第四十一幕 座席ルール、ここに誕生す

 街の映画館、と呼ばれるものは俺たちの世代からすると憧れの存在で、現代、少なくとも俺が住んでいる辺りから高校生が気軽に行ける距離のところにはもう存在しない。


 映画や小説では見ることはあれど、シネコンよりも比べ物にならないくらい小さな規模のそれは、シネコンよりもはるかに高級な非現実空間をきっと味わわせてくれていたのだろう。

 あいにく俺はまだその体験をしたことがない。


 ただ、数少ないけれども大手シネコンと違った非現実空間を味わわせてくれるものがまだこの世にはある。

 ミニシアターと呼ばれるものだ。


 ミニシアターの定義は色々あるらしいけれど、シネコンと比べて規模の小さい映画館をイメージすることが多いが実際はその運営形態で区別しているものらしい。いわゆる単館系とか言うやつも含むそれだ。


 全国各地にぱらぱらと存在するそれらは、毎年少なくともひとつは閉館しているという。実に悲しい話だ。


 ここでは大手シネコンではめったに上映されない作品や、社会性メッセージの強い作品、芸術性の高い作品、海外の「そんな国の映画見たことない!」なんて地域の作品などなど、普通に生活しているだけでは出会えない作品がたくさんあるのだ。


 分かりやすく言えばマイナーな作品が集まる故に、コアな映画ファンが多く集まるところだ。


 稀にミニシアターのみの上映のはずが、バズって大手シネコンでも上映するようになる作品がある。そういう作品にいち早く出会えるのもまた魅力のひとつだ。




 さて、俺と詩子は電車を二度も乗り換え、それでも地元から最も近いところに位置するミニシアターに辿り着いた。

 一見どこから入るか分からない入り口を通ると、シネコンのホワイエの半分にも満たない狭いロビーと、不規則に置かれた椅子やソファ、見たことない作品が並ぶチラシタワーとポスター。

 いつ来ても雰囲気がたまらない。


「いつ来ても雰囲気がたまらないよな」


 どうやら詩子も同じことを思っているらしい。


 平日の夕方とあって、客は年配の方が数名と若い女性が一名。

 これで経営が成り立つのかと心配になるほどである。


 すっかり券売機やネットでチケットを買うことが多くなったけれども、こういう窓口でチケットを買うというのもまたたまらない。


「高校生二名で」


 とスタッフに告げた俺は、どこの座席がいいか詩子に尋ねるため視線を送った。


「シネコンだと後ろの方がいいけど、ここは真ん中なんだよなあ」


「わかる」


 細かく相談するまでもなかった。

 スクリーン内も狭く、あまり後方、スクリーンへの入り口の近くは不意に扉が開いた時、少し気が逸れてしまうのだ。

 静かなスクリーン側から覗く外のロビーというのもまた趣があるのだが、上映中はさすがに、というのが俺たちの共通意見だった。


 随分気が合うなあ。


「新太郎、ここ来るのいつぶり?」


 チケットを買い終わった俺たちは、ロビーのソファに横並びで腰掛けた。


「結構久々かも。ゴールデンウィーク前が最後かな」


「それでも半年も経ってないんだ」


「普通の人たちからしたら全然久々じゃないよな」


 クラスメイトの何人がここにミニシアターがあるということを知っているだろうか。


 しばらく、ぼーっとロビーを眺めていた。

 ふとした瞬間に隣に座っている詩子が視界の隅っこに入ってきて、ハッとする。

 途端に緊張してきた。


 思い返せば昨日、あんなに突然好意だけ告げて、そして今朝、改めて告白と、その前に胸ぐらを掴まれてそのまま……。

 怒涛の一日だ。



 スタッフが口頭で入場開始を告げる。マイクアナウンスでもなければ機械の音声でもない。アナログ。


 俺たちはほぼ同時に立ち上がり、スクリーンの中に入った。


 この空気、低めの天井、スクリーンまでの距離の近さ、どこかひと昔前を想起させる座席、どことなく感じる湿気。

 ミニシアターのスクリーンは、そのミニシアターごとに特徴がある。ひとつとして同じ空気を持つスクリーンなどないのだ。

 ここでしか味わえない良さがある。


「ここのスクリーンは中でも一番好きだな」


 ボソッと呟いた俺に反応して詩子が答える。


「私も」


 場内真ん中の座席に座る。左隣に詩子が座った。


 しばらく無言でお互い座っていたけれど、俺は妙な違和感を覚えていたが、その正体を掴めずにいた。

 赤いピアスの違和感はもう判明したし、じゃあ何だろう。

 どうやら詩子も同じだったみたいだ。


「新太郎。なんかしっくりこなくない?」


「詩子もか。何だろう、何かこう、違う気がする」


 無言で考える二人。

 ミニシアターに二人で来るのは初めてだからか? 否、そういうわけではない。

 全身の神経を集中させてみた。



 ふと、左隣の詩子の顔を見つめたとき、俺はその正体に気付いた。


「わかった」


 詩子はキョトンとしている。


「俺が右側に座ってるからだ」


「ああっ!」


 漫画みたいに両手をパチンと叩いて詩子は立ち上がった。


 そうだ。初めて映画を見たときも、二人で行動するときはいつも、俺が左側、詩子が右側に座っていた。

 スクリーンで号泣する詩子の顔を見るのはいつも左側だった。


 俺たちはそそくさと入れ替わり、左側に俺、右側に詩子の配置に直った。


 詩子の顔を見るととても満足げな表情で笑っていた。


「こうだこうだ。こうじゃないとしっくりこないんだ!」


「いつもこの並びだったもんな」


 こうして俺と詩子の間での座席ルールがここに誕生した。


 なんて話しているうちに上映開始だ。



 作品はポルトガル映画。普段あまりお目にかからない国のそれは、いわゆる幻想文学のような、日常と非日常の境目がぼんやりとした不思議な映画であった。

 その中で我々に問いかけるメッセージ性はとても芯を食ったもので、雰囲気を楽しみにながらも心にくるものがある。


 そして相変わらず俺の右隣で泣いている詩子であった。

 

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