エピローグ

「美冬、元気でやってるかな」

秋人は驚異的なことに1ヶ月走り続けた。重たい防護服を着て、食料や水を担ぎ、書類の詰まった鞄を背負って。

東京の00シェルターに辿り着いた時には彼の身体はボロボロとなっていた。政府高官の集まるシェルターだけあり、最新鋭の医療設備が整っていたが、秋人の身体は手遅れなほどがん細胞へと変異していた。

この身体でよく走れたものだと医者は驚愕していたが、美冬と最後に出会えただけで東京に辿り着くのにお釣りが出るほどのエネルギーが湧いていたのだ。

とはいえもうガス欠だった。

『東京まで休むことなく一ヶ月もの間走り続けた――』

復旧したラジオからは秋人を讃える内容が何度も流れていた。

奇跡的に無事だった精巣から、英雄の遺伝子だと大量の精子が採取された。冷凍して今後の人工授精に利用するのかもしれないし、ここまで無理をして動かすことのできた身体を研究するための材料になるのかもしれない。なんにせよ、秋人は自身の生きた証を残すことが出来ることに喜びを感じていた。



冬は終わった。秋人は美冬と逢った3ヶ月後に息を引き取った。丁度桜が咲き始めた頃、シェルター内部のビオトープにて車椅子の上でのことだった。

「美冬、俺は君の心の片隅に住み着くことが出来ただろうか」

雪解け水が川へと入り、海を灰で汚染していく。この世界に救いは無かったが、激痛が走っているだろう秋人は、不思議なくらい穏やかな顔で眠りについた。



「あっ」

軽快に丸をつけていた万年筆がインク切れを起こした。美冬は生徒たちのテストから目を上げると、桜が芽吹き始めているのが見えた。走り、笑い合う生徒たちを眺めながら、ひとり静かに笑った。

今はビオトープの隣に作られた私室にて採点を行っていたところだった。

赤いインク壺はどこにしまったかしら、と引き出しをガサゴソと探る。弾みで万年筆に手が当たり、跳ねた。飛んだインクが机に歪なハートマークを描いていた。



「まったく、秋人ったら」

クスクスと笑いながらインクを充填する。

万年筆にはAKIHITO.Hと刻印されていた。

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