第三十七幕 自動販売機の横で愛を叫ぶ
ところで、もちろん、初めてだったということは言うまでもないだろう。
映画で、スクリーンで、でかでかと他人のそれを見たことは幾度のなくあったけれど、こう実際に自分の身にそれが起こると、本当に全身の神経がこの口先に集中して、この世界でここだけ、そう自動販売機の横にいる俺と英だけ、時間から取り残されているような。そんな感覚。
だから、パッと胸ぐらを解放された瞬間、自分がどうやって体を支えていたか忘れてしまっていて、かなりよろけてしまった。
一方の英も、顔を俯かせながらまた一歩下がり、駐輪場フェンスにもたれかかった。
その衝撃でカシャンとフェンスが音を立てて、ようやく俺たちの時間が流れだしたような気がした。
ハッとして周りを見渡す。
誰もいない。幸い駐輪場にもだれもおらず、ただただ大量の自転車が並び、その奥の守衛室の窓はカーテンが閉められていた。
誰にも見られていなかったことに胸をなでおろしつつ、同時に、恥ずかしさが押し寄せてきた。
思えばこの夏から、恥ずかしい思いをしてばっかりじゃあないか。
「……あの」
何かを喋らなくちゃ。そう思ったけれど、具体的な台詞は浮かばない。
「……きは」
俯きながらボソッと何かを呟く英。
しかし俺の反応が鈍いことに気付いて、彼女はもう一度繰り返し言った。
「続きは」
何の、と言いそうになって途端に頭の中の思春期が加速した。
朝からあまりにも急な展開で、どんな映画の脚本でもあり得ないような……という俺の想像はただの妄想に過ぎなかった。
「昨日の、台詞の、続き」
昨日の台詞。
そうだ。何度も何度も反省した、あの勝手に好きという事を宣言するだけしたあの台詞だ。
あれ以降昨日は何もほとんど喋らなかった英は、そうだきっと、続きを待ってくれていたんだ。
それなのに俺は、勝手に告げて、勝手に反省して、勝手に黙って、勝手に夢であれとまで願った。
男としてどうなのだろう。
今の時代、男女平等ボーダーレスといえど、やはり俺としてはちゃんと言うべきだったのだろう。
見かねた英が、今日、こうして自分から行動を起こしたに違いない。
それにしても、もっと丁寧なやり方があっただろう、なんてツッコミはまた今度、昨日今日のこの話を笑って話せるようになってからしよう。
「続き……だな」
口が動くまま、言葉を繋いでみようと思った。
結果は凄くシンプルだった。
「英が好きだ。これからも今まで通り、いや、もっと一緒に映画を見たい。いろんな映画館に一緒に行きたい。海外の映画館だって行ってみたい。いや、ごめん、映画だけじゃない。海だって、山だって、えーっと、そんな遠いところじゃなくても、カラオケとかゲームセンターとか、おいしい食べ物屋も、色々行きたい。いや、待て。別にどこに行かなくてもいい。家でだらっとしてるだけでもいい」
小さく頷く英。
「つまり、えーっと、英のことが好きで、だから、なんかこんなことされた直後に言うと後出しみたいで情けないけど、言う。付き合ってほしい」
決して交わることのない相手だと思っていた。
交わってたまるものかとさえ思った。だから、あの日、ぼっち映画中の俺の隣でヤンキー少女が号泣している現場から逃走を図った。
実際は。
実際の英詩子がヤンキーかそうじゃないかはそこまで問題ではなかった。
服はルーズすぎるくらいに着こなしているし、髪色も派手だ。育ちはいいクセに成績は悪い。おまけに俺の思い付きで言ったピアスもすぐに開けて、今日、真っ赤なピアスをつけている。見た目は間違いなく近寄りがたいそれだろう。
けれど、俺は英詩子が好きだ。付き合いたいと思った。
家庭の事情が色々あるのもわかった。本人がどうしてこうなったかもわかった。
せめて、俺といる時は楽しく、映画の登場人物のように輝いてもらいたい。そう思った。
昨日は確かに勢いで言ってしまったけれど、嘘などない。
まっすぐ英を見つめていると、俯いていたその顔がゆっくりとこちらへ向く。
「……えっ」
告白の返事待ちの俺の目の前でヤンキー少女が号泣していた。
「え、ちょ、なんで……」
変な汗が再び湧き出る。
すると、焦る俺の腹に向かって英の渾身の右ストレートが飛んできた。
「うっ」
油断していた俺はそれをモロに受けてしまい、その場に蹲った。穣の作った朝ごはんが胃の中で踊った。
「映画だったら普通、昨日にそれ言うとこでしょ! バーカ!」
「ご……ごもっともです……」
「私もどれだけ考えたと思ってる?」
「す、す、すごく考えたんだと思います……」
「すごくどころじゃないっての。もう」
その後小さく「初めてだから」と呟いた気がしたが、敢えて掘り下げないようにした。
ゆっくりと立ち上がる俺の顔を目で追って英はさらに続けた。
「あの日みたいな顔してるな」
「え……」
「映画館のホワイエで見た顔と同じ。ヤンキーに怒られないかどうかビビってる顔してる」
「うそ、まじで」
自分で自分の顔をべたべた触った。
からかうように笑う英。
「あ、そうだ。今度は私の方が続き答えてないよな」
答えは幸いにも聞くまでもなかった。
「こちらこそ、よろしくな!」
ニカッという効果音が聞こえてきそうなくらい満面の笑みだった。
二学期の始業式を前にして、俺たちはこうしてこれまでの「決して関わることのない同級生」を越えて「映画好きの友達」も越えて、自分で言葉にして言うのは気恥ずかしいけれども、そう、付き合うことになった。
朝から緊張した、と背伸びをしながら駅構内へ歩みを進めた彼女の背中をしばらく眺めて、小走りで後を追う。
追いつき際にもうひとつだけ伝えようと思った台詞を呟いた。
「そのピアス、似合ってるぞ」
すると彼女は右耳に手を当てながら、こう答えた。
「ありがとう、新太郎!」
胸が跳ね上がるような気がした。
呼ばれ慣れているはずの自分の名前が、ちょっとだけ特別になった気がした。
「じゃ、さっさと学校行こうか。詩子」
詩子も同じ気持ちだったら嬉しいのだけれど。
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