第五十二幕 マイ・シスター・ミノリ
体育祭が終わるころには結果発表がどうこうよりもとにかく、腹が減った。
俺たち白組はどうやら総合三位で、詩子ら赤組が二位という、お互い話のネタにもならない成績だったので、余計に空腹が目立つ。
日が傾き、西日が鋭く差し込む教室では皆、すっかりと疲れ果てている。
西日に照らされ、頬杖をついて窓から外を眺める、何やら考え事をしている様子の時介に「なんか映えるなあ」なんて思いながら、終礼が終わるのを待った。
午後の競技が始まったころは随分気分が沈んでいたようだった水月も、普通にクラスの女の子と会話をしているあたり、もう心配の必要はないな、と安心した。
帰りに詩子をご飯に誘おう。
最寄り駅の前にあるファミレスでいいかな。足も気になるだろうから、家まで付き添って送って帰ろう。
と、思い立ち、いつものように詩子にメッセージを送った。
送信後、俺が画面を閉じるより早く既読がついた。
「歩きにくそうだな」
校舎を出た俺は、右隣を歩く詩子を気遣いながらペースを合わせて進んだ。
「ま、明日休みだし。寝てたら治るよ」
手をヒラヒラさせながら、答える詩子。全く気にしてないようだった。
「ところで詩子、帰りに飯食って行かね?」
「あー、私も誘おうと思ったんだけど、実はいま家にあいつ来てて……」
「あいつ?」
「ほら、夏に新太郎も会ったろ。従妹の律華」
夏に出会ったロリお嬢様の姿を思い出す。詩子の身内で詩子のことを気にかけてくれる数少ない存在である。
「ああ。え、なんで?」
「グループのなんだかんだで叔父さんと叔母さんと一緒に来てるんだってさ。詳しくは知らないし、知りたくもないね!」
あっけらかんと答える詩子。この短期間で随分と成長したものだと、後方腕組何様のつもりだと自分で突っ込みたくなる感想を持ってしまった。
「律華には構ってあげておきたいから、悪いけど今日はパスだ。来週の放課後に飯行こう」
「ああ、いいぜ。俺はだいたい暇だから」
「知ってる」
さて、校門付近に近付くと見覚えのある影が飛び跳ねながら俺を待っていた。
その人物はいささか怒っている様だった。それもそのはず。
「兄ちゃん! お昼どこ行ってたの!」
「げ。穣」
大きな紺色のリュックを背負った穣がそこで待機していた。
そのリュックの中にはきっと俺が食べなかったお弁当が入ってるのだろうと思うと改めて申し訳なくなってくる。
「ま、代わりに時介兄ちゃんと水月ちゃんが食べてくれたからいいけどさ。……ところで」
穣が覗き込むようにして俺の隣に立つ人物、詩子を見る。
咄嗟に不気味な愛想笑いを浮かべる詩子。
その不気味さと外見が相まって、穣は俺の腕を掴んでおびえたようにこう言った。
「兄ちゃん、パシリにつかわれてるの……?」
とんだ大誤解。
一瞬穣の言ったことを理解できなくで黙ってしまったが、怯える子犬のような表情を浮かべる穣と、そして明らかに落ち込んでいる様子の詩子の顔を交互に見ると面白くて仕方がなかった。
声をあげて笑った。
「穣、安心しろ。いくら俺が陰キャでも、迂闊にヤンキーの使いっパシリになり下がるほどではないぞ」
「でも、兄ちゃん。ヤンキーな人とつるむような性格じゃないし……」
黙っていた詩子が小声で俺に助けを求めてきた。
「新太郎、さすがに私もこんな純粋な瞳でこう言われると、精神がもたないんだけど……」
映画中の泣き出す直前のそれに似た顔をしている。
「ああ、ごめんごめん。悪気はないと思うから……」
と、場を整え、俺は改めて二人をそれぞれに紹介した。
「市川穣、俺の妹で中三。そしてこっちは英詩子。まあ外見はあれだが悪い奴じゃないし、その、俺の彼女だ」
こうしてはっきりと俺と詩子のステータスを発言するのはやはり照れくさい。それが実の妹相手であっても、だ。
そして、それを聞かされた穣は数秒フリーズしたのち、あたりの視線を一手に引き受けるほどの悲鳴、や、嬉しい悲鳴をあげた。
「ええええええええええええええええええええええええええっ!」
「ちょ、うるさい、穣!」
「いや、だって、兄ちゃん! もしかして最近彼女出来たのかなとは思ってたけど、え、だって、え」
「……は、はじめまして」
よそよそしい詩子と目を飛び出しそうなくらい見開いた穣の初めてのコミュニケーションだ。
実は前に一度うちに来たことがあるんだけどな、穣が留守の間に。ということはあとで帰ってから話そう。
穣は詩子の頭の先から足の先まで姑のような目つきで観察し、そしてその足先から僅かに見えるテーピングと、足を庇うような立ち姿を見てピンと来たようだ。
「水月ちゃんとぶつかってた人だ! 足大丈夫ですか?」
急に詩子のもとへ駆け寄ると、これまた子犬のように、今度はペットショップのゲージの中から見つめるあの誘惑的な目で彼女を見つめた。
「新太郎と違って愛嬌があって可愛い妹じゃん」
「嫌味かよ」
「あらあらあらあら! ほんとに付き合ってるみたいなやり取り! 仲良いんだね、よかった!」
大きいリュックを揺らしながら飛び跳ねて喜ぶ穣。
もしかしてと穣の口から水月の名前が出てくるんじゃないかと身構えていたけれど、どうやら杞憂に終わりそうだ。彼女なりに空気を読んだのかもしれないが、真相は子犬の瞳の中。
「詩子さん、お住まいはどちらなんですか?」
「最寄り駅は一緒だよ、穣ちゃん」
俺からは考えられない速度で距離を詰めた二人。
「そうなんだ! じゃあ一緒に……、じゃなかった。私お邪魔ですね! お先に……」
「気にしないでよ! 穣ちゃん!」
「そうだぞ穣。三人で帰ろう」
少し悩んでいたけれど、すぐに満面の笑みを浮かべて穣は詩子の右隣に寄って行った。
「じゃあ帰りましょう! 足痛むでしょ、私が詩子さんの鞄を持ってあげます!」
「ええ、それはいいよ、大丈夫」
「遠慮しなくてもいいのに……。本当はこういうのは兄ちゃんが気を遣って言うんだからね! わかった?」
厄介な妹だ。
して、それで俺たちの身近な人間はだいたい俺と詩子が付き合っているということを知ったわけだ。
これからの学校生活は夏前とは比べ物にならないようなものになるんだろうな。
そう思いながら三人横並びで駅へと向かった。
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