第二十八幕 サマー・シネマ・パラダイス
身の置きどころがないとはまさにこのことを言うのだろう。
思い出すだけで自分の顔が紅潮するのがよくわかる。
結局しばらく俺の胸を借りて泣いていた英も、ふと自分たちの状態、そう、抱き合っているように見えるそれを意識してしまったのだろうか、突き放すように俺から離れて目線を露骨に下げながら「ありがとう」とだけ告げて、早足でそのコインパーキングから去ろうとした。
が、十メートルほどホテルの方向へ戻ったところで、ピタリと足を止めて俺のほうに舞い戻ってきた。目線を合わせることはなかったけれど、先程まで俺が水月たちといた海水浴場まで車を出すように頼むからここで待ってろ、と言い残して、今度は駆け足で去っていった。
ほどなくして、俺をこの場まで乗せてきたものと同じ黒い車がコインパーキング脇の道路に停車した。
窓がゆっくり開くと、これまた先ほどと同じ運転手さんが、優しく微笑みながら手招きをしてくれたので、一礼をし、後部座席へと乗り込んだ。
車内には英も、律華もいなかったのでずっと無言で景色を眺めていた。まあいたとしても、さっきの英とのやりとりが過ぎって会話どころじゃなかっただろう。
何となく話したくなさそうな俺の空気を察してか、単に興味がないのかは分からないが運転手さんからもほとんど口を開くことはなく、唯一、そのお召し物は返さなくて結構と律華さまが、とだけ俺に語りかけてきた。
「ありがとうございました」
黙っていると海水浴場のすぐ近くまで行きそうだったので、俺はあえてその少し手前のところで車から降ろしてもらった。
深くお辞儀をして車が走り去るのを待った。
どうしてまだ少し手前のところで降りたかと言うと、この格好で海水浴場にいると、水月たちのうち誰かにもし見られるとなにかと面倒だろうからだ。
ここからなら、少し歩いて先に男子更衣室へ行って、元の水着とラッシュガードに戻してから何食わぬ顔でみんなに合流できる。まあ、水月には英と何を話したか軽く伝えなければだが、詳細、特にコインパーキングでの一件は伝えない方がいい気がした。
他の海水浴客に紛れて男子更衣室に入れた俺は無事、誰にも目撃される事なく水着姿に戻ることができた。
そうして、再び砂浜に繰り出し、目を凝らして三人を探した。
どうやら先に穣が俺を見つけたらしく、海の方からこちらへと駆け寄ってきた。
「兄ちゃん! どこ行ってたの!」
「悪い悪い、ちょっと暑くて避難してた」
「もう! 水月ちゃんがたこ焼き買ってきてくれてたのに!」
「それは本当に申し訳ない。な、水月、後で奢るから」
俺は穣の後からやや駆け足でこちらへやってきた水月へと視線を移し、手を合わせて平謝りをした。
事情は後で話すから、と目配せだけして、それが伝わったのかどうかは分からないけれども、水月は少し不機嫌そうに頬を膨らませただけで、特に何を言ってこなかった。
「おいー、新太郎いつまで砂浜から先に行かないつもりなんだよ!」
海水ですっかり全身を濡らした時介が肩を組んできた。
どうやら彼はお昼ご飯で軽く胃を満たしてまたすぐ海へと飛び込んだらしい。どれだけ元気なんだ。
「すまん時介。待たせたな、俺も今から海を味わおうじゃないか!」
「お! やっとか! じゃあ行こうぜ!」
「行こ行こ! 兄ちゃん泳げないけどね」
「馬鹿にするな穣、多少は泳げるぞ!」
またしても海へと駆け出す時介と穣。
今度は俺も二人に続いて行こうとしたが、数歩進んで、水月の方を見た。
彼女の顔は明らかに俺から説明を求めている。
「えーっと……」
「詩子、大丈夫だったの?」
「うん、まあ、大丈夫」
「急に車でどっか行っちゃうし。遠くから見てたけど、一瞬誘拐されたのかと思ったわ」
「それは言い過ぎだろ」
「でも本当に心配したんだから」
「それだけ友達として心配してもらえてるって知ったら、英も絶対喜ぶよ」
「……うん。まあ、詩子のことというか、うん。……そうだね」
「なんか気になることあった?」
思えば車の中で受けた水月からの電話もそうだが、ずっとなにかを見計らっているような、言い淀んでるような、ひと言で表すと水月らしくない発言が続いていた。
きっと、せっかく俺が珍しくもみんなと遊びに来たのにイマイチ乗り気に見えなかったのが腑に落ちないのだろう。
「安心しろ。今からと明日は存分にこの海を俺は楽しむからな!」
「……ま、いいや」
何かを切り替えるような口調の水月。
「ところで、楽しむのは今からと明日の二日だけ?」
「え?」
「今度はさ、二人でどこか行こうよ、夏休み中に!」
申し訳ないが即答出来なかった。
特にやましい理由ではないのだけれど、今まで夏休みに遊ぶ予定をしっかりと詰めたことが無い分、一体どのくらいのカロリーを使っていけばいいのか、そして忘れかけているけれど宿題もどのくらいのペースで手をつけていけばいいのか、と咄嗟にそんな心配が浮かんでしまって、なんだか慎重な対応をとってしまった。
「また予定連絡するよ」
「予定なんてあるの?」
いつもの明るい口調に戻って茶化す水月。
「予定はあるさ。宿題はともかく、この夏公開のアメコミ映画の続編とか、ハリウッドの期待の新星俳優が主演のSFを見に行こうと思っててさ。あとやたらテレビコマーシャル流してるあのアニメも地味に気になるし……」
俺の予定のほとんどは映画鑑賞。
夏興行で各配給会社も各映画館も、張り切って色々作品を繰り出すため、映画好きには見るものに困らない、映画の楽園が訪れたような時期だが、俺からすればそこそこ大きな問題もある。
長期休みの中でも夏休みは映画館が最も混雑する時期だ。人があまりにも多いこの時期は、映画館が大好きな俺にとって少しだけ苦手に感じてしまう時期である。そのため鑑賞スケジュールの調整にはより慎重になってしまうのだ。
そういう意味では、ほいほいと気軽に他の予定を入れることは難しいのだ。
と、へらへらしながら説明してると、水月は少し考えるような表情を見せた後、手に抱えていたビーチボールを思い切り俺の方へ投げてきた。
それは見事に俺の顔面にヒット、ボールはそのまま宙を舞う。
「いってぇ!」
二、三歩よろけたのち、鼻をさすりながら俺はボールを拾った。
「ま、いいから、さっさと海、入るよ!」
「何だよ、急に」
すると穣と時介が海から大声で俺を呼ぶ。
「兄ちゃーん! それ! 一緒にビーチボールで遊ぼ!」
「二対二で水中ドッジボールやろうぜ!」
本当に元気な奴らだ。
「水月も参加決定らしいぞ、水中ドッジボール」
「みたいね。ま、早く行こうよ」
俺はビーチボールを持って猛ダッシュで先に海に浸かっている穣と時介の元へ走った。
頭の中はすっかりこの二日間を楽しむことでいっぱいになっていて、俺が走り出すと同時くらいに水月がぼそりと呟いた言葉は聞き取ることは出来なかった。
「その映画を一緒に見に行きたいって意味なのに……なーんて」
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