第三十四幕 英にピアス
宿題は一向に進む気配がなかった。
俺は英のどこがヤンキーらしくないか、という問いについてしばらく天井を見つめて考えた結果、こう答える。
「ほとんど、全部かな」
肩を落とす英。
それもそうだ。全く具体性を欠いた答えだもの。
地球はどうして丸いのという問いに、丸いからだと答えているようなものだ。
しかし、この質問を俺に投げかけること自体が的外れだとは思わんかね。
何せ、もはや「学校一のヤンキー」と「違うクラスの地味なやつ」という関係性ではないし、一緒に映画を見て、隣で号泣してて、そして夏を越えて、少なくとも俺は英のことを……という状況である。
「というか、そもそも英はヤンキーでありたいのか?」
「え?」
「いや、もっとこう普通に女子高生したいとかいうものかと」
「普通に女子高生したいぞ? ただ、親の拘束からも逃れたい。その両方を成し遂げる方法としてグレるを選んだんだ」
「なるほど、わからん」
「ヤンキーって、陽キャじゃん?」
これは英のどこがヤンキーらしいからしくないか、という以前に、彼女の想像するヤンキーが余りにも愚直というか、すごく映画的な感じがした。
「……まあ、ハナブサグループの娘じゃない自分イコール、ヤンキーっていう方程式をたてたわけか?」
「そう。だから、少なくとも自立するまではヤンキーキャラでいきたい。今までの私と違って生まれ変わりたい」
キャラって言っちゃったよ遂に。
「ヤンキーとして足りないものってなにか教えてくれ、市川」
「それをヤンキーではない俺に聞くのもどうかと」
もう一度考える。
「でも、まあひとりで映画見て、ヒンヒン泣いている様子じゃあ、らしくはないよね」
「だよなあ……」
「でも、そこは直さなくてもいいと思うぞ」
むしろ、そこはヤンキーらしいとか普通の女子高生らしいとか以前に、『英詩子らしい』のだ。俺が英とまた一緒に映画を見に行きたいと思った理由のひとつは、聞こえは悪いがその姿を見たいからだ。
ここで身を乗り出していた英はもう一度腰を落ち着けて、何やら考える表情を見せた。
「ところで高島とは映画に行ったのか?」
「……まだ」
「じゃあまず、高島と映画を見に行くことが生まれ変わる第一歩だぞ」
「ヤンキーと生徒会長だぞ? 高島の名にも傷がつくんじゃないかって」
「そんなこと向こうが気にしてたら、一緒に映画に行くなんて話になってないぞ。そもそも」
「……たしかに」
外見に似つかわしくないくらい対人関係に慎重なのがこれまた『英詩子らしい』。
そんな性格の英が、俺にここまで気を許してくれている事実。
宿題を写すという目的があれど、家に来てくれている事実。
そしてこの夏。
いろいろと考えてしまうことはある。俺だってそれなにの年頃の男子だ。
さて、英から目を逸らし俺は手元のスマホで「ヤンキー なり方」なんて検索してみる。
なんて愚かな検索だと思いながらも、ヒットした「どうすればヤンキーになれますか」とか「ヤンキーの特徴15選」とかいうページを半笑いでスクロールしていく。
単純に生まれ変わりたい結果たどり着いたヤンキーという道。まあ、おおむね俺の想像通りな志望動機ではあった。
俺は映画や小説で描かれるヤンキー像から、まず英の見た目にないものから提案してみた。
「うーん、例えばピアスとか?」
我が高校は特段ピアスについて禁止する校則があるわけではない。ヤンキーでない生徒でもチラホラ開けてる奴はいる。
「あれって痛そうじゃん」
実にヤンキーらしくない回答が返ってくる。
「というかそもそも、固定されたヤンキー像に合わせる必要なくね?」
と返す俺に、目を点にしながら答える英。
「そうか?」
「だって今でも十分学校ではヤンキーだの不良だの揶揄されてるじゃん。俺がそうは思わないだけで」
「たしかに……」
ようやく俺たちは、手元の広げた宿題たちに目を落とした。
「英がヤンキーだろうが、なんだろうが、俺も高島も、周りもその接し方は変わらないぞ」
「……」
沈黙。
話題が終わったかと思って俺はシャープペンシルを手に持ち、宿題に意識を向けようとした。
「ところで、さ」
しかし、どうもそうはいかなかった。
空気が変わったな。そんな気がした。
あの時のコインパーキングと似たような。
「私を、どんな世界に連れてってくれるの?」
思わず噴き出した。
コインパーキングで放った、顔から火が出そうな自分のセリフを思い出してしまう。
——こっちの世界においで。
どこぞの少女漫画か、もしくは十代女子をメインターゲットに据えたラブコメ映画か。そんな発言。本当に俺が言ったのか? もう一人の俺が悪戯を働いたんじゃないか? なんて現実から目を背けようとする。
英の少しにやけた表情は、その蛇のような挑発的な目からして間違いなく俺をからかう表情だった。
焼きそばパン買って来いよと言わんばかりの、数少ないヤンキーっぽい所作。
やはり逃げ道はない。
最初に映画館のホワイエで腕を掴まれた時の英の顔がフラッシュバックする。
あの時と同じ顔の角度だった。
「……二学期になったらまた映画見に行こう」
「それだけ?」
食い気味でかかってくる英。
気のせいか、また英が俺に近づいてきている気がする。
これ以上ないくらいに、頭を働かせていた。
「英」
俺の貧弱な脳内コンピュータと、語彙力と、表現力と、理性と、本能と、そのほかいろいろ全部が折り重なって出た答えは。
「好きだ」
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