじゃないか?」


 久瀬が呼び鈴を鳴らそうとしたところで、私は久瀬を止める。夜に仕事をしてるのだから、起こすのは申し訳ないと思った。


「あーまだ午前中だけど、そろそろ起きるんじゃないかな。今日はいつもより早く帰って来ていたみたいだし」


 どうして安山の帰宅時間を知っているんだ? 私がそんな顔をしていたらしい。久瀬が続ける。


「安山が帰って来るのは大体十時頃なんだ。君を連れて帰って来た日はもう少し遅かったけどね。僕は毎朝、あそこの道を通って君のところへ行くから、車があるか分かるんだ」


 久瀬が田圃の向こう側にある畦道を指差した。確かにあそこからなら、駐車場の車がよく見える。


「僕が通る時間はいつも安山が帰ってくる十時頃。やって来た人の世話をする仕事がその時間からだからね。でも、今朝、通ったのは六時頃だった。君に朝ごはんを作ってあげようと早く起きたから。その時、すでに車は駐車場にあったよ」


「それでもまだ四時間ほどだろ?」


「彼はショートスリーパーなんだ」


 タクシー運転手にはしっかり睡眠を取って欲しいものだが。久瀬が構わないというならいいだろう。彼は他人に全く気を使えない人間ではないはずだ。


「久瀬も随分町から外れたところに住んでいるんだな」


「確かに、こっちには僕と安山くらいしか住んでないね」


 呼び鈴を鳴らせば、すぐに安山が出てきた。


「どうした?」


 今起きたという様子はない。久瀬が言うように今日は早く帰って来ていたらしい。長話も何なので、私は要件を告げる。


「実は自転車を探してるんだ。マウンテンバイクでもロードバイクでも、普通の自転車でもいい。持っていないか?」


「生憎だが、自転車は持ってないな。俺の移動は車があるからな」


 私も内心で安山なら持っていそうだと思っていたらしい。少しだけ落胆した。そんな私を見て、安山は少しだけ口端を緩めた。


「まぁそう気を落とすな。もう自転車屋は潰れちまったが、この町にだって誰か一人くらい自転車を持っているやつはいるよ」


「当てがあるのか?」


「いや……最近、自転車に乗っているやつを見かけたっていうのはないな。そもそもどうして自転車なんかを?」


 久瀬が「サボろうと思ったんだ!」なんて正直なことを言いそうになったから、私は咄嗟に彼の口を塞いだ。代わりに当たりわさりのない理由を並べる。


「ほら、絵本やおもちゃを運ぶのに便利だろ?」


「どうだろう? あそこは丘の上だ。勾配だってあるし自転車はきついんじゃないか?」


「ほら、帰りが楽だ」


「そりゃ、帰りは楽だろうが」


「仕事に向かう時はゆっくりの方がいいだろう? 帰りはすぐに帰りたい。そういうものだ」


 言い訳にもならない内容だったが、安山は「そうか」と頷いた。それほど自転車を探している理由に興味がなかったのだろう。私の言うことが嘘と分かっていながら、深堀りはしてこなかった。


「用事はそれだけか?」


「あぁ。朝からすまなかった」


「いや、構わないさ。あ、それと渡すものがある」


 そう言って、安山は一度家の中へ消えた。それからすぐに戻ってくる。


「ほら、今朝の新聞だ」


 そう言って、突き出されたのはビニール袋に入った新聞だった。


「ありがとう」


「必要な情報は載ってるかな?」


「私の疑いが晴れているような記事がないか探してみるよ」


 真犯人逮捕、なんて記事があれば心配もなくなり帰れるのだけど。


 新聞を手渡した安山は久瀬の方を見て、「今日は須崎だったな?」と言った。久瀬は「確か彼の番だね」と返す。


「今日もしっかり頼んだぞ」


 サボろうと決めている久瀬は、安山の言葉にハッキリとは頷かなかった。久瀬の曖昧な返事に、少し首を傾げて、安山は玄関の扉を閉めた。


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