第三十三幕 わが部屋は映画館なりき

 昔の人はこの落ち着きのない様子のどこを見て「そわそわ」なんて言葉を当てはめたのだろう。なんて余計なことをそわそわしながら考えていた。

 目につくゴミは捨て、掃除機で部屋を軽くひと回り。

 冷房もやや温度を低めに設定して、英が来るころにはいい感じの涼しさにしておこう。

 机に投げっぱなしだった本のいくらかを棚に戻した。


 指差し確認、問題なし。


 あとはインターホンが鳴るのを待つのみ。とひと息つこうとしたその瞬間、それが鳴った。

 なんてタイミングの良さだ。


「……いらっしゃい」


「……お邪魔します」


 こんなにも玄関を開けるという行為がぎこちなくなることがあるだろうか。

 招き入れた英は、水色の開襟シャツ姿だった。これまた少しオーバーサイズで、どうも英はゆったりとした着こなしを好むらしい。

 自室に招き入れるタイミングでふと彼女の後頭部を見てハッとする。どうも雰囲気がいつもと違うと思ったら、髪型がいつもの肩くらいまで伸ばしている状態でなく、短く結んでポニーテールを作っていた。

 なんとなく、夏っぽいな、涼しそうだな、なんて思いながら、しばらく視線を惹かれていた。


「お茶でいい?」


「あ、うん。ありがとう」


 英を部屋に残して俺は一度台所へ避難した。どうもそわそわがおさまらない。

 冷蔵庫からお茶を取り出して2つのグラスに注ぐ。


 落ち着け、俺。


 そう、相手は英詩子。学校一のヤンキー。そしてちょっと映画が好きな同級生。決して気になる女の子ではない。オーバー?


 と心の中の誰かと交信して、グラスをお盆に乗せ、部屋まで戻る。


 自分の部屋の扉を開けているのに、中で英が座っているというだけで、まったくの異世界に来てしまったかのような気になった。

 落ち着け。ここはどこよりも馴染みのある、紛れもない俺の部屋だ。


 英はぐるりと部屋を見回していた。


「なんか、こう、予想通りというか。市川らしい部屋だな」


「そう?」


 俺の部屋は、俺から見れば当然、なんの変哲もない日常で、自分の口からこれがこうなって、なんて細かく説明するまでもないと思っていたのだけれど、こう新鮮な他人の反応を見ると色々と省みたくなる。


 まず、部屋の棚には映画のDVDだけじゃなく、大量の小説や漫画たちがいる。


「結構読書家なんだな」


「ほとんど映画の原作とか、モチーフになった作品とかだけだな」


 小説にしろ漫画にしろ、見た映画の原作は必ず目を通したい質の人間である。

 よくある「原作の方が〜」というレビューをこの目で確かめなくてはならないからだ。

 しかしそれは優劣を比較するためのものではない。その演出の違いや、表現の違い。文字ならではの、絵ならではの、映像ならではの表現が必ずどんな作品にも存在する。それをひとつでも見つけることが俺の目的のひとつだ。


 なんて早口で喋っていると、英も深く頷いて同意してくれる。


「あとこの額縁って百均?」


「そうだよ」


 次に英が興味を示したのは部屋の壁に点在する額縁、の中に飾られている映画のチラシだ。


「市川はチラシを飾るタイプだったか」


「ああ。綺麗なチラシとか、好きな作品のチラシはこうやって飾ってると目の保養になるし、ワクワクするんだよな」


「私はクリアファイルにチラシ貯めてる。新聞の切り抜き集めるみたいに、コレクションするのが楽しくてさ」


「なんでチラシってこんなにワクワクするんだろうな。ポストに放り込まれてるよく分からん廃品回収のチラシとかはすぐ捨てたくなるのに。同じチラシって名前なのが可哀想になるわ」


 チラシを集め出したのは高校生になってから。

 やはりコレクションするというこの子供心くすぐる行為には逆らえないものだ。


「チラシとか、DVDとかポスターも飾ってるし、部屋がそのまんま映画館の一部みたいだな。心なしか何かの予告編の音楽とか、映画のサントラとかまで聞こえてきそう。こういうレイアウト憧れるわ」


「気に入ってもらえたならよかった。でも英の部屋も前一回行った時に思ったけど、同じような感じだったじゃん」


「市川の方がすごいよ。これ一人暮らしとか始めたらもっとすごいことになるんだろうな」


「どうだか」


 なんて部屋のレビューをひと通り終えた英は話題を切り替えた。


「……ところで、ご家族の方は?」


「あぁ……。親は仕事で妹は夜に帰ってくる予定で……」


「そうなんだ……。あのさ、これ」


 と、英が、持っていた大きいトートバックの中から、平たい箱型の物体を取り出した。


「なにこれ?」


「いや、お邪魔するから、一応何か持って行った方がいいかな、と……」


 中を開ける。


「お菓子じゃん! 別にいいのに!」


 こういうところがヤンキーらしくないというか、育ちがいいというか、ちゃんとしているなあ、と切に思う。


「ありがたく受け取るよ。気遣わせてなんかごめん」


「いや、べつに、そんなつもりでも……」


「どうせなら今一緒に食おうぜ?」


「え、でも……」


「どうせ親は仕事終わりに飲んだくれて帰ってくるから食べないだろうし、妹用にちょっとだけ残しておけば大丈夫だよ」


「……まあ、市川がそういうなら」


 と、もらったばかりのお菓子の箱からバラバラっといくつか小袋を出してローテーブルに広げた。中身はクッキーだった。

 普段使っていないローテーブルが、まさかの自宅での宿題会用に役立つとは。


「で、宿題、どれだけ終わってないんだ?」


 早速クッキーを頬張りながら、俺はローテーブルを挟んで英と向かい合う形になって、床へ腰を下ろして尋ねる。

 すると英は先ほどと同じトートバックの中から大量のノートやプリントを取り出し、これまた同じローテーブルにドンっと置いた。


「目測だが、それは全部では?」


「ほぼ、全部です……」


「……俺まだ数学のやつ終わってないから、それやってる間こっちの古典のノート写しな」


「ありがとうございます市川様、助かります」


 申し訳なさからだろうか、他人の自宅に上がり込んだ緊張からかは分からないけれども、いつもより小さく丸まった英がそこにいた。


 うん。


 可愛い、と素直に思った。


 思わずその言葉が喉から漏れそうになったが、何とか食いしばって、代わりにこう言った。



「よく見たら英って、やっぱヤンキーらしくはないよな」


 少し頬を赤くした英がこちらを睨みつける。


「どこが?」


「いや、どこがっていうか……」


 そのままローテーブルから身を乗り出すようにして俺に迫って英がこう言った。


「どこがヤンキーらしくないか! 具体的に!」



 ……すごく顔が近いです。

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