廃校編 第1話

 数日前

 

 消毒液のツンとした匂いで目が覚めた。

 はじめに思ったことといえば、「知らない天井だな」って。

 

 そう思ったら先ずは、ギュッと目を瞑った。枕とベッドの感触に神経を研ぎ澄ませる。間違いない、これは自宅のベッドじゃない。

 そして首を横に向ける。まだまだ目は開かない、比較的眩しい方へ、寝っ転がったまま首だけを九十度傾ける。

 覚悟はできた。いざ万を持してゆっくりと目を開ける。すると…

 

 曇り一つない窓ガラスから燦々と日光が差し込んでいた。外は結構晴れてるみたいだ。

 いい天気。おっ、飛行機雲が引いてるぞ。   今日もまっすぐだなー。

 

「チッ、異世界じゃないのかよ」とがっかりした。かなり。違うそうじゃない。

 いや待て待て、流れでこんなアホなことしてみたがいいわ、なんなんだこの状況?

 

 先ずは疑問、「ここは何処だ?」

 いや、一目でわかる。ここは病院だ。って事は俺は病人? それとも患者?全く心当たりが無い。

 周りをぐるりと見回してみる。

 ベッドが並んだ四十畳ぐらいの部屋。隣のベッドではおそらく染めたであろう派手な赤い髪の色のおっさんが足を吊っている。白い縞模様の作務衣のような格好で体のあちこちがギブスでガチガチに固定されている。どう見ても怪我人、今は寝ているようだ。

 真上を見れば端の黒ずんだ蛍光灯、部屋の入り口辺りのヤツがパチパチと瞬く。壁に掛かっている時計の針は丁度三時を指している。おやつの時間だ。

 かなり殺風景な部屋。飾りっ気のない、まさにビョーインって感じ。隣のおっさん以外は清潔感に溢れてる。

 

 今度は俺自身の体をよく改めた。

 点滴の様な物は刺さっていない。手も足も、指一本も無くなっていないし折れてもいない。内臓が飛び出てるわけでもないし、感覚が無い部位があるわけでも無い。

 熱も…無いようだ、気分も悪くない。むしろ絶好調といったところ、こんな時間までグッスリと眠れたせいだろうか?

 強いて言うなら、何というか、妙な違和感があることぐらいか?

 うまく表現できないけれど、漠然とした…いや、気にすることもないかな?

 まさに五体満足、健康そのもの。

 

 服装は隣のおっさんとは違い、胸にでっかく「大艦巨砲主義」とプリントされたTシャツに買ったばかりのジーパン。緑色のパーカーが病床の隅に綺麗に畳まれていた。

 でも腕に水色のリストバンドのような物が巻かれており、バーコードとシリアルナンバーが印刷されている。記入欄には名前と血液型が記されており、左下に小さく「軽傷」と書かれている。

 それ以外は至って普通の、普段外出する時に着ている格好。別におかしな点はない。

 強いて言うなら少し傷が付いているとゆうことぐらいか?こんな所に穴なんて開いていたっけ? 気のせいかな?多分そうだ。


 では、なおさら何故?どうして俺は「患者」になったんだ?

 どうしよう、だんだん怖くなってきた。


 普通、足を吊っているような哀れなおっさんの合い部屋になる様な目に合っている奴はこんな昼過ぎに病床の上で伸びをしている筈がないってもんだ。 

 

 思い出せ上妻有正、俺は一体何をしでかした?

 

 最後に憶えているのは自宅のベッドの上。引っ越しの荷物を新居に並べたり、家具を置いてテレビを繋げたり、そんな作業にひと段落ついて夕食を食べた。確かキッチンがまだ使えないからコンビニ弁当だった筈だ。

 それから「疲れたからもう寝る」って言って先に部屋に戻って行ってそれから……

 

 駄目だ、布団に潜った所から先が思い出せない。

 

 え?って事は何? 寝たらここに瞬間移動した?え、やだやだ怖い怖い怖い、原因がわかんないのに病院にいるとか下手なホラーより心臓に悪いわ。どうしてただベッドの上にいるだけなのに死にそうになってるの?ってゆうか今何日? 何曜日?時間はわかってるけれど日付まではわかんない。そもそも俺はどれくらいの間眠ってたの?どうしてこうゆう時に限ってスマホがないの?もーなんなんだよー

 

 落ち着け。

 

 落ち着いて深呼吸をしろ上妻有正。隣に怪我人がいるんだ、起こしたら不味い。そう、静かに、落ち着いて周りの感覚に気を散らせろ。

 

 静かだ。いや、病院なんだから当たり前か、外に走っている車の音さえ聞こえてきそうだ。実際はあまり聞こえてこない。そりゃそうだ、最近の車は静かなんだ。小さい子に車の音は?って聞くと「ブロロロロロロ」ではなく「スウウウウゥゥゥン」って言う様になるくらいなのだから。技術の進歩ってすごいな。

 

 落ち着いてきた。取り敢えずは。

 

 どうしようか、ベッドの脇に置いてあるナースコールでも押そうか?いやいやその必要もない。とゆうか、これって勝手に押していい物なのだろうか? そもそもどうゆう時に使うのかいまいちよく分からない。

 

 しょうがない、歩いて行くか。




 

 

 普通に怒られた。

 勝手に出歩くな、誰か来るまで待て、検査があるからそこで待ってろ、親御さんが直ぐに迎えに来る。だとさ、俺は犬か何かか?

 仕方なく、大人しく言う事を聞いておいた。

 正直、検査って聞いた時は何をされるのかって肝を冷やしたが大した事なかった。

 でっかいドーナツみたいなのに頭を突っ込んだり脚や腰をペタペタ触られて「ここは痛みますかー」って聞かれたり。

 一連の検査が終わってから先生方に聞いてみた「あの〜俺って何かしましたっけ、別に大きな怪我っぽく無いと思うんですけど」血相を変えた白衣共がまた俺をドーナツに突っ込んだ。解せぬ。

 今度こそ終わり、待合室でジャンプを読んでいると「あっいたいた、有正〜」と、聞き覚えのある声。振り替えるとそこには母さんと弟の楽人(らくと) がいた、漫画を閉じて手を耳元でフリフリ。特に意味はない。意味はないが無事だと判断したらしく詰め寄ってきた。

「ちょっとー心配したんだから‼︎」首を締めるな首を締めるな仮にも患者だぞ俺は。

「お父さんは?」と僕。

 弟曰く、「仕事だって」

 

 

 そしてここは第二診療室とやら、待合室で母と格闘してたら呼び出しを喰らった。一瞬注意されたのかと思ったらただの呼び出しだった。

 問題は、そこで聞かされた衝撃の事実だ。

 

「いやぁしかし私共としてもビックリですよ、まさかトラックに跳ねられて無傷だなんて。息子さんは丈夫ですねぇ〜」

 とバーコードハゲの医者が笑いながら言った。ハハハじゃねえですよ。


「トラック!!?」


 今日一番の驚き声、母さんに脇腹抓られた痛い。

「え、なんです? 俺ってばトラックに跳ねられたんですか⁉︎」


「ええ、しかも大型の」

 医者のくせにサラッととんでも無い奴だ。追い討ちで俺の心臓を止めにかかってきやがる。


「あ、あ、あの、俺跳ねられるどころか外に出た記憶すら無いんですけど」

「さぁ? その記憶もどっかにぶっ飛んでいったんじゃ無ないかな?」

「母さん他の病院に行こう今すぐ、こいつ絶対ヤブ医者だよ」

 今度は楽人に脛を蹴られた。おかしいな、せっかく五体満足で目覚めた筈なのにどんどんボロボロになっていく気がする。もうやだこいつら。


 まあ、それはそうと(それどころじゃ無いが) 、なんなんだいったい。つまり、こう言うことか?

 俺は大型トラックに記憶だけ吹っ飛ばされて異世界転生せずに無傷で病院送り? いやいやいやツッコミどころが多過ぎる。全然情報量が少ないじゃないか。その辺について質問攻めにしたかったが、医者は「わかんない」だの「詳しくは警察で聞いてね」とかのらりくらりと受け流されてしまった。


「取り敢えずは安静にね、本当にかすり傷一つ無かったから良いけれど。また次に跳ねられたら今度は天国までフライアウェイだからね」

 この医者最後までとんでもねぇ奴だな。この減らず口もなんかの病気なんじゃ無いかな? いや、それはともかく。

「あの、先生」立ち去る前に一つ質問しておきたい事があったのだ。

「さっきの待合室でも何ですけれど、髪を染めてる人が多いですね、何かのお祭りですか?」

 医者と看護師が顔を合わせる。振り替えると母が目を丸くして楽人が首を傾げる。

 あれ、何かおかしな事でも聞いただろうか? 目の前の看護師さんは薄い緑だし、さっきの脚を吊っていたおっさんは赤くライオンの鬣のようになっていた。

 医者がポツリと母に尋ねる。


「もう一日だけお世話になりますか?」

「お願いします」

「おいちょっと待て」

 何とか入院の延長は免れた。

 

 

 そして次に来た場所は警察署、もう外は暗い。

 別に悪さをしたわけでは無い。無傷とはいえ仮にもトラックに跳ねられたんだ。いろいろと事情聴取やら書類やら何やらかんやらの手続きが必要なんだとさ。

 まぁその過程でドライブレコーダーやら防犯カメラの映像やらを見せて貰ったわけだが、これがまた……


「うわぁ、うわぁ…」結構エグい。

 どう見ても死んでいる。

 場所は某業務用スーパー前の交差点、街灯に設置された防犯カメラの映像らしく、時刻は夜中の十二時を過ぎた辺り。

 全体的に暗いがくっきりとした映像。奥にはスーパーから漏れている明かり、手前には太い道路と交差点が映し出されている。

 新居の近くではない。多分少し離れた場所だ。

 その、画面の左上辺りに人影が現れる。ボヤけているが格好から見て間違いなく俺だ。歩行者側の信号は青の点滅…がギリギリで終わる頃。

 俺が車道へフラフラと飛び出して……画面外から現れた大型トラックに激突。

 ピンポン球みたいに反対車線に吹っ飛ばされた後、もう一台の乗用車に危うく轢かれかけ……と言うところまで。うわぁ、うわぁ…


「あの、刑事さん「巡査、」巡査さん、あの、これ本当に俺ですか? 普通だったら今頃、もっとこう…ぐじゃあってなってません? 俺。」

「いや、この後、この乗用車の持ち主の通報で駆けつけた救急車に運ばれたのは間違いなく君だよ」

 何で生きてんだよ、俺。こんなの見た後じゃ素直に喜べないじゃん。

「残念だけどトラックには逃げられてるよ、今追っている」しかも轢き逃げとか。

 大丈夫だよと強面の警官に肩をポンと叩かれる。「おじさん、君と同じ目に合ってもっと悲惨な事になった人知ってるから」

 励ましてるつもりなのだろうか? 職業柄、そういった物に出会す事が多いのはわかるが、ちょいと不謹慎すぎやしないか?

 ってゆうか今日は目覚めてから本当にロクな目にあっていない。


 少し休憩、あったかいお茶を出してもらった。ありがたい。

 今度はあの強面ではなく、優しそうな婦警さんがバイザーとボールペンを片手にやってきた。簡単に事情を聞いておきたいとのこと。

 この人もだ、この人もおかしい。頭は黒いけど目が青い。


「ええっと、じゃあ君は自宅のベッドの上から記憶が飛んでると、つまりそう言う事?」

「はい」

「……病院ではどんな診断を?厨二病?」

 はっ倒すぞ

「夢遊病で」「はい」

「記憶喪失で」「はい」

「跳ねられても無傷」「はい」

「君大丈夫?」

 やかましいわ、こっちが聞きたい。

 

 それからはあまり長くなかった。さっきの警官も同情の表情を浮かべて見送ってくれた。

 

 

 帰りは車で新居まで、車窓から外を眺めてボーッとしていた。

 一体何なんだろう?おかしな事ばかりだ。どうやら、トラックに跳ねられてから何日も経ってはいないらしく、さっきの映像も昨日のものらしい、それに……

「通報してくれた人、ご近所さんなんだって。今度お礼に行こ。」と母。

「もうお父さん家に帰っているから、帰ったらちゃんと顔見せなよ。」

「はーい」

 この母の対応、いくら無傷だったとは言え仮にも息子が事故を起こしたんだぞ、軽すぎやしないか?もっとこう…怒ったり泣いたりしてもいいんじゃないか?


「もう着くよ」

 車がバックしだす。あー疲れた。もう何が何やら、轢き逃げされるわおかしな髪の色を指摘したらおかしな人扱いされるわ、もう散々だ。ってゆうかよく見たら目の色もおかしい人いたし。

 さてもういいや、今日は夕飯を食ってさっさと寝てしまおう。せっかくの春休みなんだ。明日は昼頃まで寝てても文句言われないだろう。

 さあ愛しの新居よ私は帰ってきたー。

「「「ただいまー」」」

 おやおや!台所からいい匂い。きっと父さんが何か作ってくれたのだろう。

 この前まで「新しい台所は使い勝手がー」とか言ってたのに、気合入ってんな

 廊下の奥からパタパタとスリッパが床を擦る音、ヒョッコリと父さんがで首だけ出して出迎えてくれた。

「おかえり。おい有正、大丈夫だったか」

「うん、この通りピンピンしてるよおおおオオオイイ‼︎」

「有正!近所迷惑だぞ大声出すな‼︎ ってゆうか本当に大丈夫か」

「アンタこそ大丈夫か⁉︎ あ、頭…」

 うちの大黒柱の頭が大変なことになっていた。まさかの二色、真っ白だけど毛先が緑色だと⁉︎ 主張が激しい、元々白髪の多い人だったが、なんだこれ? この人の頭の上だけ猛吹雪じゃねえか⁉︎

「有正まだそれ言ってる」と呆れる楽人。

 本当にどうなっているんだ?

 

 ちなみに夕食はキムチ鍋でした。

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