第二十六幕 ヤンキーのパパ

 回転ドアというのだろうか。洋画でよく見るタイプのそれをくぐり抜けて果てしなく高い天井のエントランスへと足を運んだ。

 あまりキョロキョロしていると田舎者だと思われてしまうと懸念して、変に視線の制限をかけているせいで、どうも首や肩に違和感を覚える。


 律華はともかく、英も何食わぬ顔でいれるのはやはりこういう場所に昔から慣れ親しんでいるが故なのだろうか。

 そう思うと、英がヤンキーになってなかったとしても、住む世界が違い、絡むことはそうなかったタイプの人間なのだろう。いや、むしろ、今以上に接点など無いに違いない。


「ここに座っててください」


 律華に案内されて、外のホテルの美しい庭が見えるところに配置されたソファに腰掛けた。人生で味わった中で一番、座り心地の良いものだった。思わず何度も座り直してしまうくらいに。


「なにソワソワしてんだ」


「こんな気品高い空間、落ち着いてられるかよ。その落ち着き様、やっぱ英もお嬢様なんだな」


「お嬢様じゃねえよ」


 とは言いながらも、大きく足を広げて不良らしく座っていた学校の中庭での花壇の様子とはうって変わって、しっかりと姿勢良くソファにかける英であった。

 律華は俺たちから少し離れた後方でじっと立っている。


 穏やかな弦楽器のクラシック調BGMが流れるそこでしばらく無言で待っていると、一人の中年男性が遠くからこちらを真っ直ぐ見つめて歩んできた。

 すぐにこの人物が英の父親だと理解した。


 英は小さく舌打ちをする。


「詩子、おかえり、海はどうだった?」


 彼は俺たちに対面するソファに深く腰を掛け、野太い声で皮肉混じりにそう尋ねる。


「……開放的だったよ」


 皮肉には皮肉をと言わんばかりの反論を繰り出す英。

 はっはっは、と彼は大袈裟に天を仰いで笑い、そうしてひと息つくとその視線をゆっくりと俺の方へと向けた。


「はじめまして。詩子の父です」


「あ、え、どうも。はじめまして。市川といいます。はなぶ……あ、詩子さんのクラスメイトで」


 無意識に立ち上がって、こう答える。


「やあやあ、そんな緊張しないで。せっかくこんなところまで来てくれたんだから、もっとくつろいでくつろいで」


 ソファへ再び腰を下ろす俺をじろじろと見て、一通りその観察を終えたのか、英の父親は俺に質問をひとつ投げかけた。


「詩子、こんなんだから、まさか君みたいな真面目そうな子が友達になってるなんてびっくりだよ。てっきりもっとこう、ヤンチャな知り合いばかりかと」


 英にヤンチャな知り合いなんてひとりもいないのでは? というツッコミを心の中できめてから、俺は彼の期待に沿うようないたって真面目な風に答えを返す。


「たまたま、趣味が同じだったので、それで」


「趣味……。あぁ、映画か」


 少し声のトーンが落ちていた。


「とすると、君も映画館に足繁く通うタイプかい」


「そうですね……。人よりは少し、多いかもしれないです」


 実際は高校生にしてはかなり多いと思うのだけれど。


「いやいや、それはいいことだ。しっかりその教養が身についてるんだろうね、市川くんは」


 「市川くんは」の言い方に、娘である英に対する微かな圧を感じる。


「言葉遣いも丁寧そうだし、頭も良さそうだ」


 すみません、頭は悪いです。おたくの娘さんと一緒に補講受けてました。なんてわざわざ冗談っぽく言える空気では無かった。


「同じ映画好きなのに、どうして詩子はこんなんなんだろうねえ」


 彼のその発言にハッとして、横目で英の方を見る。

 何かも堪えているようなその表情は、見ていて胸が苦しくなる。


「英の名を背負ってしまった息苦しさは分かるぞ。父さんも学生の頃は辛かった」


 的外れな指摘だと思った。


「けど、辛い中頑張って勉強して、その期待に応えれた時の達成感は本当に素晴らしいと思うぞ?」


 映画なら真っ先に消されるタイプの金持ちだな、と失礼ながらに思ってしまうその口振り。

 一応第三者、もとい赤の他人である俺にとってその発言は心の中で「なんだこの」と睨みつける程度であったが、しかし英詩子当人からしてみれば、昔から何度も聞かされ続けてきた、呪いの言葉だったのだろう。


「うるさい!!」


 ホテルのロビー中に響くその声は、ホテルのスタッフやロビーにいた数名の客を驚かせ、視線を集めた。

 俺や英の父親が何か口にするより先に、叫んだ英はそのままついさっき通り抜けた回転ドアへと駆け戻り、外へ逃げ出して行った。


 追いかけようと腰を少し浮かしたところで、野太い声が俺を制止する。


「市川くん」


「……はい」


「すまないね。詩子のやつ、またあんな威圧的な態度をとって……」


「いえ、別に……」


 初対面の異性の友達の父親と後方にその従妹。気まずい空間の完成だ。

 が、意外にも英の父親は俺に質問を続けた。


「君はどうして映画を?」


「え? それは……」


 映画という非日常、映画館という異空間。そこに惹かれて、と俺は他の誰からもよく聞かれたことのあるその質問に答える。


「面白いかい?」


「面白くない映画はひとつもないと思ってます」


「はっはっは、君はいい人間だね。同じ映画好きなのに、どうしてあの子は不良になっちゃったかな。ん? ちがうな、不良なのに映画が好きというのもまた珍しい……」


 人を、いや、実の娘を見た目で判断するなよ。


「僕には、詩子さんが今、こういう風になっている理由が何となく分かりますよ」


 我ながら嫌味な言い方をしてしまった。全て言い終えてから思わず口をつむいだ。

 けれども、彼はまたはっはっはと大袈裟に笑ってこう、返した。


「詩子のことをよろしく頼むよ」


 何か言い返されるのではと、身構えていたけれども、彼の口からはただのお父さんとしてのセリフがひと言出たのみであった。


 そうして彼はソファから立ち上がり、来た道を引き返して行った。



 英詩子が映画を好きな理由?

 不良になった理由?


 そんなもの、この春から夏という短い期間一緒に過ごしただけですぐに分かったよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る