厄介な初恋

「うーん、何処なんだろ、さっぱり分からん」


 蝉の煩い声を聞きながら、額からだらだら垂れる汗をぬぐう。眼鏡をかけなおして、スマホの地図アプリと事前に渡されていた地図を交互に見た私は、首を傾げた。


 画面には、四社町と表示され、更新マークがくるくると回っている。


「地図アプリが、非対応なんて本当に都内か……?」


 都内でありながら完全に孤島の田舎としか思えないこの四社町は、「シシャマチ」とも読める為、死者の町なんて呼ばれている。


 そんな四社町に越してきて、一週間。真っ赤な夕焼けの中で私—ー日墨玲は窮地に立たされていた。


 事の起こりは四時間前。この町に越して来たと同時に四社高校に転入した私は、教室でぼっち飯を頂いていた。


 今は六月下旬、転入の時期としては微妙過ぎる時期。


 どんな学校でも、仲のいいグループは出来上がっている。そして畳み掛けるようにクラスの面々は、四社小学校、四社中学校と苦楽を共にした精鋭たちであり、大して人付き合いが得意では無い、むしろ陰キャの私がぼっちになるのは必然だった。


 転入してから一週間目の今日も、それは例外ではなく、いつも通り教室の隅でひっそりと食事をして、ひっそりと教室を出て趣味の服飾縫製をしていた。今日もいつも通り夏用のケープを編む予定であったが、そのいつも通りが崩れ去ったのである。


 一週間と日が経たない新参者でも目に見えて分かる教室のリーダー格。最早教室の女王様である、フランスの服飾ブランド最大手オーダーメイド品髪飾りを付けている、美ヶ崎百合華様に、本日めでたく町外れの社ならぬ廃屋敷へ、一人で行って来いと命令されてしまった。


 正直何で高校生になってまでそんなことしなきゃいけないのかと思う。本当に意味が分からない。


 しかし、百合華様は女王様だ。髪飾りの縫製は完璧で美しく、漫画のように取り巻きを連れ、扇子を片手に堂々と教室を闊歩しクラスメイトを家来のように扱う。


 女王様の命令を聞かなければ、いじめられっ子にジョブチェンジする可能性は否めない。よってそれを回避する為、


「町外れの屋敷に一人で行って来たなら、仲間に入れてあげてもよろしくてよ!」


 という女王様の言葉を、私は忠実に守ることにしたのだ。仲間に入れてもらうのは御免被りたいけど、いじめられたくはない。


 屋敷に幽霊が居るらしいけど、そういう類を私は一切信じていない。もしテレビや小説で見るような、人を襲う幽霊がいるのならば、死者の方が確実に多い地球において、人間は全滅してるはずだ。


 でも、現在私は生きてるし、よくある怪奇現象的な不審死のニュースは見たことがない。


 心霊スポットも、よくよく紀元前から遡って考えてみれば、この地球という大地で人が死んでいない場所を探す方が難しい。


 娯楽として楽しめるけれど、現実で怯えたりはしない。それよりも私は不法侵入で捕まることのほうがが怖い。それさえなければ、ただ行って帰ってくるだけ。楽なものだ。さっさと行って、帰って、服作りを再開しよう。


 ふと、ぬるい風が吹き抜け、後ろを振り返る。


 私に命令しつつ地図を渡してきた女王様は、取り巻きたちと共に現在私の八メートルほど後ろの電柱の裏からそっとこちらを見ている。


 女王様曰く「見張り」だそうだ。震えていて、何か、私じゃなくて女王様の方が度胸試しに行くみたいだ。


 ……流石に道を聞いちゃまずいだろうしなあ。


 適当に進んで行くと、どんどん町の景色が暗く、どんよりとした空気に変わっていく。


 空気が汚い。田舎は空気が澄んでいるイメージがあったけれど、案外そうでもないのかもしれない。


 マスクしておこうかなあと考えていると、雑木林の向こう側に古ぼけた屋敷が見えた。私の背後では、女王様はじっとこちらを食い入るように見つめている。


 私は林の中に踏み入り、草木を分けながら進んで行く。さらに空気がよどみ、古ぼけた屋敷の全体像が現れた。


「何で手入れしないんだろ、勿体ない」


 屋敷は、明治や大正時代にありそうな、レトロな雰囲気の御屋敷で、外から覗く限りでは、壊れている感じはしない。


「綺麗に修繕して、自治会館にでもすればいいのに」


 別に中に入れとは言われてないし、後ろを見ると女王様はついてきていない。もう満足して帰ったってこと?


 なら、私も帰るかと踵を返そうとした瞬間、二階の窓に、一瞬人影が見えた。


 少年? 中学生くらいだろうか。遠目からでも上質な着物を着ていた。


 上半身しか見えなかったけれど、度胸試しというより、ただそこにいて、住んでいるように感じた。


 ……本当に住んでたり?


 育児放棄とか、虐待とかで、ここを住処にしてるとか? それとも私と同じような理由でここに来て、出られなくなってるとか?


 スマホの時計を確認すると、現在の時刻は16時40分。もうすぐ日が暮れてしまう。


「一応声かけるかー……」


 不法侵入という事実に怯えつつ屋敷の扉に近付き、手すりに手をかけ、一思いに引くと、軋むような音が響きながら扉が開く。


 中は酷く埃っぽく、蜘蛛の巣があちこちに出来ている。真ん中には二階に続く階段があり、天井にはシャンデリアが設置されていた。


「おじゃましまーす」


 一応断りを入れて、屋敷の中に足を踏み入れる。後ろ手で扉を閉めようとすると、背後で扉が大きな音を立てて閉まった。


「うわ、うるさ……」


 耳に響く。けれどこの音を聞いて、さっきの中学生も誰かここに入ったと気付いたはず。もしそうならあっちから来るだろう。



「さむ……くらっ」


 それにしても寒い、六月下旬だというのに、しんと冷えているような、ここだけ冷房でも効いているような寒さだ。さっきまで大汗をかいていたから、余計に寒い。



 ……もしかしてついてる?


 天井を見ると、ぽたぽたと何かが落ちてきている。色は赤っぽいけれど、現在照明がから差す夕焼けの光が反射しているのだろうと思う。錆び水の可能性もあるけど。


「水漏れしてるし……」


 歩くたびにぎしぎし音がするし、水漏れだってしている。今大きな地震が来たら間違いなく危ない。というか、少しの地震でも持たなそうだ。早めに中学生を見つけて、この屋敷を出たほうがいい。


とりあえず中学生は二階にいたから、二階から探そう。階段を上っていくと、リン……と鈴の音が鳴った。


 探していた中学生が二階の踊り場の手すりに手をかけ、こちらを見下ろしている。


 さらさらの黒髪、死人のように真っ白な肌、涼やかな瞳に、一瞬どきりと胸が高鳴った。こんな子に、私の作った服を着てもらえたら最高だろう。私は服作りが趣味だけど、服を着るのは好きじゃない。


 私の作りたい服は総じて私に似合わない悲しい現実がある。けれど、目の前の少年は、きっと何でも似合う。着てほしい。是非着てほしい。いや、違う、今は少年の身の安全が最優先だ。余計な事は考えない!


「見つけた!」


「見つけた? 私を?」


「そうだよ! 君がここで住んでるのか、度胸試しか肝試しなのか知らないけどさ、ここ危ないから、そこのシャンデリアとかいつ落ちるか分かんないし水漏れとかすごいし、早く帰った方がいいよ」


「ふふ、私を?」


 おかしいことは言っていないはずなのに、少年は目を見開いた後、くすくすと笑い始める。


「ふふ、ふふふふふ、帰る? 何処に?」

「は? 家にだよ、暗くなるし……、うわっ」


 やがて、少年の笑い声に共鳴するように、地面が揺れだした。外からはバリバリと轟音がする。雨が叩き付けているのか雷が鳴っているのかすらわからない。


「お姉さんは、何処に帰ると言うの? 帰ることが出来ると、本当に思っているのかい?」

「知らん! 帰るよ!」


 手すりにつかまりながら階段をかけのぼって、少年の腕を掴む。そして半ば転がる様に一気に駆け下りた。扉に向かって走り出し、タックルするように扉を押すと、びくともせず、正面衝突してしまった。


「ぎゃっ」


 少年の頭を抱えながら床に倒れ込む。まずい。扉が歪んで開かないんだ。どこかの窓を破って出るしかない。


「お姉さん」


 立ち上がろうと床に手をつくと、足が見える。視線で辿ると、少年が私を見下ろしていた。


「とりあえず、どこか窓を探して、最悪割ってそこから出るよ」

「それで、私をどこへ連れていくのかい?」

「何か事情があるなら、警察には一緒に行ってあげる、後のことを考えるのは今じゃないから、逃げるよ、ほら行くよ!」


 立ち上がってスカートの埃を払い、周囲に倒れてきそうなものが無いか確認しつつ、もう一度開かないか扉を引く。駄目だ。やっぱり固く閉ざされたままだ。


「お姉さんがいいよって言ったら、ついていってあげてもいいかもしれないね」

「今そんな場合じゃないから、早く逃げないと」

「名前は?」

「はあ?」

「お姉さんの名前は」


 こんな緊急事態で名前を問いかけて何になるというのか。しかし少年が引く気配はなく、私は「日墨玲!」と怒鳴るように名乗った。



「ならば玲が一言、いいと言うならば、ずっとついてしまおうか」

「いいよ! 分かったから行くよ」


 少年の腕を掴み移動しようとすると、一気に揺れが止んだ。今がチャンスだ。はやく逃げなきゃと駆け出すと、大きな音を立てて固く閉ざされていたはずの扉が開く。


「よっしゃ行けた!」


 少年を引っ張り、扉から転がり出ると出ると、鴉が歪な鳴き声を上げ一斉に飛び立った。良かった。助かった。スマホのロックを解除し、雨雲の情報を確認する。


 あんな豪雨がまた来たら危ない。けれど、よりによってこんな時にバグっているらしく、天候は晴れのまま、揺れの情報も更新されていない。とりあえず、もうこのまま少年を連れて家に帰って後の事は家で決めよう。


「大丈夫? 怪我はな……」


 私が振り返ると、そこに少年の姿は無かった。


 少年のいたはずの場所には、まるで少年が変化したかのように、同じ服装、同じ髪型の球体関節人形が転がっている。


「ほ、欲しい……」


 そうだ、人形だ。人じゃなくて人形に着せ替えればいいのか。作るサイズは小さくなってしまうけど、マネキンに着せ替えたりするより着せてるって感じはする、これ持ち帰って……。


「駄目だ!」


 声を出し、煩悩を振り払う。少年がいなくなってしまったんだ。探さなければならない。私は人形を一旦その場に置き、少年を探すことにした。





「はあ……」


 風呂から出て、冷蔵庫を開き、ペットボトルを取り出し、一気に飲み干す。風呂上がりの冷えたほうじ茶は最高だ。


 けれど、今日はその最高の輝かしい気持ちに、少しだけ影が差す。


 それは紛れも無い。今日の夕方、少年のことが原因だ。あれから何処を探しても少年の姿は見つからなかった。


 落ちていた人形を屋敷の入り口に置き、大急ぎで帰って来ると、パソコンでみた情報も、テレビの情報でも、ここら辺の地域どころか都内に何か大きな揺れが起きた情報は無く、雷も発生していなかった。


「転入して環境が変化したことによるストレス性の幻覚と幻聴……」


 あり得ない話じゃない。現実的に感じたのは、逆に意識がもうろうとしていたから、という可能性もある。今日は早く寝ようと決めながら部屋に戻り、扉を開くと、窓枠に背を預けるようにして、少年が立っていた。


「どろぼ……!」


 叫びかけた瞬間、口から声が消える。分からない、発しているはずなのに、声が出ない。


「置いていくなんて、酷いなあ、君は」


 反論しようと声を上げる……! けれど、口がぱくぱくと動くだけで、全く声にならない。すると少年は、「ああ……ごめんね」と私を指で差す。


「は? そっちがいなくなったんでしょ?」


 声が、出た。


 どういうことだ?



「君は警察に行くと言っていただろう?、だから、混乱させないよう私なりに配慮したつもりだったけれど、かえってそれが裏目に出た……かな?」


 少年の、言っている意味が全く分からない。何の話をしている?


「それでも、酷いことに変わりは無いね、約束した相手を置いて行ってしまうだなんて」

「いやだからそっちが居なくなったよね? こっち、めっちゃくちゃ探したからね?!」

「私をわざわざ屋敷の前まで運んで、置いて行ったけれどねえ」

「は? 屋敷の前まで運んだ?」


 少年は、何かを払う様な動作をし、一瞬にして消える。まずい! 窓から落ちた? 窓に向おうとすると、何かを蹴っ飛ばす。


 今日屋敷の前に転がっていた人形だ。球体関節人形。五十センチくらいはある、結構な大きさの。


「痛いな。君は私がこの姿になると、途端に扱いが手荒になる」


 人形が話をしている。


 ……人形が話をしている?


 高度な腹話術機能?声は少年の声だ。


「私は言ったよ。 どこまでも、どこまでも憑いて行くと」

「……明日病院に行こ」


 行こう。絶対行こう。私は転入してきたストレスでおかしくなっている。


「ふふ、そんなに私の存在が信じられない?」


 返事をしていいのか迷っていると、人形は笑いながらぐっと近づいてきた。


「な、な、何?」

「うん、幻と言いながら、やはり私が恐ろしいのだと思ってね」

「は?」

「君は今、目の前にいる私が幻でないことを分かってはいるんだ。ただ受け入れることが恐ろしいから、自分が狂っているのだと思い込もうとしている」

「だって、いや、おかしい、そうしたら君は人間じゃないってことで……」

「そうだよ、私は人ではない。人の身を模すことは出来るけれど、人ではないよ」


 ほら、と人形が腕を払う動作をすると、鈴の音がして、一瞬で人形が少年の姿に変わる。


「そして君は、人ではないものの縄張りに入り、約束してしまった……、言わば生餌みたいなものだね」


 少年が、私の目の前に立っている。さっきまで、人形だった、少年が。目の、前に。あまりの出来事に、尻餅をつく。こんなの、あり得ない。何で。


「言葉は、呪いと同じ。言ってしまった言葉は、二度とは取り返すことが出来ないもの」


 少年は、呆然とする私に、近づき、私の頬を掬うように取る。身体が動かない。少年がそうしているのか、分からない。


「私の名前は、潮。黄泉路に行くまで、どうか私を楽しませておくれ、玲」


 夢じゃない、幻じゃない。私の、妄想でもない。人形の真っ赤な瞳が、緩やかな弧を描き、私は意識を失った。



●・●・●・●



「この子は、中々見どころがあるかもしれないな」


 倒れた娘を見下ろし、髪を一房掬ってなぞる。


 棲み慣れた屋敷で過ごし、何百と繰り返した夏のはじまり。浮かぶ蛍も、蝉の声も、星の輝きも、全て見慣れたもの。


 いつの時代も変わらない。退屈でしかない、ただ在るだけの毎日。それが今日、間違いなく変わった。


「初めて見た時も思ったけれど、随分と澄んだ魂をしている」


 娘の胸に燃える白い炎は透き通っていて、まるで清流の水を汲んだようだ。こんなに美しい魂は、初めて見た。見た瞬間、強く惹かれ、柄にもなく言霊で縛ってしまった。


「欲しい」


 人の子は、一目惚れをすることがあると書物で見た。おそらくこの感情は、それに似ている。多少石頭のきらいが見えるが、それもそれで良いもの。


 さて、これからどうやって距離を詰めようか。人の身を模そうか、それとも人形のままか。眠りから目が覚めるまでに、答えを出さねばな。



「見つけたと、はじめに言ったのはお前だよ。だからお前が黄泉路に辿りつくまで、早く私に堕ちて来い」


 娘に声をかけ、私は何百年ぶりに、明日へ思いを馳せた。



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短編集 稲井田そう @inaidasou

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