第四十七幕 ヤンキーのランナー
さて、すっかり学園祭に気を取られているけれども、それより先に訪れる厄介イベントが体育祭である。
全校生徒が赤、青、黄、白の四色の組に分かれて争うイベントは俺にとって学園祭よりも修学旅行よりも、定期テストよりもうんざりなイベントだ。
「自由参加なら良かったのに……」
と、愚痴を吐く俺に同意しつつもなだめてくる詩子は今日も俺の右隣を歩いている。
「せめてもの救いで、出る競技選べるじゃん」
「なるべく楽なものに出るために必死だよ」
少なからず体育祭を快く思わない連中はいるわけで、そんなやつらと楽な競技は取り合いになる。
「新太郎、何に出るの?」
「100メートル走。あとは全体参加のやつだけだな。詩子は?」
ちょっと我慢して走るだけの簡単なお仕事だ。それさえも億劫なのだけれど。
「女子リレー」
「はえ?」
意外な回答に変な声が出た。
「やめろよ。私だってほんとは楽な競技にしようと思ってたんだけど……」
詩子はことの顛末を困った表情で話してくれた。
出場競技を決めるホームルーム中、女子リレーの選手選考に入った途端、ひとりの女子生徒がこう言ったそうだ。
「詩子は足が速いからリレーに出て欲しい!」
そう。犯人は高島キャリーである。
怠そうにホームルームを受けていた詩子に突然白羽の矢が立ったそうだ。
「まあ確かに昔から女子にしては速い方だったけれどさ……。キャリーのやつほんと……」
かくいう高島もリレーの選手に立候補したそうだ。
予定通り体育祭をやり過ごすことができなくなって、実に残念そうな詩子であったが、俺は少し安心していた。
キャリーがほかのクラスメイトもいる中で詩子のことを「詩子」と呼び、そうしてみんなと同じ輪の中に入れてくれているということが、自分のことのように嬉しかった。
面倒臭そうに後頭部を掻きながら話す彼女に対して俺は冷やかし半分、本心半分でこう言った。
「楽しめそうで良かったじゃん」
肩を小突かれた。
「うるせ」
家に帰ってから思い出したのだけれど、そういえば水月も女子リレーに参加することになっていた。
ホームルーム中、文化部のくせに本当アクティブなやつだなと、感心しながら彼女の横顔を見ていた。
俺と水月と、あとついでに時介は白組。詩子ときゃりーは赤組。時介は借り物競走に出場する。
サッカー部なのに男子リレーじゃないのか? と思ったけれど、うちの組の男子リレーメンバーは陸上部員で固めるというガチっぷりだった。
ほかの運動部の足が速い連中は、確実に勝利をもぎ取るために「ガチ勢」の少ない競技にも満遍なく配属された。その結果、時介の借り物競走というわけである。
「兄ちゃん、当日見に行ってもいい?」
穣は洗い物をしながら、ソファに腰掛ける俺に対してそう問いかける。
「来なくていい。勉強してろ」
「ちぇっ……」
両親も来るならまだしも、妹だけが観戦に来るなんて他の連中から弄られることくらい目に見えて分かる。
とんだシスコン野郎じゃあないか。いや、この場合向こうから来ようとしているから、ブラコンか? それはそれで一部界隈からの羨望の眼差しが痛そうだけれど。
「とにかく、絶対来なくていいからな」
俺は念を押した。
高校生活で最も忙しい時期の到来だ。
無論、俺はさほど忙しくないのだけれど、校舎を歩けば必ずどこかで学園祭や体育祭の準備が進んでいて、さらに俺たちは修学旅行に向けての班分けもせねばならなかった。
ただ、俺が時介や水月とセットで動くように、いくら色々な班分けをしたとしても、大体どのグループも「いつメン」に納まっているのだ。
新鮮味に欠けると言ってしまえばそれまでだが、これはこれで孤立する生徒もおらず、無難でかつスムーズに事が運ぶ。
それは詩子のクラスも同様なようで、詩子とキャリーは常にセットなため、必然的に複数人グループを求められた際に詩子はキャリーと仲のいいグループに組み込まれることになっていた。
その都度俺は詩子から「またあいつらに……」なんて愚痴を聞かされ、しかしどこか嬉しそうなその横顔がとても、その、愛おしく思うのであった。
「詩子、来週土曜に映画見に行かない?」
「あー、ごめん。その日キャリーに誘われてて、クラスの連中と出かけるんだ」
「そっか。良かったじゃん。どこ行くの?」
「なんかおいしいホットサンドを出す店があるとかで、その場のノリで一緒に行くことに……」
このまんざらでもなさそうな表情。
あの夏の寂しげな表情からは想像もつかないくらい。
しばらく見惚れていたせいで無言になってしまっていた俺に、どうやら勘違いした詩子が目を合わせ、半笑いでこう言ってきた。
「意外と嫉妬するタイプ?」
「え、いや、してないよ?」
「妙に黙っちゃったから、そうかなと思った」
「いや、なんか、俺も嬉しくなっちゃってさ」
「なんで」
「詩子もちゃんと高校生してるなって」
素直な感想だった。
「新太郎のおかげだよ」
素直な感想で返されてしまった。自分の顔が赤くなるのが分かる。
そんな俺の顔を見て詩子も自分がうっかり素直に恥ずかしいことを言ってしまったと自覚したのか、顔を真っ赤にして目を逸らす。
「私ら電車の中で何の話をしてるんだ」
そう、俺たちは電車の中で横長の席に座りながら、こんな恥ずかしいやり取りをしていたのだ。
向かいの席に座る見知らぬおばちゃんが、「あらやだお若いわねえ」と言わんばかりの笑みを浮かべていることに気付いた。
「いったんこの話題は忘れよう。そうだ、リレーと言えばこの前レンタルしたあのスポーツの映画なんだが……」
強引に話題の舵をきる俺を見て、詩子は声を出して笑った。
そんな、隣に詩子がいるという光景。あの日初めて映画館で見たときは、その空間同様非日常なイベント、いや、ハプニングだったけれど、すっかり日常になっている九月の下旬だった。
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