第二十九幕 浴場のセラピスト

 市川家には和室が存在しない故、このい草の匂いは新鮮でそして妙にテンションがあがる。

 あれから結局、海で柄にもなくはしゃぎまくった俺と、朝からずっとはしゃぎまくってる時介は荷物を放り投げるとすぐに畳の上で寝転び、右へ左へ転がった。


「時介、とりあえず温泉を済まして、19時半からご飯だったよな」


「そう! いやー、風呂も飯も楽しみだ……。この部屋のクオリティだろ、期待値上がるよな!」



 日が沈む前に海水浴場を後にした俺たちは、はやる気持ちにのまれながら急いで着替えてこの旅館へ来た。

 ロビーで水月がチェックインの手続きを済ませて、俺と時介、水月と穣の男女それぞれで隣同士の部屋に案内された。夜ご飯までは自由行動としたが、海での疲れを温泉で綺麗に癒したいという意見で俺と時介は早々に一致したのだった。

 個人的に本来、大浴場や温泉というものが苦手な俺ではあったが、あれだけはしゃいだのだ、足を存分に伸ばせる温泉に入る他ないだろう。


 畳で転がるのもそこそこに、放り投げた荷物から下着の着替えを用意して、備え付けの浴衣の色を吟味する事にした。


「浴衣も種類ありすぎだろ……。俺はこの薄い青のやつかな」


 すると、何枚か浴衣を広げながら呟く俺を後ろから見ていた時介が急に吹き出した。


「なに? 青色、変?」


「いや、変じゃないけどさ。なんか、新太郎らしくねえと思って」


 笑いながら答える時介。


「俺らしく? 浴衣は確かにほとんど着たことないけど」


「浴衣じゃねえよ。その、テンションが、だよ」


 確かに柄にもなく昂っている。


「俺もそっちの新太郎の方がいいと思うぜ?」


「なんだよ、口説くなよ」


「馬鹿かよ。俺も水月も心配だったんだぜ? せっかく幼馴染なのに、学校外でこうやって遊ぶことも少ないしさ。まあ、そういう付き合いの距離感もアリだとは俺は思うけどさ。もっとお前と仲良くなりたいって思ってるやつ、意外といるんだぜ?」


「誰?」


「……お前まじか」


 俺を哀れむような表情で見つめる時介。


「まあ、自分で気付けよ。でもさ、今日楽しかったろ?」


「一生分楽しんだ気がする」


「いやいや、前半お前海にいなかったじゃん。明日もあるし、まだまだ夏は終わらないぞ」


 時介は両手をパシンと叩いて音を鳴らす。


「さ、じゃあ俺はその緑の浴衣にしようかな!」





 温泉に浸かりながら、俺は英詩子の事を考えていた。


 時介の言う「まだまだ終わらない夏」に出来ればもう少し彼女との思い出が欲しいなと思ってしまっていた。

 とはいえ夏休みの期間ほとんど地元にいないという英に対してわざわざ「暇な日ある?」なんて気軽に連絡を取るのも野暮だろうが、しかし、あんな事を言った手前、何もアクションを起こさないというのもこれまた違う。


 頬をペシンと叩き、モヤモヤを打ち消そうとした。

 映画かよ。なんて心の中でセルフツッコミを入れる。


 主人公がヒロインに連絡をするかしないか悩む青春映画のワンシーンなんて腐るほど見てきた。

 映画の登場人物ほど豊かな悩みの表現はできないけれど、その思考は彼らの何倍も渦巻いているという自信があった。


「いやあいやあ、気持ちいいな新太郎!」


「おう、時介」


 少しスペースを開けた隣に時介が入ってきた。

 おっさんのごとく、濁点まみれの呻き声をあげながらその身を湯船につけていた。


「ところで新太郎。英詩子とはどうなの?」


 突然の質問に変な声が出る。


「お前の夏のお供は英かって聞いてんの」


「お供って……。いや、別に……」


「ははーん、お前、あのヤンキーに惚れてんな」


「は?」


「分かりやすいぞ新太郎。その顔に出てる露骨な動揺は童貞のそれだぞ、気を付けろ」


「モテ男のお前に言われると真実味がえぐいからやめてくれ……」


 しかしモテ男に相談するのは悪くないかもしれない。


「まあ、でも、仲良くはなりたい……かな」


「お、白状したね」


 今日あった事は決して話せないけれど、というか話す必要はないけれど、単純に「どうやって誘うか」くらいならこの時介、百戦錬磨であろうモテ男、頼りになるだろう。


「誘われたら嫌って思われそうだよな」


「おいおい新太郎、そんなところで躓いてるのかよ。あのな、そこで悩むのは論外だ。スタートラインにも立ってない。仮に嫌だったとしたら、他の何を試しても無理なんだし、最初くらいはちゃんと素直にいくべき。細かいテクニックなんて、いらないな」


「誘いにくいんだよな。その、色々忙しそうだし」


「そこは相手の予定に男が全力で合わせろ。てかお前どうせ暇だろ? そのくらい余裕じゃん」


「いや、一応映画見たり色々予定が……」


「はあ?!」


 突然大声をあげる時介。大浴場に大反響する。


「え、一人映画を予定のひとつに入れてんの?」


「まあ、うん」


「あのさ、一人映画は否定しないし、いい趣味だなって尊敬してるけどさ」


 頭を抱えながら答える時介。


「仮に女の子側が遊びに行こうって言ってきた時のごめんなさいの返事で一人映画を言われてみ?」


「うーん」


「ピンとこないのかよ。映画ってのは俺たちからすれば娯楽だ。ボーリングとか、カラオケとか、旅行とかのうちのひとつ。きっと女の子は『一緒にその映画見に行きたいのに』って思うはずだぜ?」


 ふと、水月の顔が浮かんだ。身に覚えがあった。


「でも女の子にも興味ないジャンルとかあるじゃん? それを合わせさせるのは」


「お前の場合、新太郎の方が何でもジャンル問わず見るじゃねえか。合わせるのはどっちか明白だろ」


「あ」


「あ、じゃねーよ」


「映画は一人で見るのが至高だと思ってたなあ」


「でも、お前英とは一緒に映画見に行ってるんだろ? じゃあもう英についてはそこで悩む必要ないだろ」


「それもそうだ。助かる。お前のおかげで冷静な判断ができそうだ」


「ったく、何で大浴場で恋に悩む幼馴染のセラピー行わなくちゃいけないんだよ」


 いかんせん初めてのこの感情。落ち着け俺。


 時介は呆れたようにため息をついて、大浴場の天井を見上げた。


「お前はもうあのヤンキーにしか目がいってないんだな」


「そんな俺がベタ惚れしてるみたいな……」


「ベタ惚れしてるかどうかは別にいいんだけど、なんかこう、色々頑張って欲しいなあみたいな」


「俺に?」


「お前も」


「も?」


 他に誰が?

 と追及しようとしたけれど、そろそろのぼせそうだったので、時介に「お先」と告げて足早に大浴場を出た。

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