第二十四幕 ヤンキーはひとりじゃない

「クソガキ」


 さきほどまでの英とはうって変わって、彼女は学校でよく見慣れた不良らしい口調でそう言葉を吐いた。

 クソガキと揶揄されたその少女はローファーでコンクリートをしっかりと踏みしめながら、ずんずんという効果音が漫画のように彼女の周りに浮かび上がるような勢いでこちらに詰め寄ってくる。

 穣よりも年下に見えるが、随分と威風堂々としたその雰囲気はまさにお嬢様といったところだろうか。


「姉さま! 見つけましたよ!」


 長い髪を風に揺らしながら幼女は視線を俺のうしろの英へ向けながらそう叫んだ。


「なんだよクソガキ」


「みなさま心配してますから、帰りましょう」


「私の心配してるんじゃなくて、私がなにかしでかすことでグループの評判下げるんじゃねえかって自分たちの身の心配してんだろ」


「そんなことありません! ……ところで」


 幼女がゆっくりと俺の顔を見上げる。


「どなたですか、この方は」


「学校の知り合……」


「友達だ! 学校の!」


 英に言葉をかぶせるように幼女を見つめて俺は答えた。


「姉さまにご学友……?」


 目をまんまるにして答える幼女。親族内での英の態度や評判は知らないけれど、おおかた不良のイメージにそぐわない振る舞い故に、孤高の娘なんていう風に思われているのだろう。そんな彼女に友達を名乗るどこの馬の骨かわからない男が現れたのだ。しかも海水浴場で水着で。


「ああ、友達の市川新太郎だ」


「ご丁寧にどうも。私は詩子姉さまの従妹の、律華と申します。お気軽に『りっかちゃん』でも『りっちゃん』でもなんでもお呼びください。新太郎さん」


「うるせえクソガキ」


「姉さま、お言葉遣いが悪いです」


 従妹というその幼女、律華は俺には営業用のスマイルを向けて答える。

 更に後方、海岸沿いの道路では先ほどまでは無かったはずの黒い車が一台停車している。おそらく運転手かなにかをつれて、あの車に乗って律華はここへ来たのだろうか。


「姉さまは毎年本家に来たら必ずこの海に逃げ込んでるので、もう見つけるのには苦労はしませんでしたけど……」


「ひとりにしてくれよクソガキ」


「どうして一緒に帰ろうとしてくれないんですか……。ご飯も親戚の誰とも一緒に食べないし……」


「どうせ面倒くさいこと言われるだけだろ。じいさんに顔見せできればそれでいい」


「そんなこと言わないでください。それに今年は姉さまにとって大事な話があるのです」


「大事な話?」


「おじさまも、おばさまも、おじいさまも。みんな姉さまを待ってます」


 大事な話。については部外者の俺でもなんとなく想像ができた。

 俺たちは高校二年生。この夏を越えればいよいよ進路調査が本格化する時期だ。水月や時介みたいな将来をしっかりと見据えているやつらと違って、俺みたいないい加減な人種は頭を悩ませる時期だろう。むろん、ハナブサグループという名を持ってしまっている英にとっても面倒くさい時期であろう。

 親戚からすれば、こんな英に進路の助言をしてあげたくなるのも当然。

 助言で済めばそれまでだが、おそらくそれは助言を越えた息苦しい何かなのだろう。

 今までもそうだったのだろう。だから英はこうなってしまっているのだ。


「部外者の俺が言うのもなんだが、放っておいてやってもいいんじゃねえか?」


「新太郎さん、お気持ちは分かりますが、姉さまはこれでもグループの人間なのです。ご存知でしょう」


「それだけじゃ、やりたいことやってたらダメな理由にならないじゃないか」


「やりたいこと……ですか」


 律華は営業スマイルを消して、再び英に視線を向けた。つられて俺も英の方へ振り返る。

 いつからかは分からないが、ぽかんとした表情を浮かべている。当然だ。部外者の俺が自分の問題にいきなり口をはさんできているのだから。


「やりたいことと言っても、姉さまは何もしてないじゃないですか」


 まさに核心をついたような一言だった。

 俺も英もこんな幼女に対して何も言い返せなかった。


 やりたいこと。

 水月のように絵画を日々描いているわけでもなく、時介のようにサッカーの鍛錬に励んでいるわけでもなく、穣のように名門校への進学を狙っているわけでもない。

 少なくとも俺から見れば英は自分の将来ということを考えると、何もしていない、に違いなかった。


「毎日のように映画ばっかり見て、それが将来全く何の役にも立たないとは言わないけれど、人生という物語、ハナブサグループという舞台において、その伏線はあまりにも薄すぎると思いますわ」


「それは……」


 唇をかみしめる英。


「今を楽しめたらそれはそれでいいんじゃねえか。将来と映画とは別問題だろ」


 俺は代わりに反論した。


「私には姉さまはその今さえ楽しめているようには思えません」


 なぜか悲しそうな表情を浮かべる律華。


「映画、とてもいい教養が身につくと思います。感受性も豊かになって、表現力も想像力も刺激される素敵な娯楽だと思います。私も好きです。でも、私はひとり部屋でそのDVDを見ている姉さまを見かけたとき、心から楽しんでないように見えました。どこか恨めしい、どこか空しい、どこか哀しい、そんな風に」


 俺はふと、あの黄色いパッケージのDVDを貸し借りした時のことを思い出した。

 恨めしい、空しい、そして哀しい。その感情表現には見覚えがあった。

 家族の話をしている時の英の表情とそれがリンクする。


 英が映画でよく号泣する、それは作品に自己を投影しすぎるが故に違いなかった。

 例えば恋人と死別してしまう作品では自分は悲劇のヒロインに成り代わり、例えば部活で切磋琢磨し全国制覇する作品では自分もその部員の一員となって感情を爆発させている。だからあそこまで馬鹿みたいに泣けるのだ。

 しかし、その映画が終わり、スクリーンから出れば、或いは再生停止ボタンを押せば、そこは再び英詩子の現実世界。さっきまで恋人と過ごしていた、部活仲間と青春していた自分は虚像であると痛いくらいに分からされる。


 それが家族の物語の場合、なおのこと、作品内に投影させていた自分と、現実の自分とのギャップは、英にとって耐えがたいものだろう。


 その結果、律華の言う「心から楽しんでないよう」な表情になるのだろう。


 当の英も、そのことを自覚はしていたのだろう。悔しいが反論できない、といった表情で夏の日差しに照らされるアスファルトを見つめている。




 ここで俺は、早速有言実行すべき時が来たのだろう、と視線を再び幼女に向けた。


 さっき俺は英に宣言したのだ。


「律華ちゃん」


「なんでしょう、新太郎さん」


「確かに今までの英はそうだったかもしれない。けれども、今はひとりじゃない。美術部の天才とサッカーの天才と俺の妹と生徒会長と、俺たちはこいつと一緒にこれから映画よりも楽しい高校生活を送るんだ。そう決めたんだ、さっき」


「市川……何を……」


「ハナブサグループがどうかは知らん。が、俺たちは友達として、英詩子の物語を全力で盛り上げるし、全力で楽しむんだ。そう演出するんだ。進路は大事だし、家族として娘を気にかける気持ちもわかる。律華ちゃんが心配する気持ちもわかる。けど、俺たちは今を本気で楽しませてもらう」


 なに幼女に対してムキになってんだ。と思った時にはすでに言いたいことは言い終えていた。

 律華も真剣な表情で俺を見つめ返していた。

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