雪を溶く熱

teardrop.

第1話

世界は終わりかけている。第三次世界大戦が終息したのが昨年末のことだ。クリスマス終戦とも呼ばれ、我々は明るい気持ちで新しい年を迎える――ことなどできるはずもなかった。世界は核の熱に焼き尽くされ、月よりもひどい数のクレーターが地表を埋め尽くした。


そして核の冬が訪れた。


死の灰が雪に交じって静かに地表へと積もっていく中、秋人は防護服で身を守りながらシェルターから飛び出した。すぐさま腕につけられているガイガーカウンターがガーガーと悲鳴を上げた。

一面の闇の世界を、胸のライトだけが照らしていた。昔テレビで見た深海を行く潜水艇のようであった。それでいて周りには命の痕跡など何もなく、その孤独感に嫌な想像をしてしまうが、そんなことはないと自身を奮い立たせるように走る速度を上げた。


もう1キロは走っただろうか。何かに足を取られて転びそうになると、秋人は足を止めて大きく息を吐いた。目の前の防護服の透明な部分が白く濁る。自動結露防止機能が働く。大層な名前だが、防止は出来ない。ただのワイパーであった。息を整えたころには元通りの透明度を取り戻しており、秋人はふと目線を上げた。


見慣れた田畑や電柱は消え失せ、道路はめくれあがって大多数がどこかへ消えていた。人家の一つも見えず、秋人は自分は正しい道を進めているのだろうかと不安に駆られた。

ナビゲーションシステムを呼び出し、おおまかな現在位置と目標地点を表示させるとどうやら東に数度ほど逸れていたらしい。誤差を修正して、また走り出す。

ここはまさしく死の世界であった。その中を秋人はひた走った。



――――――――――――


ピーンポーン。

間抜けな音がシェルター内に響き渡った。かろうじて機能していた人感センサーが外部に人をとらえてカメラを地上に隆起させたのだ。こんな最悪の天気の時に人など来るはずがない。機械の誤作動かとガードマンが映像を確認すると、そこには真っ白な防護服がひざに手をついて息を整えていた。

「お、おい。あんたいったいどこから来た何者なんだ!」

ガードマンが訊ねると防護服を着た男は息を荒らげながら答えた。

「この街の06シェルターから来たんだ。良かった・・・ここが無事で。俺は春野秋人だ」

「06!?ずいぶん遠くから来たんだな。でもそうか、06は無事なんだな。ここへ来る途中にある04と05の様子はどうだった?」

「あの辺りにはクレーターが出来ていたからルートを変えたんだ。だが、おそらく爆心地に近かったであろうその二つは・・・」

やりきれなさそうに顔をゆがめる秋人を見て、ガードマンも意気消沈した。

「そうだお前さん、ここへは何をしに来たんだ。フォールアウトの中ぁ走ってきたんだ。よっぽどのことだろう」

ガードマンは本題に入った。


「全シェルターの安否確認も目的の一つなんだが、それは建前なんだ。美冬に・・・夏目美冬に会いに来たんだ」

秋人はそう言って、いたずらがばれた子供のように笑った。


――――――――――――


シェルターの入り口を通った秋人は、全身洗浄を数度にわたり潜り抜け、ようやく内部へと入ることを許された。規則として居住区などには入ることは許されず、また監視が一人ついたが、犯罪歴などIDの確認は為されたため殆どお飾りのようなものであった。もっとも犯罪など起こそうものなら、腰に帯びたテーザー銃にて速やかに拘束されるのだろうが。

内部に入った秋人は、簡単な調書を取られたのちに美冬を呼び出してもらうことが叶った。監視役は先ほど応対をした彼だったため、一つ二つ会話をしているとしばらくしてドアがノックされた。

「それじゃ俺は読書でもさせてもらうとするかね」

耳にイヤホンを詰め、彼は懐から雑誌(なんと8年前のものだ!)を取り出してパイプ椅子にどっかりと腰かけた。イヤホンからは大きく音が漏れ聴こえて来ており、秋人は彼に大きく感謝した。


秋人はドアをゆっくりと内側へと引っ張った。久しぶりに見た幼馴染の顔は少し大人びており、秋人は小さくため息をついた。


「ひさしぶり、美冬」

「何年ぶりかしら。無事で、無事で本当に良かった!」


美冬は涙を流さんばかりに喜んでいた。彼女はこの街の小学校に勤めている教師であり、シェルターごとに教師を分配する都合上、家族と別れてこのシェルターに避難していたのだ。そして彼女の両親は06シェルター、つまり秋人と同じシェルターにいたのだった。


「お父さんとお母さんは?」

「二人とも無事なはずだよ。医務室には誰もいなかったから。ただ・・・」

秋人はそう言って目を伏せた。

「ただ?何か問題があるの?!」

美冬は噛みつかんばかりの勢いで秋人の襟首をつかんだ。


「06シェルターは爆心地にかなり近かったんだ。その影響かは分からないけど、太陽光、風力共に再生可能エネルギー用の設備が壊れちゃったみたいなんだ」

「え、でも」

「うん。燃料発電機はあるし、ある程度の燃料の備蓄もある。けどそんなに長くは保たない。予備の太陽光、風力発電機の設置に取り掛かっているからそんなに緊急の問題では無いんだけれどね」

秋人がそう言うと美冬は安堵したようにため息を付いた。なんだ、大した問題じゃないのね。美冬はそう言ってふわりと笑った。


「まあ、それを政府に伝えるためにも東京まで行かないといけないんだ。地下水を組み上げるのにも電気が必要だし、皆のライフラインだからスペアは常に無いと行けないからね」


彼らがちょっとした近況報告を終えると、すぐに面会は終了した。美冬はこのシェルターにおいて欠かせない存在であり、長時間部外者と同じ空間に置いておくわけにはいかなかったのだ。文明を失うことは、人類の歴史何千年分の研鑽を失うことと同義である。小学校教師とはいえ学問を教える事のできる人間は貴重であった。


秋人は来客用の個室を用意してもらい、そこで一夜を明かすことになった。食事は警備の人間が運んでくれた。

「まるで囚人だな」

それも牢から出してもらう事すらできない凶悪犯である。秋人はひとり苦笑した。それも当然だ。外界から来た人をシェルターの住民たちに会わせるわけにはいかなかった。まだ外への希望を持ってはいけない時期だろう。少なくとも何かが起きるまでは。


「でも、死ぬ前に美冬をひと目でも見たかったからな」

シェルター同士の交流など通常有り得ない。十数年後かに暫定政府がシェルター同士を繋げてくれるかもしれないが、貿易をする必要性がほとんど無い以上、そのスパンもかなり長期のものになるだろう。また、その貿易部隊の人間にならない限り、よその人たちと交流出来ないのだ。そんなの一生美冬と会えないのと同じである。


美冬は彼らの世代のアイドルであった。濡烏のように美しく長い髪。長く整ったまつ毛に、大きな瞳。控えめだがしっかりと主張する胸。抱きしめたら折れてしまいそうな腰。全てが美しく、また気立てもよく普通なら疎まれそうな女性達にも人気であった。そんな彼女が幼馴染であることは秋人の誇りであった。


食事を包んでいたアルミホイルを丁寧に広げて、新品の万年筆で傷を付けていく。インクは無い。紙もインクも今では貴重品だ。大きく一文だけ刻むと、ペンを包んで丸めた。



翌朝、秋人はひとり防護服に身を包んでいた。

「もう行くのか。早いな」

最初から担当してくれているガードマンは、洗浄済みの防護服を秋人に着せる手伝いをしてくれていた。


「ええ。これから東京まで走らなければならないので。何日かかるか分かりませんけど」

「君は英雄だよ。誰もやりたがらない仕事を、命がけでやってくれている。このご時世でメッセンジャーをやってくれる人がどれだけ居ることか」

秋人は02や01シェルター、他の町や最終目的地までの手紙や書類をバックパックに入れて背負った。


「あ、これ。もしよかったら美冬に渡して下さい」

取り出したのは昨夜のアルミホイルだった。

「なんだこれ?まあいい、渡しておいてやるよ。君の頑張りへの報酬にしちゃ少な過ぎるがな」


「いえ、美冬に会えただけで十分です。それじゃ、さようなら」

秋人はあっさりとそう言ってエアロックの中へと入った。マジックミラーとなっているロック内部の様子をこちらから見ることは出来るが、向こうからはもう見ることは出来ない。

そこへ美冬が走って来た。


「もう!出発する事くらい話してくれればいいのに。見送りくらいさせて欲しかったわ」

美冬は自分についていたボディガードに文句を言っていた。

秋人はそんなやり取りに気付けるはずもなく、ゆっくりと出口に向かってロックの中を歩いていった。


「ああ、これ。彼から貴女に」

ガードマンがそっと美冬に手渡したのは先程のアルミホイルの包みであった。美冬はそれを広げてみると、そこには一文だけ刻まれていた。


美冬、君と出会えて本当に良かった。


「ばか。何恥ずかしいこと書いてるのよ。次に会ったときどんな顔すればいいの!」

美冬は頬をほんのりと桜色に染めた。そんな彼女を見たガードマンは、残酷だが後悔をしてほしくないと一言告げた。

「多分、彼はもうこの街には戻ってこれないよ」


「え、なんで…」

持っていたアルミホイルをぐしゃりと握りしめた。それを見てハッとする。


放射能汚染。


「わたし、馬鹿だ」

彼はあまりに高い放射能濃度の中を何時間も駆けてきたのだ。防護服を着ていたとはいえ、完璧に被爆を抑えられるわけではない。中性子などメートル単位の防壁が無いと防ぐことはできないし、ガンマ線も確か全身に鉛100キロ以上纏わないと防げないんだとか。


秋人の身体は既に酷く汚染されていた。


東京に辿り着いたとしても、長期間の医療処置が必要になるだろう。生きていられるかどうかさえ分からない。


ポロポロと大粒の涙を流しながら、美冬はガラスへと縋りついた。アルミホイルと中に入っていた万年筆を握りしめた手でガラスを叩き、必死で秋人を呼ぶ。

「ばか!秋人がなんでそんな危ないことしなくちゃいけなかったのよ!なんで、なんでこんなことに」

何枚も垂れ下がったビニールで、最早影すらも見えない。


「なんで…わたし、まだ何も言えてない!昨日だって」

昨日だって、しばらく離れていた貴方との距離感を掴むために、当たり障りのない話しか出来ていない。わたし、わたし…。


「あなたと二度と逢えないってだけで、こんなに泣いてるのに。あなたは振り向かないのね」

美冬は秋人のくれた最後の贈り物を胸に抱きしめながら、しばらく涙を止めることができなかった。

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