(2)
★少女
少女はこんな風に言ってたわ。
『ユキちゃんは私のお友達。とても仲のいいお友達。川辺に行って作る花飾り、ユキに似合うかなって考える。道端で出会ったウサギさん、ユキちゃんに似て白くてとってもかわいいの。空に浮かんでる雲で綿あめを作ったら、きっとユキちゃんは美味しそうな顔をする。
だから私はユキちゃんの為に色んなところで、色んなものを探すの。似合いそうなもの。好きそうなもの。それをいつもプレゼントするの。
明日はどこへ行こうかな。明日はどこへ行こうかな。
それが私の毎日のお楽しみ』
って。少しだけ寂しそうな顔をしてね。
☆私
ふにゃふにゃになった方が美味しいからと、久瀬はお湯を注ぐ前のカップにかき揚げを入れた。
「世話って言ったよな」
「うん」と久瀬が頷いた。丁寧な手付きで割り箸を割って、蓋が剥がれないようにカップの上に乗せる。
行儀よく椅子に座っている彼に対し、私は未だにベッドの上だ。なんとなく気持ち悪く感じて、立ち上がり久瀬の正面の席に座った。
「世話をしてくれるというなら、私を家に返して欲しい。時計やら財布やら全部落としてどうしようもないんだ」
ジーンズの腰元に手を当てて、もう一度確認してみる。やはりポケットには何も入っていない。手ぶらであったものの、スマホや財布はちゃんとポケットに入れていたはずだ。それにつけていたはずのベルトまで無くなっていた。
「それは出来ないよ」
「どうして?」
申し訳無さそうな顔をした久瀬は、カップ麺の蓋を剥がす手を止めて答えた。
「僕らはここから出られないから。でも安心してくれ。君は直に出られるよ。いつもそうなんだ。安山が連れてくる人はいつも気がつくと帰ってる」
気がつくと帰っているということは、勝手に逃げ出していることなんだと私は解釈した。手錠もされていないし縄で縛られてもいない。監禁されているわけじゃないから。それよりも気になったのが久瀬が言った「いつも」という言葉だった。
「いつもというと、私の他にも連れて来られてる人がいるのか?」
「そうだよ」
「この診療所に?」
「あぁこれは君の前に来た人が医者だったからだよ。住み慣れている雰囲気の方がいいと思って」
医者は病院には住んでいないだろう、そう言うと久瀬は困ったように眉根を下げた。彼にとって医者の居心地のよい空間がこのデザインらしい。
「それじゃ、どうして私はその前の医者と同じなんだ」
「だから言ったろ。君は予定外なんだよ。文句があるなら予約をしてほしかったね」
冗談らしく久瀬は白い歯を見せた。何が面白いのか分からなかったが、私も一応笑みを返しておいた。
「安山っていうのは今どこにいるんだ?」
「まだ寝てるんじゃないかな。安山は夜型だから。まぁ仕事のせいなんだけど」
久瀬はカップ蕎麦の蓋を完全にめくる。お望み通りフニャフニャになったかき揚げを、割り箸で潰して、麺をすすった。
「それにしても妙だなぁ」
「何が妙なんだ?」
知らないところに急に連れてこられて、スーツ姿の男に馴れ馴れしく話されている現状より奇妙なことがあるものか、と私は心の中でごちた。
「いつもなら、とある少女に会わせる手はずなんだけど」
「少女?」
「そう。向こうの丘の上にある家に住んでる少女だよ」
「どうして私をその子に会わせるんだ?」
「君は会わせないよ」
確かに久瀬はその予定ではなかったと言っていた。私はサンドイッチに手を伸ばす。遠慮するなと言いたげに、久瀬が袋ごとこちらの方に寄せた。
「安山が連れてきた人間を少女に会わせるんだ」
「何の為に」
「わからないよ。そういう決まりなんだ」
決まり。分からない。久瀬から何度その言葉が飛び出しただろう。残念ながらカウントはしてない。
「それが決りなら、どうして私はその少女に会わせないんだ?」
「事情が変わってね」
久瀬は少し声を落とす。すすりかけた麺を湯気立つ汁の中に戻し、彼は箸を置いた。
「事情?」
「あぁ。本来なら君に会わせるはずだった女の子は、死んだんだ」
「死んだ?」
「そうだ。死んだ。一昨日のことだった」
冷蔵庫の音がやけに騒がしい。久瀬の口から淡々と出た言葉に現実感はなかった。それが見知らぬ少女だったからか。いささかおかしなこの状況のせいか。それでも、一人の少女が死んだという事実は、彼の表情を見る限り間違いないらしい。
「どうして死んだんだ?」
いやしい興味が湧いたわけではない。ただ返す言葉を思いつかずに、とっさに出た言葉だった。それに、彼が少女に対して言及したそうな顔をしたせいもあるはずだ。
「僕らが奪ってしまったんだよ」
「奪ったって何を?」
「何を奪ったのか……それが分からないんだ」
ここに来てまた分からないだ。久瀬の綺麗な顔が少し老け込んだように暗くなった。
「ただ、僕らは彼女を縛り付けてしまっていたのかもしれない」
それは縄なんかで縛るという意味ではないだろうと思った。もっと抽象的なことだろう。だけど、彼の言葉には少女の死因が潜んでいる気がした。
「自殺だったのか?」
「あぁ」
「そうか。それは親御さんも悲しかったろうな」
「いや、彼女に両親はいないよ」
「……そうか、孤児だったか」
「いや、そうじゃなくて。誰も親なんていないんだ」
「親がいない?」
「この町の人は親なんていないんだ」
「それはおかしいだろ。だって――」
そういうことをしないと人は生まれて来ないだろう。私はそう思い、ふと昨晩のことが過る。酔っていたせいか、はっきりとは思い出せないが、確かまだあどけなさの残る子だった気がする。可愛らしい子だった。
久瀬は暗い表情を変えないまま、再び箸を手に取った。こちらを見やって、細い目をさらに細める。
「性行為をしないと子どもは生まれて来ない。そう言いたいんだろ? だけどさ、ここではそれはないことになっているんだ」
質問を続けようと思ったがやめた。どうせ、そういう決まりなんだ、と言われると思った。だから先に言ってやる。
「そういう決まりなのか?」
「そうだ。そういう決まりなんだ」
分かってきたじゃないか、と言われている気がした。私はサンドイッチの包装を解き、口に含む。シャキリとレタスが口の中で弾けた。酸味のあるトマトの汁が口の中に広がる。
「それにしても佐々木、起きてからずっと浮かない顔をしてるよ。大丈夫?」
元からそういう顔なんだ、と怒りたかったが、なんせ昨夜の酒のせいで身体が重たい。顔のことはそのせいにしてやろうと思った。
「昨日の酒がまだ残ってるんだ」
「そうか。随分酔っぱらっていたらしいからね。どうだい? 散歩でもしないか? この町を紹介するよ。それも僕の仕事なんだ」
久瀬は随分仕事熱心らしい。少女が死んでしまい、連れてくるはずじゃなかった私の世話をする理由なんてないだろうに。
だけど、少し風に当たりたい。ペットボトルの水を飲み干し、「そうしてくれるか」と私は久瀬に頼んだ。
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