第二十七幕 ヤンキー人形

 俺は律華にひと言詫びてホテルを出た。


 突然娘と一緒にその友人が訪ねてきて、嵐のように去ってゆく。一体英の家族たちになんて思われたのだろう。というか、律華ら一体何を俺に求めてここへ連れてきたのだろう。


 去り際、海水浴場まで車を出すと言ってくれた律華の気遣いを丁重に断り、俺は彼女を探しに向かった。



 ただ、何となく、父親が英に過度な期待を押し付けているようには俺には見えなかったけれど、きっとそれが目に見えないプレッシャーとなって彼女に襲いかかっているのだろう。

 結果、彼女はヤンキーに「ならざるを得なかった」。


 そう。


 英の父親は、彼女がどうしてヤンキーになってしまったか分からないと言った。

 だが、俺には分かる。ま、正確には分かる気がするというだけだが、それは彼女の映画を見る姿を横で何回か見た俺にはもう限りなく断定に近い推定である。



 別に英詩子はヤンキーじゃなくても何でも良かったのだろう。



 彼女は現実と違う世界を求めて映画に惹かれた。

 その度にあれだけ号泣する理由は、登場人物に自分がなりきっている。感情移入をこれでもかというくらいにしている。自分じゃない自分になっているからだ。


 英詩子は自分じゃない自分を求めて、ひとつ映画というものに辿り着いたのだろう。


 しかし、ひとたびスクリーンを出ればそこにいるのは残念ながらどうあがいても英詩子。

 当時の彼女は現実でも自分じゃない自分を求めただろう。

 所詮、小学生中学生にできること、どれだけ器用でも、グレることしか選択肢になかったのだろう。



 高島と仲良くしていたのはハナブサグループの娘の英詩子。それとは違う自分になるには高島から離れざるを得なかった。



 ヤンキー英詩子は、ただの魂の器にすぎない。





 四度目の架電でようやく英が電話に出る。


 しかし声は返ってこないが、俺は尋ねた。


「どこ行ったんだよ」


『近くのコインパーキング』


「行く宛もろくに無いのに急に飛び出すなよ」


『……あいつ、なんか言ってた?』


「あいつってお父さんのことか? いや、特に。なんでああなっちゃったかなっていうお決まりのセリフだけ」


『ふん』


 歩きながら通話を続ける。ここへ来る途中の車の中から見た景色の記憶を頼りに。


『市川は将来何になりたいとかある?』


 予想外の問いかけだった。


「いや、今は特に。まあ俺の学力ならいける大学なんて限られてるから、そんな立派な企業には相当頑張らないと行けないだろうし。ま、何とかなるようになるだろ」


『親はそれで何も言ってこないのか?』


「気にはしてるだろ、一応。でも、自分でちゃんと決めなさいってスタンスだし」


 放任主義とも少し違う、責任を思わせる視線を両親からはたびたび感じる。こんな社畜な親になってはいけませんよ、と言わんばかりの。


『そっか』


 沈黙。

 俺は遠くにアルファベットのPをデカデカと掲げる看板を見つけた。


「さっきも言ったろ? 困ったことがあったら……」


『……』


 英詩子は映画に出てくるような世界に、映画に出てくるような人に憧れている。

 それも特別キラキラしていなくても構わない。

 ただ、今の、これまでの自分と違うようなそれに。


 なら俺は、その形だけのヤンキーでも、それ以外の何だって受け入れる。

 そして、英詩子が望むような、新しい自分になれる手助けを全力で、全力で、全力でする。

 お節介でも構わない。


 決して、まだ、言葉にはできないけれども強くそう思う。

 そんな思いを心の中でグッと固めて俺はとあるコインパーキングへと辿り着いた。


 車止めのひとつに彼女は丸まるようにして腰掛けていた。


 俺の足音に反応してゆっくりとその顔がこちらを向く。


 見慣れた泣き顔がそこにある。


「市川……」


「コインパーキングって情報だけでよく最初にここにこれたと自分でも感心するよ」


「ごめん」


 沈黙再び。

 電話越しの沈黙よりも長く重く感じた。


「どうすればいいと思う?」


 ざっくりとした問い。それだけ彼女は迷走しているということだろう。


「英がどうすべきかは分からない」


「そうか……」


「でも、俺たち……いや、俺はこう思う」


 全てを包括して、要約して、簡潔に。

 さながら映画の少し恥ずかしくなるようなキャッチコピーの如く。


「こっちの世界においで」


 右手を差し出した。


 あとで、顔から火が出る思いをするんだろうな。


 すると、英は俺の差し出した右手を越えて、その細く柔らかい全身を預けてきた。


 変な声が出た気がする。


 思わず半歩下がってしまったけれど、それでも俺はしっかりと受け止めた。



 夏の匂い、蝉の声、生温い風。


 さっきまでこの身にへばりついていたそれら全てが流れ消え、俺の意識は胸元に飛び込みわんわんと泣く英詩子に支配されていた。


 そして、まだ、決して言葉にはできないことがもうひとつ。


 俺は英詩子が好きだ。


 映画好きだからとか、ヤンキーだけどとか、そんな前置きはいらない。

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