第三十八幕 たかが夏休みの終わり

 そこから電車に乗るまでの間、またしばらくお互い会話を切り出そうとはしなかった。

 少なくとも俺は何をどう切り出せばいいか分からなかったから、切り出せなかったという方が正しい。


 この始業式の日の朝、俺史上類を見ないイベントが起きた直後に、じゃあいつもの日常に戻ってくださいと言われても、そんな無茶なというわけだ。

 どんなに後味の悪い映画を見た後でも、どんなに心に響く映画を見た後でも、ここまで切り替えができないなんてことは無かった。


 詩子と二人でこれまで過ごした短い中で、よく会話が途切れるなんていうことはあった。特に昨日の俺の部屋での件が、その最たる例だ。

 しかし、今のそれは、これまでと違う点がある。

 お互い会話のタイミングを伺ってチラッと目が合うと、時に俺から、時に詩子から、クスリと笑ってお互いを冷やかす様な笑いが起こる。

 朝の通勤時間真っ盛りの駅のホームで無言と笑いを繰り返す俺たちはどう周りに写ってるのだろう。


 さて、我らが志都美丘高校の最寄り駅へ近付くにつれ、車内にその制服を着た生徒がどんどんと増えてくる。

 そしてその駅で下車する人の八割以上が彼らであった。

 中にはどこかで顔を見たことある生徒の姿も確認できて、そこでふと思ったことがある。


「なあ、俺たち、周りになんて言おうか?」


 一度、中間試験後の補講で「もしかして?」という噂がたったこともある我々。その噂は結局、時介と水月も絡んだおかげで流れたけれども、改めてこう二人で一緒にいるところを見られると、流石に再燃するのではないかと思った。

 思春期の青少年はとにかくその手の話に敏感、そして過剰なのだ。


「別に隠すもんでもないし、でも話すもんでもないからな」


 興味なさそうに詩子が答える。


「聞かれたら答える程度か」


「それでいいんじゃね?」


 直接聞いてくるとしたら時介くらいだろう。

 次点で水月か。

 なんとなく高島は聞いてこない気がするなあ。なんて思っていると、段々と近付く校門の脇に高島の姿を捉えた。

 二学期早々、朝の挨拶活動。生徒会長お勤めご苦労様だ。


 俺が高島の姿をとらえて程なく、高島も俺たちの存在を見つけたのか、その視線をこちらに向けて留めた。


 「おはよう」と声をかけようとしたが、俺は先を越された。

 ちなみに高島から挨拶をしてきたわけでもない。

 なら誰に先を越されたかって?


「おはよう。キャリー」


「えっ」


 二重の大きな目がさらにまんまると大きく開く。

 鳩が豆鉄砲を喰らった様なそれ。豆鉄砲の正体は誰よりも先に挨拶をした詩子のセリフだった。


「んだよ、挨拶したのに無視かよ」


「え、あ、おはよう……」


「生徒会長が二学期早々しけてるねえ」


 詩子から高島キャリーへ気軽に挨拶をする、という、高島からすれば突然何が起こったのだと混乱しているとこだろう。さっきから瞬きの回数が少ない。


「高島、おはよう」


 俺も高島に挨拶をする。そこで辛うじて我を取り戻した高島は、詩子に問いかける。


「何があったの……英さん……」


「……詩子でいいよ。昔みたいに」


「え? え?」


 ここは一歩下がって見ておこう。


「だから、別にそんな赤の他人って関係でもねえんだし、さ」


 恥ずかしさを誤魔化すように髪をかきあげながら答える詩子。

 俺の知らない詩子と高島だけの小学生の頃の思い出が二人の間で一気に呼び戻されているような、そんな間があった。


「この夏休みに何があったの……」


「別に、たかが夏休み程度何も無いよ」


 嘘である。照れ隠しである。

 そのたかが夏休みに色々あったのだけどな。

 固まっていた表情がだんだんと和らぎ、そして笑顔になっていった。


「もう! 急にどうしたのよ詩子!」


「うるせえ! 急にでかい声だすなよ、キャリー」


「うわああ、なんか懐かしすぎて耳が痒くなるよ、その響き!」


「なんだよ、アレルギーか? じゃあやめとくか……」


「ええっ」


「嘘だよ、ばーか」


「うわあ……詩子だ……」


 懐かしいと言わんばかりの表情で詩子の全身を舐め回すように見る高島。


「じろじろ見ないでよ、気持ち悪い」


「えへへへへへ」


 「昔馴染みの友達」の二人がそこにいた。

 他の誰にも邪魔できない空間がこの校門の脇に出来上がっている。


「ところでキャリー。来週末、空いてる?」


「日曜はママと用事があるんだけど、土曜日なら」


「じゃあさ、あれ行こうよ。約束してた」


「……え! 映画⁉︎」


「キャリーの好きそうな新作のサメ映画が公開されてさ……。ミニシアター行こうって話してたし」


「行く! 絶対行く!」


 詩子が他の誰かにここまで前向きに話しているところを俺は初めて見た。


 ふと今朝の占いを思い出す。



『自分も、その近しい人もひと回り成長できる日!』


 近しい人は穣じゃなくて詩子だったか。なんて思いながら、週末の話を弾ませる二人を後方から眺める。

 詩子の髪の隙間から覗く赤いピアスが目に入る。


『ラッキーカラーは赤!』


 なるほど。たまには占いも悪くはないかもしれないな。


 しばらく週末の予定について話した後、詩子は俺の方へ向き戻り、こう言った。


「悪い、放ったらかしてた」


「いやいや、別に構わないよ」


「そっか。あ、そうだ、新太郎。そのサメ映画先に見てもネタバレは絶対しないでよね」


「分かってるよ、詩子」


 そうやりとりを交わして俺と詩子は校舎へと向かった。


「詩子……? 新太郎……?」


 校門脇に取り残された高島の呟きが微かに聞こえて、俺と詩子は目を合わせてニヤッとする。

 最初に知られるのが高島で、しかも直接言うのではなく、こんな回りくどい気付かせ方をするなんて、我々ながら性格が悪いよ。


「ちょっと! 詩子! どういうこと! 待ってよ、市川くんも!」


 振り返ると挨拶活動そっちのけでダッシュで高島が追いかけてきていた。


「知ーらない!」


 逃げるように駆け出す詩子。


「ちょ、待てって!」


 慌てて俺も追いかける。


「詳しく聞かせなさいよ!」


 どの挨拶よりも元気で大きな声を出して高島は追いかけてきていた。


 始業式。

 詩子にとって、これまでの英詩子ではない英詩子が始まろうとしていた。

 それは同時に俺にとっても、これまでの市川新太郎ではない市川新太郎が始まろうとしていたのだった。

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