第五十一幕 かりもの。いつかわかること

 まさか、体育祭の日にこんな力強い決意をすることになるとは思いもしなかった。


 思い返せば「思いもしなかった」ばかりが立て続けに起こっている。

 という発言も、もう何度目だろう。


 綺麗な体操着に着替え終わった詩子は、足をかばいながら歩みを進めていたので、俺は肩を貸そうかと提案するも、あっさりと断られる。


 その代わりにと、照れくさそうに詩子は自分の左手を差し出してきた。


 先日サイコホラー映画を見ていたときを除けば、これが詩子と初めて手をつなぐ瞬間だった。


 順序がいろいろと逆転してないか、なんて心配はもう置いておこう。


 ただ、この手はもう、離さないし、離したくない。


「校舎を出るまでな」


 という俺の願望をズバッと斬る詩子。


 歩幅を負傷している彼女に合わせているが、全く苦にならない。むしろ心地よい。



 保健室でゆっくりし過ぎたせいだろう、グラウンドでは午後の競技がもう始まっていた。


「……あっ」


 俺は穣のことを思い出した。


「どした?」


「いや、実は妹が来てて、弁当を用意してくれてたんだけど……」


「新太郎、もしかしてご飯食べずに保健室に来たのか?」


 返事は腹の音が代わりにしてくれた。


「ま、どうせ午後はだらっと見てるだけだし。大丈夫だろ」


 お昼を抜く日くらい、今日が初めてではない。


「そういう詩子は? リレーが終わってすぐ保健室だろ?」


 返事は同じく腹の音がした。


 くすくす笑う俺をキッと睨んで、詩子は俺の右手を握る左手にググッと力を込めた。


「いでででででででっ」


 それでも、手を放そうとはお互いしなかった。



 校舎を出て、少し名残惜しく手を放した俺たちは、さも何事もなかったかのような距離感を保ちつつ、グラウンドはお互いの組の持ち場へと戻っていった。


 先に赤組の輪に入っていった詩子をしばらく見つめる。


「英よく頑張ったな!」

「足大丈夫? 歩ける?」

「英見直したぞ!」


 慣れない誉め言葉の嵐に表情の筋肉が歪に動いている。滑稽、滑稽。


「詩子ーっ! ほんとごめんね!」


 大声で謝りながら詩子に抱きつく金髪。

 高島は自分のバトンパスが下手だったから詩子が転倒したと思っているらしい。

 彼女のおかげで今の生まれ変わった詩子があるのだから、高島には感謝しきれない。



 なんて視線を赤組に奪われながら、俺は白組の持ち場に戻った。


 何人かと、「おかえり」「どこ行ってたの」と軽いやり取りを終えて、あたりを見回す。

 時介がいないのはおそらく競技の準備に入っているからだろう。


 視線はなんとなく水月を探した。


 グラウンドの隅っこでひとり、木陰にしゃがみこんでいた。

 幸いにもそのあたりには涼みに行く生徒がちらほらといたので、彼女が浮くことはなかったけれど、様子がおかしいのは明らかであった。


 後方を気にしつつも、なるべく今は気にならないように、そう、気を遣って俺は白組の輪のなかに戻る。

 どこかで水月をフォローしてあげなくちゃ、という幼馴染としての使命感がひっそりと湧いていた。




『続いては借り物競争です』


 アナウンスがグラウンドに反響する。


 スタート地点に並ぶ生徒の中でひと際はしゃいでいる男がいた。


「岡田! やってやれ!」

「おもしろいもの借りてこい!」

「時介くん頑張って!」


 改めて時介の人気の高さを実感する。

 ずっと一緒にいると忘れがちだけれど、やはりこの男のルックスは相応の人気を呼ぶし、さらにサッカー部のレギュラーときたもんだ。そりゃモテるわな。

 いまこの歓声の中にも時介に借りられたいなんて妄想している女の子は山ほど混じっているのだろう。



 レースがスタートして、第一走者たちが借り物を探し回る。


「だれか! 絆創膏!」


 と叫ぶ生徒の下にさっきの保健の先生が「はいはいー」と寄っていく。


「うお座の人!」

「水筒持ってる人!」

「教頭先生!!」



 つつがなくレースが進行していき、いよいよ時介の番が訪れる。


 歓声が一回り大きくなった。

 我ながらすごい人を幼馴染にもったなあ。


 時介は走り出し、コース上に置かれたボックスから紙を取り出すと、遠目から見てもわかるくらいその顔を歪めた。

 一体どんな破天荒な指令を引いたのだろうか。



「あれ、あいつこっち来てね?」


 白組の誰かがそう言った。


 彼が言う前から俺はそれに気づいていた。間違いなく時介はこっち、生徒たちの待機している方へ向かってきている。


 ついには俺たち白組の待機場の前まで駆け寄ると、ようやく足を止め、時介は叫んだ。


「水月!」


 あまりにも突然呼ばれたその名前が一瞬誰なのか分からなかった。それは俺以外の生徒も同じくだったらしく、しばらく右に左にキョロキョロした後、ようやく、ああ、あの森水月のことかと理解して一斉に後ろへ振り返った。


 呼ばれた本人は相変わらずグラウンドの隅っこ、木陰でしゃがんで項垂れている。

 どうやら自分が呼ばれたことに気付いていないようだった。


 俺が改めて彼女をこちらへ呼びつけようとしたけれど、その必要はなかった。


 白組の連中をかき分けるように進んだ時介が、そのまま項垂れる水月の目の前まで駆け寄った。



「水月!」


 もう一度その名を呼ぶ。


「……え? 私?」


 ハッとしてようやく顔を上げる水月。


「お前以外に誰がいるんだよ」


「え、まあ。ってか、なに?」


「怪我大丈夫か?」


「……? 擦り傷だけだから別に」


「走れる?」


「走れる……って、え?」



 時介は水月の左腕を掴み、彼女を起立させる。


 そしてそのまま、再度俺たち白組の中をかき分けるようにレース中のグラウンドに戻った。

 その間、水月はずっと「え?」とか「は?」しか口に出せず、ただただ戸惑っている様子だった。


 俺を始め、白組の連中も一体なにが起こったのかわからなかったけど、やがて水月が「借り物」として呼び出され、一緒にレースに参加させられたのだと理解すると一気に歓声を上げて二人を応援した。






 結果として二人の順位は最下位。

 水月を呼び出しに行くのに時間がかかって、その隙に他の組がこぞってゴールしていた。

 二人はゴールテープを切ることは出来なかったけれど、大歓声を一手に受けた。



 レースが終わって、二人はこんなやりとりをしていた。


「時介、なんで私だったの?」


「え?」


「借り物。どんな指令がそこに書いてたの?」


 手に持っていた小さい紙をくしゃりと握り潰して時介は答える。


「知らない方がいいこともあるんだぜ?」

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