第三十幕 ちょっと今だけ映画わすれてくる
若干気になるところはあったけれども、大浴場での時介恋愛相談所のお陰で英に対する悩み事その他いろいろは大方解決というか、一旦波がおさまったというか。
まあとにかく今日明日はこの海を楽しもうぜ、と自分の中で切り替える事に成功した。
浴場を出て薄い青の浴衣に着替えた俺と、緑の浴衣の時介は、ホテルの休憩スペースのようなところに置いてある漫画を読みながら女性陣の風呂上がりを待った。
やがて水月は薄い黄色の、穣は桃色の浴衣を身にまとい俺たちと合流した。
普段着ることのない浴衣にテンションの上がっている穣は、くるくるとその場で回転しながら俺に見せびらかしてくる。
「あー、もう普段の部屋着も浴衣にしちゃいたいくらい! さ、ごはんごはん〜」
普段家では見られないテンションの穣である。
「穣ちゃん、お風呂でもテンション上がって泳ごうとしてたからね……」
「おいおい、迷惑じゃねえか。何やってんだあいつ」
「私が止めてたから大丈夫。ま、浴衣は確かにテンション上がるよね」
読んでいた漫画を棚に戻していると、隣に水月がやってきて、両腕を横に広げ浴衣の袖をひらひらと泳がせてみせた。
「似合ってるじゃん」
「あ……ありがとう」
特に言葉がこれ以上帰ってきそうでもなかったので、「じゃ、ご飯行くか」とすぐに切り上げてしまった。
思い出せば俺は昼から何も食べてないのだ。
たこ焼きを食べるチャンスを英の発見により逃してしまって、戻ってきてからはただ純粋に海を楽しんで、そんな胃の事情を気にしてる暇なんてなかった。はらぺこだ。
◇◇◇
人生で味わったことのない海鮮に舌鼓を打ち、見たことないくらい膨らんだお腹をさすりながら部屋に戻って、その日は日付が変わる辺りの時間まで男子陣の部屋でトランプに興じた。
トランプもかなり白熱して、なかなかに目が冴えている状態で、こりゃしばらく寝れないな、なんて思いながら部屋の電気が消されたけれども、恐ろしいことに気付けば外から部屋に漏れ込む朝日で目覚めたのだった。
布団を蹴飛ばして、浴衣が着崩れた状態で眠っている時介を蹴飛ばして起こし、女子陣と合流して朝食。
これまた味わったことないくらい美味い食材たちが並んでいて、お味噌汁の優しい味が体全身に伝わるのを感じていた。
昨日の諸々は一旦すべて忘れて、俺はこの海を存分に楽しんでやる。
先にチェックアウトを済ましたけれども、荷物だけしばらく預かってくれるそうなので最小限の貴重品だけを持ち、海へ突撃した。
更衣室をでた俺たちは、心なしか昨日よりもさらに人が増えている気がする砂浜を並んで見つめる。
そして、俺はこの四人の誰よりも張り切ってみせることにした。
「海だああああああ」
そう叫んで海パン一丁、俺は駆け出した。
「やったあああああ」
後に続いたのは穣だけだった。流石、我が妹。
「あれって初日のテンションだろ」
「ま、新太郎からしたら実質初日みたいなものだし」
水月と時介はしばらくその場で俺たちを眺めていた。何かを二人で話しているようだったが、俺はそんな二人を無視して波打ち際までダッシュ。追いついてきた穣を抱え上げて、海へ放り込んでやった。
兄妹でこうじゃれ合うのも、物心がついてからはほとんど初めてじゃないだろうか。
しばらく穣を茶化して遊んでいたら誰かに後ろから押されて、俺は水中へ倒れ込んでしまった。
水中から顔を上げると、青空を背景に俺を見下ろす水月がいた。相変わらず目のやり場に困る体である。
ゆっくり起き上がった俺に、すると今度は時介が「朝の仕返しだ」と叫びながら飛び蹴りをかましてきた。蹴った時介本人もろとも水中に倒れ込む。
絵に描いたような夏の友人とのひと時だった。
もう少し早く、この楽しさに気付ければよかったな。
ひと通り四人で遊んだ後、そんなことを思いながら俺はひとりで海の家で注文した食べ物の提供を待っていた。
昨日の詫びも含めて、全員に俺が奢ることとなった。
ふと、遠くの防波堤の方に目をやる。
ここからではよくわからないけれども、昨日と違って、そこに人の影は無かった。
英はあの豪華なホテルの一室に引きこもってるのだろうか。
「はいよ、こっちがカレーで、こっちが焼き鳥丼、それとフランクフルトとたこ焼きね。持てるかい?」
海の家のスタッフの声でハッと我に帰る。サングラスを額にかけた金髪の陽気なお兄さんだった。
「大丈夫です。ありがとうございます」
四人分の食料、計四パックを二つずつ両手に乗せて砂浜のレジャーシート上で待つ三人の元へ向かった。
時介のカレーが一番持ちにくかった。
いかんいかん、俺は今日は四人で楽しむんだ。
英のことは忘れよう。まあ、帰りの電車の中で一回、連絡だけしてみようかな。
「お待たせ」
「わーい! 焼き鳥丼だー! 兄ちゃんのおごり!」
「夏の海にカレー、最高じゃねえか!」
「ありがとう、新太郎。って、新太郎はたこ焼き?」
「ああ、結局昨日食べ損ねたからな。俺のたこ焼き欲は抑えきれなかったよ」
ただただ楽しいだけの時間が流れて行った。
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