第四十八幕 勝手に来やがれ
「来ちゃった」
体操服でグラウンドの端、目立たない日陰にいた俺に無邪気な笑顔を投げかけてきたのは我が妹、穣であった。
「何しに来た」
眉間の皺で物が掴めそうなくらい険しい顔をしながら、事前の忠告を無視した穣を睨んだ。
体育祭当日。
来るなと言ったはずの穣は何故か私服でここにいる。土曜日の開催につき、中学も休みだったので来ちゃった、そうだ。
勝手に来やがった穣はその場で跳ねながら言う。
「お弁当も作ってきたから! 水月ちゃんと、時介兄ちゃんにも食べてもらえるようにいっぱい!」
高校の体育祭ともなると、保護者が出席するのは珍しく、つまり保護者が来ている生徒は「お前のとこの母ちゃん来てるぞ!」なんて囃し立てられるのだ。
そしていま、大きな弁当箱を抱えた穣と俺は、せっかく目立たないところに避難していたのにもかかわらず、クラスのやんちゃな連中に見つかり「市川んとこの妹だ!」と騒いでいた。
その声に誘われるように。水月と時介が近づいてくる。二人とも白組の鉢巻を頭に巻き、同じく体操服姿である。
「水月ちゃん! 時介兄ちゃん! 夏ぶり! 二人とも兄ちゃんと違って運動姿が様になってるねえ!」
「当たり前よ! そんなもやしと俺らを一緒にされちゃ困るぜ!」
ひどい言われようだったけれど、反論の余地がないくらい線の細い体つきの俺だった。
「兄ちゃん、こんなところにいないで組のところ戻ったら? 私は観覧席にいるし」
「そうだぞ新太郎、お前の出る競技結構序盤だろ?」
「はいはい、行きますよって」
しぶしぶ重い腰を上げる俺。
ふと水月と目があった。
何かを言いたげな表情をしていたけれど、穣にその空気をぶった切られる。
「二人は何に出るの?」
「俺は借り物だな」
「私は女子リレーで、三番走者よ」
応援してるからね! と言い、手を振りながら観覧席に戻る穣。
「じゃ、俺らも戻るか。新太郎は早く用意しろよ」
時介はそういうと駆け足で白組の待機場まで行った。なんだかんだで運動大好きっ子な彼は、早く競技に出たくて仕方ないらしい。まったく俺の分まで走ってほしいもんだよ。
「リレー、詩子も出るんだってね」
そんな時介の背中を見ながら水月が口を開く。
「ああ、なんかアンカーらしいぞ」
高島のせいでリレーに出ることになった詩子はそのままの勢いで何故かアンカーを任されることになったらしい。
ちなみに詩子の赤組の第三走者は高島で、水月は生徒会長と競うことになるそうだ。
「生徒会長ああ見えて足早いらしいから、私も頑張らないと。応援しててね!」
急に俺の顔を覗き込むようにして目を合わせに来た水月にドキッとしたが、俺は彼女の鼻先をみながた返事をした。
「ああ。頑張れよ」
俺の出る百メートル走は午前の部、そして詩子と水月と高島が出る女子リレーは午前の部の最後、時介の障害物競争は午後の部の真ん中で、最後の男子リレーには俺の知り合いは誰も出ない。
午前で帰ってもいいんじゃないか、とさえ思うこのプログラムに文句を言いながら、俺は百メートル走のスタート位置に立った。
観覧席からは穣が飛び跳ねるようにして手を振っている。やめろ、恥ずかしい。
ふと、各組の待機場に視線をやった。
赤組の待機場に詩子の姿を確認した。
遠くてよくわからないけれど、どうやら高島に背中を押されながら、待機場の前の方、つまり走ってる姿が良く見えるところに連れてこられているらしい。
「別に応援しなくてもいいって」って言いながら高島に冷やかされているのが見て分かる。
結果は、まあ可なく不可もなく。
取り立てて語ることもないくらい一瞬で、盛り上がりのないレースだった。
それでも嬉しそうに手を振る穣の姿が実に面倒臭かった。これはこのあと確実にみんなにから冷やかされるな。と思いながら白組の待機場まで戻る。
「おつかれ新太郎」
出迎えてくれたのは時介。
「お前にしては速かったな? 彼女にいい所見せたかったんだ?」
「だまれ」
もはや時介は周りに他の生徒がいても普通に俺と詩子のことを弄るようになっていた。
ただひとつ、水月が近くにいるとき以外は。
いまは水月がリレーの準備でここを離れている。
時介なりの水月への気遣いといったところか、しかし、そんな気遣いをされるということは、俺がもしかして、と想像していた事態はどうやら事実なのだということを暗に伝えていた。
体育祭当日は学校に着いてから詩子と会話を交わす機会はなかった。
それぞれお互いの組での準備に追われていたからだ。
それにしても、クラスの陰キャだった俺と、学校一のヤンキーだった彼女が、こう他の生徒と一緒になにかを、なんて春先の俺たちに言っても果たして信じるだろうか。
『続いての競技は、組対抗女子リレーです』
白組の待機場でだらっと過ごしていた俺の耳に、そのアナウンスが入ると、自然と腰を上げていた。
第一走者、第二走者と、各組そんなに仲良くない人が並び、そして第三走者として水月と高島が横並びで立っていた。
そんな第三走者からバトンを受け取るのはアンカー。
各組の運動部女子の中にひとり、赤い鉢巻をした銀髪のヤンキー、詩子が立っている。
「彼女の出番じゃね」
もう時介の雑な弄りは無視することにしていた。
詩子はもちろんだが、知り合いが三人もいるこの体育祭最初にして最後の見どころをさすがの俺でも見逃すわけにはいかなかった。
ここを見なければ、ずる休みしたのと同義。
白組だけれど、アンカーに限っては赤組の詩子を応援しよう。第三走者の水月までは白組を応援するからまあ多少私情を挟んでも誰も文句を言うまい。
なんて考えていると、スタートの合図がグラウンドに鳴り響いた。
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