第五十幕 ヤンキー・ボッチの秘密の部屋
保健室の扉をノックすると、中から保健の先生の軽々しい口調で「はーい」と返ってきた。
「失礼します」
扉を開ける直前、ふと廊下を見たけれど、さっきまで俯き気味で立ち尽くしていた水月はいつのまにか居なくなっていた。
「あら! 噂をすれば!」
三十代半ばの女性の保健教諭がなんとも嬉しそうに俺の顔を見て叫んだ。両手を口に当てて、絵に描いたような「あら!」だった。
「おい、先生、変なこと言うなよ」
保健室のベッドに腰掛けている詩子が先生を睨む。
「元気そうじゃん」
「まあな。私をその辺のか弱い女と一緒にすんなよ」
と威張る割に、その右足のテーピングと、所々に貼られたガーゼは見ていて痛々しかった。
「捻挫ね。骨は大丈夫そうだけど、とりあえず安静にすること。あと、その汚れた体操着も着替えなさい。ここに替えの体操着あるから」
そう言って先生は綺麗に畳まれた体操服を詩子に手渡すと、ニヤつきながらこう続けた。
「あとはお若いお二人でっ! 戻る時、鍵は開けといていいからねー!」
そう言うと逃げるように保健室を去っていった。
「先生に話したんだ?」
「いや、まあ、水月と話してたら聞かれてたというか……」
「そうなんだ。水月は、なんか言ってた?」
「……」
「……おーい」
「着替えたいんだけど……」
「あっ、ごめん」
そうしてベッドを囲うようにカーテンをシャッとしめた詩子。
気を遣って部屋からも出ようと思ったけれど、カーテン越しに詩子は話を続けた。
俺はカーテンで塞がれてるといえど、妙な恥ずかしさを覚えたので、カーテンに背を向けて保健室の丸椅子に腰を掛けて話を聞く。
「水月は夏くらいから薄々思ってたらしい」
「夏くらい……」
「新太郎たちで海に行った時に、なんとなくそう感じたんだってさ。新太郎が、その、私を……。す……。まあ何でもいいや」
服の擦れる音がカーテン越しに聞こえてくる。
「そうなんだ。変に隠す必要もなかったんだな」
「うん、まあ、そうかも……」
どこか元気のない詩子。足がやっぱり痛むのだろうか、それとも。
「水月に何か言われた?」
あまりにもストレートな質問だった。
「いや、特に。趣味一緒だし、楽しそうだね、とだけ」
「そっか」
数拍置いて、詩子が続ける。
「でも、だけど……」
必死に言葉を選ぼうとする様子がその声色からだけでも十分伝わった。
「新太郎は私じゃなくて、水月の方がお似合いかもしれないね、なんて」
ほんのジョークのつもりでそう話しているのだろうけど、声が震えていた。
「なんでそう思った?」
我ながらさっきから質問が愚直すぎると思った。
「前からもそうだったけど、新太郎の話してる時の水月、めっちゃ可愛いんだよ」
「か? え?」
「私の口からは言うべきじゃないけど、でも水月は新太郎のこと幼馴染以上に思ってるよ。きっと」
その姿を見たことない俺は肯定も否定も出来なかった。
本当は否定すべきなのだろう。けれども、その否定がまた詩子の中の何かを逆撫でする可能性を思うと、次のセリフが出てこない。
「やっぱり私じゃ及ばない……かな」
そんなことない。全力でそう叫ぶつもりだったけれど、俺の口からはまた予想外の声が漏れた。
「水月がどうかは分からないけど」
恥ずかしさで顔が赤くなるのを感じた。
「俺と話してる時の詩子、めっちゃ可愛いんだよ」
カーテンの奥からガタッと物音が聞こえた。
詩子の動揺が伝わってくる。
「は? ちょ、新太郎……。なに……」
「いや、恥ずかしいからもう言わないけど」
再び沈黙が流れる。
「詩子がなにを心配してるかは何となく理解したよ」
今回は俺からその沈黙を打ち破った。
「たった一言大丈夫だって言うだけじゃ足りないのも分かってる」
返事はこない。
「どれだけ何を言っても足りないのは、きっといつまで経ってもそうなんだよ。じゃあどうするかって、正解は分かんないけど、俺が俺の行動をもって証明し続けるだけだと思ってる」
ベッドが軋む音がカーテンの奥から聞こえる。
水月には申し訳ないけれど、あいつは幼馴染だ。友達だ。ただ、それはもう誰よりも信頼している友達だ。
けれど、俺は詩子が好きだ。
詩子と出会って俺は変わった。相変わらずそれでもぼっちかもしれないけれど変わった。
詩子も変わった。相変わらずそれでもヤンキーかもしれないけれど変わった。それは今日のリレーを見たら火を見るより明らかだ。
「まずは今日も一緒に帰ろう。週末は映画に行こう。連休はちょっとだけ遠出しよう。またうちで宿題やろう。夏は終わったけど海にも行こう。ゲーセン行こう。ボウリング行こう。カラオケ行こう。そしてまた映画行こう。あとは……」
その時だった。
突然背中を温もりと衝撃が襲った。
何が起こったか一瞬わからなかったけど、俺の眼前には背中から俺を抱きしめるように白く、ちょっとだけ怪我をしている腕が現れた。
「へっ⁉︎」
変な声が出た。
詩子に後ろから抱き締められていた。
背中に感じる彼女の温もりと柔らかい胸を意識して俺の顔はさらに紅潮した。
おそるおそる顔を後ろに向けて俺はさらに驚いた。
「ちょっ、うたっ、おまっ、服っ」
着替えるためにカーテンの奥に消えていた詩子だったが、いま、飛び出してきた彼女の姿は下半身は体操ズボンを履いているも、上は、そう、いわゆるブラのみだった。
しばらくしてようやく、詩子が俺の背中から離れる。
目のやり場に困った俺は視線を泳がせながらも薄桃色のそれと、たわわにみのった双丘をしっかりと頭に焼き付けていた。
泳いだ視線はやがて、詩子の潤んだ瞳をとらえた。
何度も何度も何度も何度も見たその涙目。
それは俺が今この世で一番大事にしたいもので、一番愛おしいもので。
そして、誰にも渡したくない俺だけのものだと、強く思った。
気付いた時には俺は丸椅子から立ち上がっていて、静かな保健室、耳を澄ませばグラウンドから声が微かに聞こえる昼、彼女の頭を撫でるようにこちらへ寄せて、唇を重ねた。
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